新戦線形成

第640話 ハン族の新たな要求

統一歴九十九年五月七日、昼 - エッケ島エックハヴン/アルトリウシア



 エッケ島南部にある島唯一の船着場エックハヴンには、今日もセーヘイムから貨物船クナールが到着し、ハン支援軍アウクシリア・ハンへの補給物資の受け渡し作業が始まっていた。ブッカの船乗りたちが積み荷を降ろし、ハン支援軍の幕僚を務めるモードゥがリストを見ながら品目と数量を確認する。


「ヨンネとやら、塩の量が少ないのではないか?」


 モードゥは船からすべての積み荷を降ろし終わったにもかかわらず、塩の量が約束された量に達していないことに気付いて文句を言い始めた。


「塩はアルトリウシアでも不足しているのだ。

 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアでもアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアでも、そして応援に来ているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアでも配給量が減らされている。

 もちろん、アルトリウシア艦隊アルトリウシア・クラッシスでもだ。」


 セーヘイムでヘルマンニの補佐をしているヨンネ・レーヴィソンはかつて戦で失った右腕を振りまわしながら答える。その態度はまるっきり他人事と言わんばかりだ。


「そのような話は聞いていない。

 塩が足らねば困るではないか!

 我々には規定の量の塩を補給してもらわねばならん。」


 モードゥは納得いかんとヨンネにリストを突きつける。


「塩が必要なのはオタクらだけじゃない。我々もみんな必要なんだ。

 特にこの時期は、冬に備えて肉や魚や野菜を塩漬けにしなきゃいけないんだからな。

 オタクらだってこれから冬になって肉も魚も野菜も食えなくなっちゃ困るだろ?

 だから帝国南部の軍全体で、塩の配給量を減らすことが決まってるんだ。」


 冬はどうしても生鮮食品が不足する。雪に閉ざされて農作物の多くは収穫できなくなり、海も荒れて魚も穫れにくくなっていく。だから冬の間食べる食料は保存食が中心とならざるを得ない。そこで作られる保存食は干物や燻製といった乾き物や塩漬け等の漬物が中心となる。特に塩漬けは応用範囲が広く、冬に備えて作られる保存食の中で最も多かった。

 このため、秋から冬にかけては塩の需要が最も高くなる時期である。塩の相場も一年の内で秋は高くなる傾向があり、特に今年は供給が間に合わないために兵士への配給量を減らすなどの消費抑制策がとられていた。

 しかし、ハン族にとってそんなことはどうでもいいことだった。モードゥはあくまでも納得せず、規定量の塩の配給を求めて抗議し続ける。


「我々は辺境軍リミタネイではない!

 支援軍アウクシリアだ。

 野戦軍コミターテンセスに属している。

 野戦軍コミターテンセスの援軍を受けている侯爵家には、我々に既定量の塩を配給する義務があるはずだ!」


支援軍アウクシリアだろうが野戦軍コミターテンセスだろうが出せんモンは出せん!

 第一、補給内容は地域の実情に即して調整することは認められている!

 侯爵夫人マルキオニッサがお決めになられたことに異議をとなるのか?!」


「去年はそんなことなかったではないか!?」


「今年はオタクらが街に火を放ったせいで、塩が貯蔵庫ごと燃えちまったんだよ!」


 しつこく食い下がるモードゥに腹を立て、ヨンネは思わず大声を出してしまった。二人はそのまま桟橋の上で睨み合い、二人の周囲ではハン族のゴブリン兵とブッカの船乗りたちが固唾を飲んで遠巻きに眺めていた。

 ヨンネが言ったことは事実で、アンブースティアやアイゼンファウストの貧民街と共に燃やされた海軍基地カストルム・ナヴァリアとその城下町カナバエには、まとまった量の塩を貯蔵していた倉庫があったのだ。そこにあった塩がアルトリウシアの備蓄のすべてというわけではなかったが、それでも軍団兵レギオナリウスらに配給する塩の量を減らして市中に放出しなければならない程度には、アルトリウシアで塩が不足してしまっていたのである。


「それは、我々が焼いたわけではない。」


「メルクリウス団がやったって言いたいんだろ!?

 誰が焼いたかはこの際どうでもいい。

 だが、焼けちまったせいで塩が足らなくなっちまったのは事実なんだ。

 だから我々でもどうしようもない。」


「それはそちらの都合だ、我々には「関係ある!!」」


 モードゥの抗議をヨンネは再び大声で遮った。


「何だと!?」


「仮にメルクリウス団の陰謀が本当だったとして「本当だ!!」うるさい!」


 ヨンネの話をモードゥも大声で遮ろうとするがヨンネは構わず話し続ける。


「メルクリウス団の陰謀で燃えたとして、アンタらはそれを防がなかった!

 防ぐ義務があったのに防げなかった!責任を果たせなかった!

 違うか!?」


 左手の人差し指を付きつけながらヨンネが言い切ると、モードゥは思わず言葉を飲んだ。


「いいか、アンタ方にだって責任はあるんだ。

 関係ないなんてことは絶対にないぞ?!」


 そのまま声を低めたヨンネに言い切られ、モードゥは悔しそうに顔を歪めながらグゥと唸り声をあげる。


「とにかく、これ以上の塩の割り当ては無理なんだ。

 何ならサウマンディア伯爵にでもすがるんだな。

 最も、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアも塩の割り当て減らしてるくらいなんだからサウマンディアでも事情は一緒だぞ?

 それとも、チューアか南蛮あたりから買い付けるか?」


 人差し指を突き付けていた左手を引っ込め、半笑いを浮かべながらヨンネが言うと、モードゥはようやく観念したようだった。


「わかった。それでは仕方ない。

 だが、我々にだって塩は必要なんだ。

 増やせるようになったら、なるべく早く増やしてもらいたい。」


 諦めきれないのかどこか忌々し気な表情を浮かべ、モードゥが補給の伝票にサインをしながら言うと、ヨンネは心底どうでも良さそうにアドバイスを返す。


「どうせ料理の味付けにしか使わないんだろ?

 だったら煮物の味付けには海水を使うとか工夫するしかないだろ。」


「海水か……なるほど、それは考えてもみなかった。」


 サインし終えた伝票をヨンネに差し出しながら、モードゥは先ほどとは打って変わって何か腑に落ちたような、妙に感心するような表情を見せる。ヨンネはそれを小馬鹿にするようにフンッと鼻で笑いながら伝票を受けとった。しかしその直後、ヨンネはモードゥの発した言葉に驚くことになる。


「だがヨンネとやら、我々は料理の味付けだけで塩が必要なわけではないぞ。

 我々も食料をある程度自分たちで調達しようと考えているのだ。」


「自分たちで!?」


 思わず我が耳を疑うかのようにヨンネはモードゥの顔を見た。


「そうだ、このエッケ島は海に囲まれているからな。

 ブッカにならって漁を始めようと計画しているのだ。」


 まじまじと見るヨンネの目に映るモードゥの顔は真面目そのもので冗談を言っているようには見えない。


「そ、そりゃいいことだが、どうやって?!

 アンタら魚なんて獲ったことあるのか!?」


「いや無い。

 だが定置網なら我々でも出来ると聞いた。」


「定置網!?」


 定置網とは海の中に漁網を張って漁網の迷路を作り、その中に迷い込んだ魚を文字通り一網打尽にする漁法である。が、アルトリウシアでは行われていない。湾内が浅すぎるのが主な理由だ。湾内での漁は魚よりも貝漁が中心に行われており、帆曳船を使った引き網漁や打ち網漁のような漁も行われてはいるが、湾内で獲れるのは基本的に小魚ばかりだ。

 そもそも、定置網だって決して簡単な漁ではない。網の扱いからして素人が簡単に扱えるものではないのに、潮の流れや海底の地形から魚の動きを読んで的確に網を設置しなければならないし、風や潮で流されないようにしっかりと固定するのにもそれなりにノウハウが必要になる。

 だが、上手く網を設置しさえすれば後は魚が勝手に迷い込んでくれて、漁網の迷路の最奥で袋小路になっている箱網はこあみを巻き上げさえすれば多くの魚が穫れるのは確かだ。それを実現するためにどんな工夫や苦労が必要かを想像することも出来ない素人には、確かに魅力的な漁法に見えるのかもしれない。

 現にモードゥの表情はどこか夢見る少年のような輝きをいつの間にか放っていた。


「そうだ。

 ほら、ここから南のアルトリウシア平野まで続く浅瀬……

 ここは潮が満ちると深くなるが、潮が引くと浅くなるだろう?」


「あ、ああ……」


「だからここに網を張るのだ。

 潮が満ちている間に網に魚が引っかかり、潮が引いて編みが海面から出ている時に網にひっかかった魚を回収するのだ。」


「それは定置網じゃなくて刺網さしあみだな……」


「そうかもしれん。

 詳しいことは知らんが、とにかくそういう方法なら我々でも穫れると聞いたのだ。」


「ま、まあ出来なくはないかもしれんが……」


 実際にはそんなに簡単ではないだろう。

 確かにこの浅瀬は潮が満ちていれば船で通過できるが、潮が引いている時なら歩いて島から平野まで渡れるという噂があるほど浅くなる。干満差が具体的にどれくらいあるのかは誰も測ったことが無いので知らないが、理屈の上ではやれそうではある。が、現実はそんなに簡単なわけはない。

 この浅瀬は「人が渡れる」という噂がある程度に浅いにも関わらず、誰もそれをやっていないのはそれなりの理由がある。その理由の最大のものは波だ。この浅瀬は時折、非常に大きな波が起きるのである。沖合からやってきた波は次第に浅くなる海底によって大きく盛り上がり、そしてこの浅瀬を乗り越える瞬間に最大化するのだ。

 この現象は潮汐の加減と波のタイミングによって変わるので毎回必ずというわけではないのだが、折悪しく大波が発生するタイミングと重なるとブッカと言えども波にのまれて流されてしまう。時折、この浅瀬にクジラなど大型の海棲生物が打ち上げられるのもそのためなのだ。


 そんなところに網を張ったところで波で流されちまうんじゃないのか?


 モードゥの指し示す南の浅瀬を見たまま、ヨンネはどう反応すべきか頭を悩ませる。


「ともかく、我々はそれをやることに決めたのだ。」


「や、やるのはいいが、アンタらそのための漁網を持ってんのかい?」


 うまく行きっこない……そう内心で思いながらもヨンネは尋ねた。モードゥの希望に満ちた表情を見ると、「それは無理だ」と残酷に告げるのは躊躇ためらわれたのだ。モードゥはヨンネを躊躇わせたその表情のまま自信たっぷりに答える。


「いや、無い。

 だから、其方そなたに都合をつけてもらいたいのだ。」


「は!?」


「漁網を売ってくれ。

 波に負けない、強い奴をだ。

 もちろん金は払う。」


 どうやら波が強いという程度のことは認識しているらしい。だが、それでも波の強さを舐めているとしか思えないが‥‥


「う、売るのはいいが、どれくらい?」


 どこまで本気でどこまで冗談かわからず戸惑うヨンネに、モードゥは答えた。


「もちろん、ここから向こう岸に届くくらいまでだ。」

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