第639話 邪推
統一歴九十九年五月七日、午後 -
ところでリクハルド卿、確か
応接室から出て来たリクハルドは調子の良さそうな満面の笑みを浮かべていたが、応接室の扉が閉ざされ、廊下で待っていたラウリと二人きりになるとその笑みが一瞬で消える。
「カシラぁ」
「んん?」
「ご首尾は、うまく行かなかったんで?」
「……いや、上々だ。
てっきり交渉がうまく行かなかった。ルクレティウスに話を売り込みに行くことを認めてもらえなかったか、あるいは別の要求でもされたかと予想していたラウリだったが、リクハルドの答えは全くの逆だった。
「そりゃ
「ふー---っ」
リクハルドは様子を
「ん~~、まず、ヘルマンニの爺さんはリュキスカのことも、リュキスカを
「はぁ……」
あり得る話である。それはむしろ、最初からある程度予想できたことだった。
ヘルマンニはリクハルドたちと同じ
「だが、ネストリを使って探りを入れてるたぁ思えねぇとさ。」
「‥‥‥そいつぁつまり、ヘルマンニ卿が動かなくてもヘルマンニ卿には子爵公子から情報が行ってるっつうこってすか?」
「まあ、そんなとこだろうなぁ。
一応、そのことをこっちに知らせてなかったのぁ済まなかったとか言ってたよ。
んでまぁ、子爵公子閣下としてもネストリの背後に誰が居んのか気になるみてぇでなぁ、調べてくれとよぉ。」
リクハルドはどこか
「そりゃまあ、既に手ぇ付けてるこってすから……」
今度はリクハルドの方がフゥーッと長く不満げに息を吐く。
「あとぁアレだぁ……さっきメルヒオールの奴が言ってた……」
「トゥーレスタッドの件ですかい?」
「ああ、砲台造んのぁまだまだ先だそうだ。
まずは街の再建が先だとよ。」
噂が事実だった‥‥‥だからリクハルドの機嫌が悪いのかと思ったラウリは、予想とは真逆の回答に肩透かしを食らったように戸惑う。
「?……なら、良かったんじゃぁ……ないんですかい?」
「ああ、ただなぁ、トゥーレスタッドの砲台はまだまだ先だが、街についちゃ子爵公子閣下も知らねぇとよ。」
「……知らねぇってことは、ガセだったってぇ事じゃねえんですかい?」
「いや、子爵公子閣下は知らねぇってぇだけだ。
街を造るのも未だだって、知ってるわけじゃねぇ。
つまり、ヘルマンニの爺さんが勝手におっ
「そりゃ、いくら何でも……」
考えすぎでしょう……と言おうとした矢先にリクハルドがジロッとラウリに視線を向けて先制する。
「考えすぎだと思うか!?」
「へ、へぃ……」
たしかにトゥーレスタッドはヘルマンニの領分だ。街を造る造らないをアルトリウシア子爵家にイチイチお伺いを立てねばならないわけではない。しかし、今のアルトリウシアの状況で新たに街を造ろうとすれば、復興事業の方へ資材と金を回せと
それを考えれば、リクハルドの勘繰りは過剰としかラウリには思えなかった。リクハルド自身もそれは自覚しているのだろう。その後ろめたさと、それでもヘルマンニに対して感じる妙に引っかかる違和とが、リクハルドの中で解消されずに渦巻いているのだ。リクハルドはそれを一気に吐き出すように語り出した。
「だがおかしいと思わねぇか?
俺っちがヘルマンニの爺さんに人が足んねぇんなら人貸してやろうかっつったのに、断られちまってんだぜ?
ヘルマンニの爺さんが持ってた
「そ、そりゃあ……なんつうか‥‥‥」
「いずれは手ぇ付けるだろうよ。
だがよぅ、トゥーレスタッドの話がガセだとしても海軍基地と城下町の再建が後回しになってんのぁ、ヘルマンニの爺さんトコの人間がアンブースティアの復興や建築資材の運び込みに回されてるからだ。だからこそ俺っちも
これがアンブースティアの復興にひと段落つくまで待ってみろよ、ウチの人間を食い込ませる余地が無くなっちまうぜ。
まして、トゥーレスタッドの件がガセじゃなくてマジだったとしたら?」
「で、ですがヘルマンニ卿は城下町の再建にカシラの手ぇ借りなきゃいけねぇって言ったんでしょ?」
「ああ、言った。だが、具体的な話はしてねぇ。
そんなもん、約束にもならねぇよ。」
何だかわからないが、何かが自分の知らないところで予想外に自分の思惑を邪魔している。
だが、実際に復旧復興事業が始まってみると思い描いた絵図通りに事が進んでいない。アルビオンニア侯爵家とアルトリウシア子爵家が随分と気前よく金をバラまき、サウマンディア伯爵家からの援助もどうやらかなり潤沢なようだ。それぞれの領主が抱える
ただ一人、ヘルマンニだけがリクハルドが予想したのとは違う動きをしている。アンブースティア、
そして、そのせいでリクハルドが出るに出られなくなってしまっている。この状況で無理に出て行けば赤字が出る。いくら領主たちや他の郷士たちに“貸し”を作って権勢を高めるためとはいえ、さすがのリクハルドも赤字を出してまでやろうとは思わない。この状況でせめて利益を得ようと思ったら、あとは海軍基地と城下町の復興に食い込むぐらいしかないのだが、今のヘルマンニにそれを始める気配がない。こっちから伺いを立てても断られたんじゃもう話にもならない。
「
ヘルマンニの爺ぃ、裏で何かやってやがんじゃねえか?」
リクハルドは自分の思惑を邪魔している何か……それのカギがヘルマンニにあるような気がし始めていた。
「何かって、何です?」
「わからねぇ……わからねぇが、何だかクセぇぜ。」
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