第639話 邪推

統一歴九十九年五月七日、午後 - マニウス要塞カストルム・マニ/アルトリウシア



 ところでリクハルド卿、確かけいは南蛮出身でしたな?ああ、南蛮生まれの南蛮育ちよ。といってもアルビオン島のひがしかただがな、それがどうかしやしたかい?女性からウィトロキアナとウィオラの花を贈られるとしたら、南蛮ではどういう意味があるのでしょうか?ああん、なんですかぃそいつぁ?いや、コトから花を贈られましてね。奥方から?ええ、何か意味があるとおもうのですが、さっぱりわかりませんでしてね。南蛮の文化に詳しいリクハルド卿ならお分かりになるかと……ガッハッハ、俺っちみてぇな育ちの悪ぃのに風流なんざ期待しちゃいけねぇや。なあに、難しく考えるこたぁござんせん。女から何か送られたら大抵意味するところは『会いたい』とかそう言うんでしょうよ。まあ、そうかもしれませんな。そうに決まってまさぁ、聞きゃあ最近あまり帰ってねぇそうじゃござんせんか、今日ぐれぇ帰っておやんなさい……リクハルドはアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子との別れ際、ラウリが聞けば失笑するであろう会話を交わして応接室タブリヌムを後にした。


 応接室から出て来たリクハルドは調子の良さそうな満面の笑みを浮かべていたが、応接室の扉が閉ざされ、廊下で待っていたラウリと二人きりになるとその笑みが一瞬で消える。


 ぇるぜ……へい‥‥…ごく短い最小限の会話を交わした二人は無言のまま連れ立って要塞司令部プリンキピアを後にし、玄関オスティウム前で馬車に乗り込んだ。二人を乗せた馬車が要塞正門ポルタ・プラエトーリアを通り過ぎたところで、ムスッとしたまま窓の外へ視線を投げっぱなしにし、無言で考え込むリクハルドにラウリが声をかける。


「カシラぁ」


「んん?」


「ご首尾は、うまく行かなかったんで?」


「……いや、上々だ。

 けえったら早速スパルタカシウス様に面会を申し込むぜ。」


 てっきり交渉がうまく行かなかった。ルクレティウスに話を売り込みに行くことを認めてもらえなかったか、あるいは別の要求でもされたかと予想していたラウリだったが、リクハルドの答えは全くの逆だった。


「そりゃ合点がってんで……じゃあ、何か他にあったんで?」


「ふー---っ」


 リクハルドは様子をうかがうラウリに機嫌を悪くでもしたかのように大きくため息をつくと、ラウリに話すことで自分の考えをまとめようとするかのようにゆっくりと話始めた。


「ん~~、まず、ヘルマンニの爺さんはリュキスカのことも、リュキスカをめとったってぇ御大尽のことも知ってんだそうだ。息子のサムエルもな。」


「はぁ……」


 あり得る話である。それはむしろ、最初からある程度予想できたことだった。

 ヘルマンニはリクハルドたちと同じ郷士ドゥーチェではあるが、同時にアルトリウシア艦隊アルトリウシア・クラッシス提督プラエフェクトゥスでもある。正規の一軍を率いる立場であり、リクハルドなどよりはアルトリウスの方に近いのだ。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが関与している事柄ならばアルトリウシア艦隊も連携していて、それをヘルマンニが把握していても何ら不自然ではない。


「だが、ネストリを使って探りを入れてるたぁ思えねぇとさ。」


「‥‥‥そいつぁつまり、ヘルマンニ卿が動かなくてもヘルマンニ卿には子爵公子から情報が行ってるっつうこってすか?」


「まあ、そんなとこだろうなぁ。

 一応、そのことをこっちに知らせてなかったのぁ済まなかったとか言ってたよ。

 んでまぁ、子爵公子閣下としてもネストリの背後に誰が居んのか気になるみてぇでなぁ、調べてくれとよぉ。」


 リクハルドはどこか投遣なげやりになったように言うと、ラウリは溜息を噛み殺して答えた。


「そりゃまあ、既に手ぇ付けてるこってすから……」


 今度はリクハルドの方がフゥーッと長く不満げに息を吐く。


「あとぁアレだぁ……さっきメルヒオールの奴が言ってた……」


「トゥーレスタッドの件ですかい?」


「ああ、砲台造んのぁまだまだ先だそうだ。

 まずは街の再建が先だとよ。」


 噂が事実だった‥‥‥だからリクハルドの機嫌が悪いのかと思ったラウリは、予想とは真逆の回答に肩透かしを食らったように戸惑う。


「?……なら、良かったんじゃぁ……ないんですかい?」


「ああ、ただなぁ、トゥーレスタッドの砲台はまだまだ先だが、街についちゃ子爵公子閣下も知らねぇとよ。」


「……知らねぇってことは、ガセだったってぇ事じゃねえんですかい?」


「いや、子爵公子閣下は知らねぇってぇだけだ。

 街を造るのも未だだって、知ってるわけじゃねぇ。

 つまり、ヘルマンニの爺さんが勝手におっぱじめちまってる可能性も無ぇわけじゃねぇってことだ。」


「そりゃ、いくら何でも……」


 考えすぎでしょう……と言おうとした矢先にリクハルドがジロッとラウリに視線を向けて先制する。


「考えすぎだと思うか!?」


「へ、へぃ……」


 たしかにトゥーレスタッドはヘルマンニの領分だ。街を造る造らないをアルトリウシア子爵家にイチイチお伺いを立てねばならないわけではない。しかし、今のアルトリウシアの状況で新たに街を造ろうとすれば、復興事業の方へ資材と金を回せと彼方此方あちこちから文句を言われるのは必定である。いくらヘルマンニがアルトリウシアで子爵家に劣らぬ権勢を誇っていようとも、そこまで好き勝手出来るわけではない。

 それを考えれば、リクハルドの勘繰りは過剰としかラウリには思えなかった。リクハルド自身もそれは自覚しているのだろう。その後ろめたさと、それでもヘルマンニに対して感じる妙に引っかかる違和とが、リクハルドの中で解消されずに渦巻いているのだ。リクハルドはそれを一気に吐き出すように語り出した。


「だがおかしいと思わねぇか?

 海軍基地カストルム・ナヴァリアの片付けとかよぉ、ちっとも手ぇ付けてねぇじゃねえか。

 俺っちがヘルマンニの爺さんに人が足んねぇんなら人貸してやろうかっつったのに、断られちまってんだぜ?

 城下町カナバエだって復興工事用の資材は集めちゃいるが、実際に工事が始まったのは城下町に店持ってた商人どもが発注してた分だけだ。

 ヘルマンニの爺さんが持ってた集合住宅インスラとかぁ全くの手が付いてねぇ」


「そ、そりゃあ……なんつうか‥‥‥」


「いずれは手ぇ付けるだろうよ。

 だがよぅ、トゥーレスタッドの話がガセだとしても海軍基地と城下町の再建が後回しになってんのぁ、ヘルマンニの爺さんトコの人間がアンブースティアの復興や建築資材の運び込みに回されてるからだ。だからこそ俺っちも海軍基地城下町カナバエ・カストリ・ナヴァリアの復興工事に一口噛めんじゃねぇか?

 これがアンブースティアの復興にひと段落つくまで待ってみろよ、ウチの人間を食い込ませる余地が無くなっちまうぜ。


 まして、トゥーレスタッドの件がガセじゃなくてマジだったとしたら?」


「で、ですがヘルマンニ卿は城下町の再建にカシラの手ぇ借りなきゃいけねぇって言ったんでしょ?」


「ああ、言った。だが、具体的な話はしてねぇ。

 そんなもん、約束にもならねぇよ。」


 何だかわからないが、何かが自分の知らないところで予想外に自分の思惑を邪魔している。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱……それは多少の齟齬そごはあったものの、大枠では予想通りに事が運んだ。いい加減に邪魔になっていたハン族は姿を消し、アルトリウシアは予想を多少上回りはしたが戦禍にまみれ、そして《陶片テスタチェウス》の被害は局限できている。そこからの復旧復興で被害を免れたリクハルドは大きな役割を果たし、財を増やしアルトリウシアでの権勢を高めるはずだった。


 だが、実際に復旧復興事業が始まってみると思い描いた絵図通りに事が進んでいない。アルビオンニア侯爵家とアルトリウシア子爵家が随分と気前よく金をバラまき、サウマンディア伯爵家からの援助もどうやらかなり潤沢なようだ。それぞれの領主が抱える軍団レギオーの対応も極めて速い。が、それらはまだ予想した以上ではあっても予想外ではない。やること自体は予想していた。ただ、やることの程度が予想を上回っていたという程度でしかない。

 ただ一人、ヘルマンニだけがリクハルドが予想したのとは違う動きをしている。アンブースティア、海軍基地城下町カナバエ・カストリ・ナヴァリア、アイゼンファウスト……それら被害を受けた地域の郷士は自分のところの被害の復旧復興にかかりっきりになる。そして、それらを唯一被害を受けなかったリクハルドが助ける。そういう流れになるはずだったのに、ヘルマンニは自分の所管する海軍基地とその城下町の被害復旧を放置してアンブースティアの復旧復興と、外からの資材や物資に搬入に尽力している。リクハルドが果たすはずだった役割を、ヘルマンニが奪ってしまっているのだ。

 そして、そのせいでリクハルドが出るに出られなくなってしまっている。この状況で無理に出て行けば赤字が出る。いくら領主たちや他の郷士たちに“貸し”を作って権勢を高めるためとはいえ、さすがのリクハルドも赤字を出してまでやろうとは思わない。この状況でせめて利益を得ようと思ったら、あとは海軍基地と城下町の復興に食い込むぐらいしかないのだが、今のヘルマンニにそれを始める気配がない。こっちから伺いを立てても断られたんじゃもう話にもならない。


合点がてんが行かねぇぜ……何かあるに違ぇ無ぇんだ。

 ヘルマンニの爺ぃ、裏で何かやってやがんじゃねえか?」


 リクハルドは自分の思惑を邪魔している何か……それのカギがヘルマンニにあるような気がし始めていた。


「何かって、何です?」


「わからねぇ……わからねぇが、何だかクセぇぜ。」

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