第638話 噂の真相

統一歴九十九年五月七日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



「ヘルマンニ卿が?」


 セーヘイムの郷士ドゥーチェヘルマンニ・テイヨソンがネストリを使ってリュキスカを調べている‥‥‥リクハルドのその予想にアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は思わず眉を寄せた。


「おう、ヘルマンニの爺さんトコのどもぁ《陶片ウチ》にゃ来ねぇからよ。

 《陶片うち》で調べもんすんなら、《陶片うち》の店を縄張りにしてるネストリんトコに頼むのが間違いねぇだろ?」


 リクハルドの言う通り、ネストリが協力している相手というルートで探っていくならばヘルマンニかサムエルあたりが一番怪しい。だが、ヘルマンニはアルトリウスらからいくらでも情報を聞き出せる立場にある。リクハルドはそのことを知らないのでヘルマンニを疑いたくなるのも無理はないが、可能性としては低いと言わざるを得ない。

 アルトリウスは口元に手を当て、人差し指で自分の鼻の頭を撫でながら無言のまましばらく考え、おもむろに口を覆っていた手を肘掛けに戻すとリクハルドの考えを否定した。


「ふむ、おっしゃりたいことはわかりますがヘルマンニ卿ではないでしょう。

 ヘルマンニ卿ならネストリ殿を使わず、直接リクハルド卿に頼って来るのではありませんか?」


 リクハルドはそれを聞くと飛びのくように仰け反り、驚いたような表情を作った。


「まさにその通り!」


 そのままリクハルドは身体の力を抜くように再び身を屈めるように前のめりにしながら話し続ける。


「ヘルマンニの爺さんはアレでちゃんと筋は通す人だ。

 他人の縄張りシマを荒すような真似はしねぇ。

 だから俺っちもヘルマンニの爺さんだとは思えねぇのよ。

 だけど……」


「ネストリ殿を動かすとすればヘルマンニ卿ぐらいしか考え付かない?」


「その通りだ、若大将!

 だから今、手下どもに黒幕を洗わせてんのよ。」


 大きな身体を屈めて上目遣うわめづかいで見上げて来るリクハルドをジッと見下ろしたまま無言で考えるアルトリウスにリクハルドはニヤリと小さく笑う。


「何か心当たりがあるんですかい?」


「いやっ……ありませんな。

 ヘルマンニ卿もサムエルも、どちらもこの件に関わっているのは確かです。」


 その一言にリクハルドは無言のまま眉をヒョイと持ち上げ、目を丸くし、口笛でも吹くように口をわずかにすぼませる。


「ですが、ヘルマンニ卿やサムエルが探っているとは思えません。

 二人には私から確認を取っておきましょう。」


 リクハルドはバッと身体を起こした。


「いやぁ!

 それには及ばねぇぜ、子爵公子アルトリウス閣下ぁ!

 スパルタカシウス様とおんなじように、俺っちが話をつけてやらぁな。」


 まだ断定はできていなかったから「今手下どもに黒幕を洗わせてる」と言いはしたが、もし黒幕の正体が確実にわかったならリクハルドにとってそれはビジネスチャンスである。そいつに情報を売り、秘匿保持を名目に調査を止めさせる。そうすればそいつからも情報料を貰えるし、リュキスカの情報を独占的に扱う事が出来るようになるのだ。

 リュキスカとリュキスカをめとったという謎の御大尽のことが公表され、新上級貴族パトリキとなったリュキスカに関する情報の需要が高まれば、その情報を独占的に扱えるリクハルドには相当な利益が見込めるだろう。


 ヘルマンニはまだ疑わしいだけの存在なのでリクハルドの側からアプローチを仕掛けることはできなかった。もしそれでヘルマンニがリュキスカのことなど知らなかったら、守るべき秘密を自ら明かすことになりかねないからだ。だが、ヘルマンニもリュキスカの事を知っていることをアルトリウスの口から教えられた今なら、ヘルマンニに売り込みをかけることが可能となる。

 なのにアルトリウスがヘルマンニに釘を刺し、しかも実際に黒幕がヘルマンニだったりしたら、そしてヘルマンニがアルトリウスから情報を得るからリクハルドからは要らないなどと言ったら、利益が目減りしてしまう。金銭だけの問題ではなく、ヘルマンニに対して貸しをつくれるチャンスを不意にしてしまうことになるではないか。それはリクハルドの望むところではなかった。


「いえ、二人はスパルタカシウス様と違って公務で頻繁に会いますから、その時に話をします。」


 突然、リクハルドの出した大きな声にも動じることなく、アルトリウスが落ち着いた調子でそう言うとリクハルドは少し残念そうに声を低くして言った。


「そ、そうかい?

 まあ、閣下がそう言うんならしょうがねぇ、それでいいけどよぉ?」


「ですが、ネストリ殿の背後は調べてください。

 ネストリ殿がリュキスカに何故興味があるのか、背後に誰かいるのか……

 それが私の知っている相手なら良いですが、そうでないなら問題になりかねません。」


 儲け話一つ逃したと思った矢先にアルトリウスからこう言われ、リクハルドは元気を取り戻した。


「お?……おう、そいつぁもう手ぇ付けてるし構わねぇけどよ。

 ただよう、何つーの?

 俺っちもよぅ、ただ《陶片ウチんトコ》の住民黙らせりゃいいだけだと思ってたのによぅ、まさかこうも貴族ノビリタスどもが大勢関わって来るもんだとは思ってもみなかったからよぅ?」


 そう言ってわずかにいやらしい笑みを浮かべるリクハルドにアルトリウスは一瞬驚き、そしてフーッと呆れたように溜息をつく。


「分かりました。それは別料金で支払いましょう。」


「さっすが『白銀のアルトリウス』様だぁ、話せるぜ!」


 頭痛でも我慢しているかのようなアルトリウスとは対照的に嬉々としてはしゃぐリクハルド、その二人を見ていたクィントゥスはリクハルドにわずかに侮蔑の入り混じった視線を向ける。

 アルトリウスはリクハルドに対して釘を刺した。


「ただしリクハルド卿、これは成功報酬とさせてください。

 今は我々は……」


「なぁーに、そんくれぇイイってことよぉ!

 領主様が今大変てぇへんだってことぐれぇ俺っちだって知ってらぁな。」


 仰け反りながら顔の前で手を振ってそう言うと、リクハルドはポンと自分の膝に手を置き、再び顔を突きだす。


「そんかしよぅ、話を一つ聞かせてくださいや。」


「何でしょうか?」


「なあに、他でもねえトゥーレスタッドの話よ。」


 リクハルドは前かがみになっていた上体を起こすと、今度は左へ傾けて左の肘掛けに体重を預けた。ハーフコボルトのアルトリウスが使う事を想定して貴族ノビリタス用の家具としては異常なほど無骨で頑丈なデザインの椅子がギシッと音を立てる。


「トゥーレスタッド?」


「おうよ、トゥーレスタッドに砲台を造るってぇ話があるじゃねえか?

 んでよぅ、そんだけじゃなくてトゥーレスタッドに街も作るんだってぇ?」


 ついさっき、リクハルドがメルヒオール・フォン・アイゼンファウストから聞かされた噂話だ。リクハルドとしてはそれが事実であるならば影響が大きく、気が気ではない。

 だがアルトリウスからすればそれはあずかり知らぬ話だった。何を言い出すのだこの人は?……とばかりに困惑を浮かべる。


「そのような話は聞いておりませんが?」


「ホントかい!?

 トゥーレスタッドに砲台を造るってのはマジなんだろ?」


 アルトリウスは左右の肘掛けを掴み、上体をほぐすように背筋を伸ばし左右に身をよじりながらフーッと鼻から長く息を吐いてから答えた。


「砲台を造る計画はありますが、まだ具体的にはなっておりません。

 今は測量だけ始めているのではありませんでしたかな?」


「測量始めたんならもう造っちまうんじゃねぇのかい?!」


 リクハルドの焦る様子にアルトリウスは苦笑を噛み殺しながら答えた。


「いえ、砲台を建造するにも地形がわからないとどういう規模の砲台が作れるかわかりませんし、どれくらいの資材が必要になるかもわかりません。

 砲台建造の見積もりを出すための準備作業ですよ。

 だいたい、砲台を造るとしても街の復興が先ですから、早くても着工は春頃だろうと見ております。」


「その前に先に街を造っちまうってこたぁ無ぇのかい!?」

 

 砲台建造を始めたら、工事に携わる作業員たちの生活を支える必要がある。そのために砲台より先に街を作ってしまうという可能性は十分考えられた。もしそうならたとえ砲台建造がまだ先だとしても、建築資材がトゥーレスタッドへ流れてしまう可能性は十分ある。リクハルドが請け負うはずの海軍基地城下町カナバエ・カストリ・ナヴァリア復興工事がまるごと流れてトゥーレスタッドの街の建設が優先されることになれば、リクハルドは損失を被ることになりかねないのだ。

 それを知ってか知らずか、アルトリウスはまるっきり他人事のように答える。


「街については全く聞いた覚えはありません。

 もちろん、砲台が造られることになれば街も作ることにはなるでしょうが、それはヘルマンニ卿の領分でしょうな。」

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