第641話 病巣

統一歴九十九年五月七日、午後 - エッケ島・ハン支援軍本営/アルトリウシア



 ヨンネがセーヘイムへ帰った後、モードゥは物資の搬入をゴブリン兵どもに任せ、今やハン族にとっての“王宮”となっているハン支援軍アウクシリア・ハンの本営へと戻った。


「おお、モードゥ!

 今戻ったのか?」


 薄暗いホールを自分たちに割り当てられた場所へと歩いていると、奥から声をかけて来る者があった。暗さに目が慣れないため姿は良く見えなかったが声だけでも誰かは分かる。

 モードゥは声の主に向かって拱手きょうしゅしながら頭を下げる。


「おお、ディンキジク様。

 はい、只今戻りました。」


 声の主はハン支援軍アウクシリア・ハンのナンバー2、ディンキジク。このところエッケ島を要塞化するために方々へ視察を繰り返し、留守にしていることが多かったが今日は早くから戻って来ていたようだ。


「補給物資の受け入れ、御苦労であった。

 して、首尾の方はどうであった?」


「ハッ、今日は見たこともない奴が来ておりまして、捕虜や住民を解放せよなどと、うるさいことを要求してきまして参りました。」


「何、イェルナクがいないのが分かってる癖にそのようなことを言ってまいったのか!?

 誰だそいつは?」


「ハイ、セーヘイムのレーヴィとかいう奴の息子で……たしかヨンネとか名乗っておりましたな。

 なんでもあのセーヘイムのヘルマンニの甥にあたるのだそうでして‥‥不遜にもヘルマンニの名代だと言っておりました。」


「レーヴィ?」


 ディンキジクはその名が頭の中に引っかかったようで、顎に手を当て髭をさすりながら考え始める。モードゥはそれに気づくと、よもや名のある人物だったかと不安になり、用心深く尋ねた。


「ディンキジク様は御存知でしたか?」


「いや……ああ!確かセーヘイムの戦船ロングシップの船頭ではなかったか?

 確かそんな名の奴がいたはずだ。」


 レーヴィ・ユレルミソン……それはかつて《九鬼》群島海賊討伐戦の折、何故か出しゃばって参陣していたハン族が海賊共の集中攻撃を受けて危機に陥った時に駆け付けてくれた軍船ロングシップの内の一隻を指揮する艦長の名だった。ヘルマンニの姉アルヤの夫でもあるが、現在は高齢のため引退していたために彼らにとっては存在感が薄くなっていたようだ。

 ディンキジクはその名を思い出せたが、モードゥは思い出せないでいるらしく、首を傾げる。


「そうでしたか?

 ともかく、私も最初は『お前なんぞ知らん。身分の不確かな者の相手は出来ん。軍使を立てるなら身分の確かな者を寄こせ。』と突っぱねてやったのですが、自分の上はヘルマンニだと、ヘルマンニは艦隊提督プラエフェクトゥス・クラッシスだから、応対するにはムズク様が出て来ねばならなくなるぞなどと申しましてな。」


 それを聞いたディンキジクはあからさまに顔を歪め、不快感を露わにする。


「くぁぁぁっ!!

 戦わずしてレーマに尻尾を振った海猿どもが生意気な!

 我ら誇り高きハン族と対等なつもりでいるのか!?」


 ハン族は気位の高い民族だ。だが、レーマ帝国と戦った末にその軍門に降り、今こうして支援軍アウクシリアなどという使い捨て同然の傭兵部隊として故郷から遠く離れ、不遇の時を過ごしている。その彼らにとって元々レーマの支配下にあったわけでもなかったのに、レーマと戦う事もなく自らすすんでレーマの支配下に入り、その走狗となって大きな顔をしているセーヘイムのブッカたちは嫌悪の対象でしかない。ディンキジクの態度はまさにそれを反映したものであり、モードゥも嫌そうな表情を作ってそれに追従してみせた。


「まったく、身の程を知らん奴らです。」


「それでどうした?」


「ええ、それでさすがにムズク様にるいを及ぼすわけにはまいりませんからな、あえて話を聞いてやりましたとも。

 そしたら、先ほども申しましたように、やれ人質を解放しろだの、水兵どもを解放しろだの、船を返せだのと愚にも付かんことを言って来るのです。」


「なんという奴らだ。

 奴らが我らの『バランベル』号を修理するまでは返さんという話になっておったはずではないか!?

 大体、何でイェルナクが居らん時にそんなことを言って来るのだ!?」


「全くです。話にもなりません。

 私もホトホトあきれ果てました。

 あのような者共の相手を一手に引き受けるなど、イェルナク様の器量の大きさたるや私のような凡人では計り知れませんな。」


「それで貴様はどうしたのだ?

 まさか相手してやったのではあるまいな?」


「まさか!」

 

 モードゥは大袈裟に仰天して見せ、それからまた元のように声を低めて陰口でも叩くかのように話を続ける。


「私も自らの領分はわきまえております。

 『それはイェルナク様が所管されておることだ。イェルナク様でなければわからん。』と言って突っぱねてやりました。」


 モードゥの説明に満足したのかディンキジクはウンウンと頷いた。


「よしよし、それでよい。

 あ奴ら、おそらくイェルナクの居らん時にイェルナクの仕事とは関係のない者にわざとイェルナクの所管している事を言って揺さぶりをかけておるのだ。」


「揺さぶり……で、ございますか?」


「そうよ、イェルナクが居らん時にイェルナクに断りもなく他の者が話を進めて見よ、我らの中に不和が生じようが!?」


 元々強かった猜疑心さいぎしんが蜂起失敗以来、一層強くなっているディンキジクには何もかも誰かの陰謀ではないかと勘繰る癖がついてしまっていた。だがそのような愚にも付かない勘繰りも、ハン族随一の智将と称えられた彼の言葉となって出てくると不思議と説得力を持ってしまう。モードゥはディンキジクのその指摘にひどく感心し、大きく頷いた。


「なるほど!さすがディンキジク様……彼奴きゃつらそのような姑息こそくな手を……」


「卑怯者の海猿の考えそうな事よ……我らの団結にヒビを入れ、ハン族を瓦解させようと目論んでおるのだ。

 他の者にも伝えよ!決して奴らの手に乗ってはならんと!!」


「承知しました。主だった者には間違いなく伝えておきましょう。」


「うむ、他には何かなかったか?」


「はい、塩の配給を減らされました。」


「何だと!塩を!?

 貴様、それを認めたのか!?」


 信じられない……まさにそういう表情でディンキジクはモードゥの顔を睨みつける。モードゥはその剣幕に狼狽うろたえた。


「申し訳ありません。

 この時期は冬越しの準備で塩漬けをたくさん作るから、どこでも塩が足らなくなるそうで、他の軍団レギオーでも配給を減らして居るようなのです。」


 モードゥが心底申し訳なさそうに説明すると、ディンキジクは地団駄を踏みながら憤慨する。


「何を言っとる!?

 今までそんなことなかったではないか!!

 何で今年だけそうなるのだ!?

 貴様はそんなウソも見抜けんのか!?」


「いえ!私もそれを言ってやりましたとも!!

 ですが奴ら、『今年はお前らが街を焼いたから、倉庫が焼けてしまったのだ』などとをつけてきまして……」


「くぁぁぁぁぁっ!!!

 なんという恥知らずな奴らだ!

 癖に!そんなことまで我らのせいにするのか!?」


「まったくしからん奴らです。」


「貴様はっ、貴様はそれに、何と言い返してやったのだ!?」


「いえ、ワタクシは……」


「い、言い返さなかったのか!?」


「ことはメルクリウス団に関わることです。

 イェルナク様が居られぬところで私が適当なことを言うと……」


 モードゥはそう言いながら声を潜めた。

 メルクリウス団の陰謀という説をでっち上げ、ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱の責任をすべてメルクリウス団に擦り付ける……それはイェルナクが発案し、イェルナクが進めているだった。ハン支援軍アウクシリア・ハンのフロントマンであるイェルナクが作戦を成功させるためには、他の者たちがイェルナクの与り知らぬところで好き勝手なことを言わないようにせねばならない。でなければ、でっち上げた陰謀論にが生じることになりかねないからだ。そしてそれは、つい先ほどディンキジク自身がモードゥに言った事でもあった。

 ディンキジクはそのことに気付き、ハッとして手で自分の口元を抑える。


「むっ‥‥そ、そうだな‥‥うむ、私としたことが危うく……

 モ、モードゥよ、貴様よく我慢したな?」


「いえ、これも日ごろのイェルナク様とディンキジク様の御指導のおかげです。」


「う!?うむ……」


 思わず感情に流され、我を失っていたことに気付き、その事実に狼狽ろうばいしていたディンキジクだったが、モードゥの御追従おついしょうに自尊心をくすぐられ、落ち着きを取り戻していく。

 どうやらディンキジクが気を落ち着かせたらしいことを見て取ったモードゥは安心したのか、さらに調子のいいことを口にし始めた。


「ですがご安心ください。

 一応、奴らには塩はちゃんと配給しろと、しっかり言ってやりました。

 それに料理の味付けに使う塩を海水で代用すれば、今回減らされた分は何とか間に合わせることできます。」


 モードゥがヨンネから聞いた工夫を、さも自分のアイディアであるかのように語ると、ディンキジクは驚き、感心したようにしきりに頷いてみせる。


「おお!なるほど……さすがだモードゥよ。

 貴様も中々の知恵者よの。」


「いえ、私などまだまだディンキジク様には遠く及びません。」


 ナルシスト傾向の強いディンキジクは御世辞を言われると気分が良くなる、どこか単細胞なところがあった。蜂起の失敗によりハン族全体を危機的状況に追い込み、その後もやることなすこと裏目に出てばかりでイェルナクに負担をかけるばかりだったディンキジクはここのところすっかり精神的に不安定になっており、周囲の者たちのこういう小さな御追従で何とか心の安定を保っているような状態だった。

 モードゥも普段から目上の者に対して御追従を述べることに抵抗を抱かないタイプの人間ではあったが、このような状況になってからはディンキジクに対してはより積極的に御追従を繰り返すようになっている。

 そのためか、最近ディンキジクのモードゥに対する好感は非常に高くなっていた。


「うむ、うむ……モードゥよ。貴様は才能がある。

 きっといつか、ワシの跡を継いでハン族を盛り立てることになるだろう。」


 満足気に頷き、そう言うディンキジクはいつの間にかモードゥを自らの跡目と見込むようになったようだ。

 機嫌のよくなったディンキジクは、落ち着いた様子を取り戻す。


「おお、そうだ……そういえば頼んでおいた漁網はどうだった?

 手に入りそうか?」


「おまかせを、そのヨンネという奴に漁網を寄こすよう命じてやりましたとも。」


 二人は先ほどまでの表情がウソのように変わり、その顔には笑みが浮かんでいる。


「そ奴は何と?」


「奴ら海猿ごときにディンキジク様の深慮遠謀しんりょえんぼうを見抜くことなどかないませぬ。

 金を出す……そう言ってやったら持ってくると言っておりました。

 漁業を営むと、そう信じておるようでございました。」


 モードゥがそう報告するとディンキジクは満足そうに頷き、二人は静かに笑いあった。

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