第1062話 サルタティオ
統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐
アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は
まいったな……一昨日の飲みすぎたせいか?
まったく、リクハルド卿のおかげで酷い有様だ……
一昨日の夜、サウマンディアから来たマルクスを歓迎する
ハッキリ言ってこういう日は無理せず寝ているべきである。仕事だなんてとんでもない。が、そういうわけにはいかない。アルトリウスは
だが、アルトリウスはここのところ数日、まともに表敬訪問を受けることが出来ていなかった。宿舎として扱っているこの
今朝も本当なら昨夜は
で、体調不良を
「
アルトリウスは頬杖を突いたまま
「ふん……
貴様、脱走しようとしたそうだな?」
言われたネロはピクッと身体を震わせ、チラリと頭をあげてアルトリウスを見上げるとすぐに身体を縮こませた。
朝一番の表敬訪問はネロだった。ネロたちは交代でアルトリウスか、アルトリウスの家令であるマルシスに表敬訪問することになっており、彼らの表敬訪問は他の被保護民よりも優先して一番に受けることになっている。これはネロたちが正式にアルトリウスの被保護民になった時に決められていたことだ。
「わ、私はただ……母に……」
「母だろうが何だろうが外出は許可できん。
それは
貴様だって承知していたはずだ。」
言い訳を始めたネロを遮るようにアルトリウスが言うと、ネロはビクビクと小さく震わせていた身体をピタリと硬直させた。
「逃亡奴隷として処刑でもされることになれば、貴様の母は余計に悲しむのではないか?」
畳みかけるようにアルトリウスが言うと、ネロの身体が再び震え始める。先ほどまでの怯えたような落ち着きの無い震えではなく、内から湧き上がる感情が溢れているような震え方だ。
「し、しかし……母は……母は関係ないのに……」
ハァーーーッとアルトリウスが盛大な溜息をつき、ネロがブルッと身を震わせる。
「そういうのも含めて罰なのだ、ネロ。」
ネロが顔をあげ、アルトリウスを見上げた。憐れを誘うような、縋るような眼をしていた。アルトリウスは頬杖を止め、身体を起こすとネロを見下ろした。
「死刑になる者、奴隷に堕とされる者、
だが、それのどれであれ、罰せられて苦しむのは当人ばかりではない。
罰せられた者の家族も、近親者も、愛する者が罰せられることに苦しむのだ。それは、どんな刑罰だろうと同じことだ。
罪人に愛する者がいて、その者は無実であるにもかかわらず愛ゆえに悲しみ苦しまねばならないからと言って、その罪人の刑罰を軽減できるか?」
アルトリウスの顔を見上げたまま唇を震わせたネロは、何かに耐えかねたように顔を伏せた。
「愛する者が罪を犯してしまったことに悲しみ、苦しみ、そして罰せられることに悲しみ、苦しむ……それが善良な者ならばな。
そういう愛してくれる者たちがいるにも関わらず罪を犯した……それもまた罪なのだ。
無責任な行動によって、自分を愛してくれる者を悲しませ、苦しませた……そういう罪なのだ。
罪を犯すということは、そうやって自分を愛してくれた多くの人たちを必ず巻き込むのだ。」
もっと上手い言い回しがありそうなものだが、どうも良い言葉が浮かんでこない。二日酔いのせいだろう。アルトリウスは話を中断し、無意識に顔を
ふいに訪れた無言の時……ネロがブツブツと小声で溢し始める。
「……なんで……なんで自分だけ……」
「何か言ったか!?」
聞き取れなかったアルトリウスがネロに問いかけた。しかしその口調はアルトリウスの二日酔いのせいか
「じ、自分だけです!!」
「何がだ?」
「同じ
自分だけです!!」
レーマ軍では
涙を
「ならば何故思いとどまらなかった?」
アルトリウスの声は低かったが、殺気かと思えるほどの迫力がある。ネロは思わず口を結んだ。
「貴様は
リュウイチ様への攻撃を決断したのはお前だ。
リウィウスもオトも反対していたんだろう?
なのに貴様は軍命に背いて攻撃を決断し、反対していた部下たちをも巻き込み、奴隷に堕とした。
違うか!?」
ネロはアルトリウスの言葉にビクッと身体を震わせ、丸く見開かれた濡れた目でアルトリウスを見つめたまま、数度小さく顔を横に振り、次いでバッと顔を伏せた。その拍子に、床にポタポタと涙が落ちる。
アルトリウスはネロの肩が小刻みに震えているのをしばらく見つめ、それから小さくため息をついて短く告げた。
「母親との面会の件は、諦めろ。」
上からしばらく観察したが、ネロの身体は小刻みに震え続けていて頷いたようにも見えるし、頷いていないようにも見える。
「その代わり、お前の母親にはお前が特殊作戦に就いていると言っておいてやる。」
ヤレヤレと言った様子でアルトリウスが言うと、ネロがハッと顔をあげた。何を言っているのか分からない……そんな表情だ。
「母親にはそう言っていたのだろう?」
ネロを見下ろしてそう問いかけるアルトリウスの顔には、笑みも好意も浮かんではいない。どちらかというと面倒くさそうな表情だ。
「は……はい……」
呆けた様子で生返事を返すネロに、アルトリウスは呆れたように頬杖を突きなおした。
「特殊作戦か……まあ、間違っちゃいないからな。
貴様の説明を私か
それで納得しておけ。」
「あ……ありがとう……ございます。」
「脱走騒ぎを繰り返されたんではかなわんからな……だが」
アルトリウスは頬杖を突くのを止め、よっこらせとばかりに身体を起こすと両膝に両肘をついて顔を前に突き出し、ネロを上から覗き込むように睨みつける。
「今すぐは無理だ。
わかってるな?
今日と明日は侯爵夫人の御一家と、
私も
だから早くても明後日以降だ。」
「はいっ!
ありがとうございます、閣下!!」
ネロは叫ぶようにそう言って平伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます