第535話 ブルグトアドルフ前門

統一歴九十九年五月七日、夕 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



「閣下!!」


 馬車の外から呼びかけられ、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は向かいに座っているジョージ・メークミー・サンドウィッチとの会話を中断した。薄絹を張った窓越しに声をかけて来た百人隊長ケントゥリオに用を伺う。


「何か?」


「ハッ、スパルタカシア様の馬車が停止しました。

 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアとの間隔が開いております。」


 百人隊長の報告を聞いたカエソーはメークミーと無言のまま目を見合わせ、窓を開けると顔を出して後ろを見た。

 報告の通り、ルクレティアの馬車は停止しており、それに伴い護衛のアルトリウシア軍団もその後ろの避難民たちも足を止めている。おかげでサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアとの間に百ピルム(約百八十五メートル)以上の距離が開いてしまっていた。


「何をしているんだ?」


「分かりません。

 馬車の周りに人が集まって、何かしているようです。」


 誰に問うでもなくつぶやいたカエソーに百人隊長が生真面目に答えた。が、その答えには何の価値も意味もない。カエソーはわずかに顔をしかめて停止を命じる。


停ぇ止っプローイベーレ!!」


停止ーープロイベーレっ!!」「ぜんたーいトートゥム・コルプス止まれープローイベーレ!!」


 命令が復唱され、カエソーの馬車とサウマンディア軍団はその場に停止した。理由も分からずに馬車が停止し、薄暗い車内で外の様子が分からないメークミーは戸惑いながらカエソーに問いかける。


「何かあったのですか?」


「…スパルタカシア様の馬車が停止したようです。

 今、様子を確認させます。


 状況を確認せよ!」


 カエソーはメークミーに小声で簡単に説明すると、馬車の外にいた百人隊長に少し強い口調で短く命じる。百人隊長の方は既に状況確認のために連絡将校テッセラリウスを派遣していたが、それでも「ハッ」と応じ、周囲の部下たちに警戒態勢を取らせた。

 外の様子を気にしつつも、窓から顔を出すわけにもいかずメークミーはソワソワし始める。


「スパルタカシア様…彼女に何かあったのですか?」


 カエソーは窓を閉じると、姿勢を元に戻した。


「わかりませんな。今、確認させております。

 まあ、大した問題ではないでしょう。

 彼女を守る兵士らも、落ち着いているようですし…気になりますか?」


 馬車の中に灯りは灯されていない。外から入って来る松明のわずかな光を映して、互いの目と輪郭がボンヤリと見えるような状況だ。そんな中でメークミーはカエソーの目がジッとこちらを見ているのに気づき、ソワソワとさせていた態度を改めた。小さく咳ばらいをして姿勢を正す。


「ええ、まあ…正直に申しまして興味はあります。

 あれほどの力を持った若い聖貴族がムセイオンの外にいたとは思いもよりませんでしたので…」


「それについては、同じ説明を繰り返しますが我々の口からは何も言えないのです。

 ただ、言えるのはムセイオンに報告してないわけではありません。」


 メークミーは馬車の中で何度か同じ話を繰り返しており、その度にカエソーは同じ説明を返していた。

 申し訳ない…という口調でカエソーはそう言ったが、カエソーの目には申し訳ないという感情は浮かんでいないようにメークミーには見えた。薄暗い中で、輪郭と目だけが浮かび上がって見える状況だからこそ、作った表情が消されて目の光だけが強調される。


 またか・・・


 メークミーはカエソーの目をジッと見たまま溜息を押し殺した。

 それから程なくして、様子を見に行かせた連絡将校が駆け戻って来る。


「ほ、報告します!!」


 ちなみにカエソーが率いているサウマディア軍団は元々アルビオンニウムのケレース神殿テンプルム・ケレースと、神殿の調査のために派遣されたスカエウァ率いる神官団を守るために派遣された部隊であるため、馬は持って来ていなかった。だから普通ならこういう行軍の際は百人隊長だけでも騎乗したりするものなのだが、今回は全員が徒歩である。当然、様子を見に行った連絡将校も自分の脚で走ってきたのだった。

 息を切らせた連絡将校の声に気付くと、カエソーはメークミーの方を見たまま上体を窓側に寄せる。


「閣下!」


 連絡将校からの報告を聞いた百人隊長が馬車の外からカエソーを呼び出した。


「何だった!?」


「ハッ、どうやら精霊エレメンタル様の御遣みつかいが参られ、スパルタカシア様が御神託をお受けになられておられるそうです。」


「御神託だと!?」


 カエソーは己が耳を疑った。そして、その向かいで報告を耳にしたメークミーは目を丸くして上体を伸びあがらせる。


「ハッ、御神託の内容は未だ不明ですが、何やらスパルタカシア様と精霊様の御遣いとの話が長引いておられるご様子のため、取り急ぎご報告まで。」


 百人隊長が報告を終え、カエソーは窓に顔を寄せた態勢のまま視線だけをメークミーの方へ向ける。メークミーは何やら色めき立った様子でカエソーと窓のすぐ外の百人隊長に交互に視線を送っていた。


「精霊様がわざわざ御遣いを寄こすとは…

 やはり彼女は只者ではないようですね。」


 カエソーの視線に気づいたメークミーは感嘆の言葉を口にしながら、半ば前のめりにしていた上体を背もたれへ預ける。


「そのようですな…」


「あ、動きがありました!」


 カエソーがメークミーに相槌を打つと、直後に外の百人隊長が報告する。カエソーは報告を受け、窓を開けて顔を出すと後方を見た。ルクレティアの馬車の周りで松明が揺らめいているのが見える。どうやら整列しなおしているようだった。


「終わったようです。

 行軍を再開しようとしています。」


 言われなくても見ればわかることではあったが、百人隊長が一応報告する。カエソーはフンッと小さく鼻を鳴らした。


「よし、行くぞ。出発しろ」


「待たなくてよろしいのですか?」


 カエソーの命令に百人隊長は若干驚いたように質問する。百人隊長は降臨のこともルクレティアが聖女サクラになったことも知っている、サウマンディア軍団では数少ない将校の一人だ。当然、一昨日の顛末てんまつも承知しているし、その過程で《地の精霊アース・エレメンタル》の力が大きく影響したことも知っていた。

 今回、自分たちには精霊が味方をして加護を与えてくれている。その精霊が何かメッセージをもたらしたとするならば、それは彼らにとっても重要な事であるはずだった。だが、カエソーはそうは考えなかった。


 自分たちに加護を与えてくれている精霊はルクレティアの…より厳密にはリュウイチの精霊である。その精霊はルクレティアと共にあり、使い魔を寄こしてくるはずもない。つまり、御遣いを寄こしたという精霊は自分たちとは関係のない精霊のはずだ。


「御神託の内容は気になるが、かまわんだろう。

 どうせ目的地はもうすぐなのだ。

 日が完全に暮れてしまう前に到着して、それから聞けばよい。

 急ぎの用があるなら、向こうから早馬を飛ばしてくるだろう。」


 カエソーは百人隊長にそう言うと顔を引っ込め、窓を閉めた。

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