第789話 予想外の訃報

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 《暗黒騎士ダーク・ナイト》……その存在は世界で最も広く知られているにも関わらず、分かっていることはほとんど何もない謎の存在である。大戦争の末期に突然現れ、世界中のゲイマーガメルを駆逐したのちに忽然こつぜんと姿を消してしまったため、その名前以外何も分かっていない。その名前自体は《暗黒騎士》と戦ったことのあるゲイマーが消される前に語っていたので分かってはいるのだが、いつ、どこで誕生(あるいは降臨)し、何故に世界中のゲイマーを襲ったのか、不死身のはずのゲイマーをどうして殺すことができたのか、何故姿を消したのかは謎のままだ。

 圧倒的な能力と不滅の肉体を持ち、仮に殺しても必ずどこかで復活してこの世界ヴァーチャリア全域で猛威を振るい続けたゲイマーたちを、いともたやすく一掃した恐るべき絶対強者……それが《暗黒騎士》に対するこの世界の共通認識であり、歴史に記録された客観的事実である。


 ゲイマーでさえ逃れえぬ死の運命をもたらす絶対者……人々に刻み込まれたそのイメージは、その正体が不明であるがゆえに様々に脚色されて語り継がれることとなった。

 たとえば一部の宗教では悪魔のごとく恐れられていたゲイマーを倒したことから神の御使いとして位置付けられている。また大戦争中、啓展宗教諸国連合側ではレーマ皇帝のことを“魔王”と呼んでいたが、彼らの守護神であったはずのゲイマーを一掃したことから《暗黒騎士》を“真の魔王”と位置付ける宗教もある。しかし、どの勢力、どの宗教においても《暗黒騎士》という存在が常に“究極の死”というイメージで捕えられている点では共通していると言えるだろう。特に一般に不死と思われていたゲイマーにさえ死をもたらしたことから、「死を忘れるなかれメメント・モリ」という警句の象徴として《暗黒騎士》は死神以上に定着しているのだ。


 単純なイメージと結びついた謎の存在はまたあらゆる文化芸術の分野で活動する芸術家たちにとって非常に便利な存在でもあった。このヴァーチャリア世界において《暗黒騎士》を題材とした芸術作品は数知れず、小説や演劇などでも便利に使われた。

 レーマの劇作家トミヌスは、劇中で登場人物たちの愛憎を複雑に絡ませて話を大きく広げ、この問題をどう解決するんだろうと観客の関心が頂点に達したところで《暗黒騎士》を登場させ、登場人物全員を皆殺しにして終幕にするという乱暴な展開で有名になった。ちなみにトミヌスは《暗黒騎士》による同じ展開を用いた二作品目で「虐殺者カエソル」とあだ名されるようになり、同じ展開を用いた三作目で飽きられた。

 トミヌスの手法はもっとも極端な例と言えるが、トミヌスに限らず《暗黒騎士》に登場人物を殺害させて話を強引に終幕へ持っていく手法はかなり広く用いられ、あまりにも便利に使われることから「機械仕掛けの悪魔ディアボロス・エクス・マキナー」などと揶揄やゆされるようにもなっている。


 ともあれ、《暗黒騎士》を死神の親玉みたいに位置付けるイメージはかなり広まっており、特にそうした小説や演劇に多く触れて育ったフロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスの場合などはその印象を普通の人よりもかなり強く深く刻み込まれているようであった。


ゲイマーガメルでさえたやすくほふったんですよ!?

 そんな《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したところへ行くだなんて、死にに行くようなもんじゃないですか!」


 同僚議員たちにとってフロンティーヌスは大人しい印象しかない。不平不満があっても他の議員たちに、特に恩人であるフースス・タウルス・アヴァロニクス相手に取り乱したり何かを強く訴えたりするようなことはこれまで全くなかった。それはフロンティーヌスが元々大人しい性格だったからではなく、家人らに色々と言い含められてフーススらの前ではとにかく大人しくするように徹していたからである。このため、今のフロンティーヌスの取り乱しようはフーススをはじめ元老院議員たちにとって意外も意外で、思わず目を丸くして呆気に取られてしまうほどだった。


「待て!待て待て待て!!」


 元老院議員セナートルともあろうものが人前で取り乱すなど本来あってはならないことだ。フロンティーヌスの後見役であるフーススは周りの同僚議員たちの唖然とした表情を見、慌ててフロンティーヌスを止めに入る。だがフロンティーヌスは止まらなかった。


「待てですって!?

 だってこれが大人しくしていられることですか!?」


「だから待て!」


「タウルス卿!

 僕は貴方を信頼していました!

 貴方が僕に良くしてくださるからです!

 実際、貴方は僕を元老院議員セナートルにしてくださったし、リガーリウス家を立て直してくださった!

 なのに今度は死ねとおっしゃる!!」


 どんっ!!


「黙れぃ!!」


 フーススがその丸太のような腕で円卓メンサを叩き、叫ぶと全員が身体をビクッと振るわせて一斉にフーススへ視線を向ける。

 まくし立てている間、フロンティーヌスの目は誰も見ていなかった。潤んだ瞳は自らの涙で溺れるように右へ左へと泳ぐだけで、その意識は自らを憐れむ言葉を探すのに集中していたわけだが、フーススの怒声と拳の轟音による衝撃でフロンティーヌスは自己憐憫じこれんびんを停止させる。そしてそのまま先ほどまでの騒ぎが嘘のような静寂が訪れた。

 フロンティーヌスの視線の先では顔を茹蛸ゆでだこのように真っ赤にしたフーススが頭から湯気を上げながらこっちを睨んでいた。そのあまりの形相にフロンティーヌスはゴクリと唾を飲む。それは『怒れる猛牛イラトゥス・タウルス』そのものであり、対峙して怖気づかぬ者などまずありはしないだろう。


 こ、殺される?


 背筋の凍るのと同時に視界が狭く暗くなるような感覚にフロンティーヌスは襲われたが、しかし彼の目の前の猛牛タウルスは実際にフロンティーヌスに襲い掛かることは無く、フーフーと荒い息を繰り返しながら徐々に怒りの様相を鎮めていった。そしておもむろに茶碗ポクルムを手に取ると、中に入っていた香茶を一気に飲み干す。


「落ち着けリガーリウス卿、けいは何か勘違いしておる。」


 空になった茶碗をタンッとやや強く叩きつけるように卓上に戻すと、フーススは抑制を利かせた声で語り始めた。


「か、勘違い……?」


「そうだ。

 そもそも卿はどのような噂を聞いたのだ?」


 ビクつくフロンティーヌスからあえて視線を外し、フーススは身体を大きくひねりながら茶碗を掲げ、大袈裟なポーズで壁際に立っている使用人におかわりを要求しながら訪ねた。

 フーススの視線から解放されたフロンティーヌスは無意識に肩から力を抜き、目を泳がせながらポツリポツリと答え始める。まるで叱られた子供のように……


「そりゃあ……ア、アルビオンニアに、《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したって……」


「それで?」


「それで?……それで……ま、また、戦争が起きて……みんな殺されて……」


「ふぅぅぅぅーーーーーっ」


 実際とは明らかにかけ離れた内容にフーススは呆れ、思わず長い溜息をついた。眉間を揉みながらため息をつくフーススにフロンティーヌスは恐れ半分、困惑半分の表情をつくり言葉を止めてしまう。

 そのフロンティーヌスの見ている前でフーススは新しい香茶の入った茶碗を受け取ると、頑是がんぜない子供に言い聞かせるように語り始めた。


「リガーリウス卿、卿の聞いた噂は正確ではない。」


 ズズッとまだ熱い香茶を啜ると、わざと大きく舌鼓を打ち、そしてハァーーーッと見事な香茶の香りと味わいに感嘆しているようにも、目の前のフロンティーヌスに呆れているようにも取れる溜息を盛大に吐いた。そして茶碗を優しく卓上へ戻すと改めてフロンティーヌスへ視線を向け、落ち着いた口調で話を続ける。


「まず、降臨したのは《暗黒騎士ダーク・ナイト》本人ではない。」


「本人……じゃない?」


「そうだ、《暗黒騎士ダーク・ナイト》と同じ肉体と能力を持っているが、別人だそうだ。

 御本人が言うには、《暗黒騎士ダーク・ナイト》の御親戚なんだそうだ。」


「……」


 思わぬ話の展開にフロンティーヌスは黙りこくる。


「《暗黒騎士ダーク・ナイト》が《レアル》でお亡くなりになられた。

 それでこの世界ヴァーチャリアに訃報を報せるために降臨なされたのだそうだ。」


 フーススの声は黙りこくるフロンティーヌスに強く印象付けようというのか、徐々に大きくなっていき、最後は天井にも響かんばかりになっていた。しかし、そこまでいうとフーススは話を止め、再び茶碗を口元へ運んで香りを嗅いだ。

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