ブルグトアドルフの戦い・・・終決へ

第547話 強まる火勢

統一歴九十九年五月七日、晩 - ライムント街道ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 銃声、爆発音が響き、ブルグトアドルフの街から火の手が上がる。まだ夕焼けの赤味をわずかに残した夜空に向かっていく煙が星々を隠し、街から上がる火によって毒々しいオレンジ色に染まりながらあやしく踊っている。

 ライムント街道からその様子を固唾かたずを飲んで見守るブルグトアドルフ住民たちからは、新たな銃声が、新たな爆発音が響くたびになげきの声が漏れ、それが漆黒しっこくに染まりつつある景色の中へ溶けていく。街には既に友人も知人も家族もいない。全員がとうに避難している。だが、そこには数日前まで自分たちの生活があった。自分たちの暮らしが目の前で誰ともわからぬ無法者たちによって焼かれ、破壊されていく。そして、自分たちにそれを止めさせる力はなく、また自分たちを守ってくれている軍団レギオーも同様、目の前で繰り広げられている暴虐ぼうぎゃくを止めようとはしてくれない。


 もちろん、彼らにしたところで軍団が自分たちの街を守るために行動を起こしてくれない理由は理解している。避難したブルグトアドルフ住民たちを守らねばならないからだ。今、街を破壊している盗賊団の一味が、いつこちらに牙を向けるか分からない以上、安易に突撃するわけにはいかない。

 しかし、それが頭では理解できていたとしても、心にドロドロと渦巻き湧きあがるものを抑えるすべはない。自分を育んでくれた故郷が、いとなんできた暮らしが、築き上げて来た幸福が、守ってきた文化が、目の前で理不尽に奪われているのである。平静でいられる人間など居ようはずがなかった。

 彼らは街から避難したとはいえ、街を捨てたわけではないのだ。ただ、盗賊団が危険だから一時的にシュバルツゼーブルグへ避難しようとしていたにすぎない。盗賊団が片付けば、再びブルグトアドルフへ戻って元の暮らしを取り戻すつもりでいたのである。


「ああ…燃える…燃えている!」

「ブルグトアドルフが…私たちの街が…」

「ああ!あれはウチのあたりだ!!」

「やめて!やめさせて!奴らを止めておくれよぉ!!」

「兵隊さん!!あいつらを!盗賊どもをやっつけておくれよお!!」


 背後からの無数の嘆きの声には気づきながらも、ルクレティアにもルクレティアを守る護衛兵たちにも何もできない。

 結局、《地の精霊アース・エレメンタル》からの警告は間に合わなかった。街に多数の賊がひそんでいる…そう教えられ、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアと護衛隊長セルウィウス・カウデクスは即座に、前方を進むカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の一行に伝令を走らせた。だが、伝令が届く前にカエソーらはブルグトアドルフの街へ入り、そして戦闘が始まってしまったのである。


 街に『勇者団ブレーブス』が罠を張っていると分かっている以上、ルクレティアを街に入れるわけにはいかない。セルウィウスはルクレティアの一行とブルグトアドルフ住民らをその場に停止させ、自らが直卒ちょくそつする軽装歩兵隊ウェリテスにルクレティアの一行を守らせ、同時に伝令を走らせて後続の重装歩兵隊ホプロマクスにブルグトアドルフ住民たちを守らせて戦闘の推移を見守るほかなかった。ブルグトアドルフの街に潜んでいるのはおそらく『勇者団』に率いられた盗賊団であろう。一昨日の戦闘で痛打を与えたとはいえ残存数は百を超えるはずであり、その一部が住民たちに手を出してこないとも限らない。

 現に《地の精霊》からは一行の右手、西側の牧草地の向こう側を流れるシュバルツァー川あたりに『勇者団』とおぼしきハーフエルフが隠れているとも教えられていた。


 現時点で、ブルグトアドルフ住民たちには『勇者団』の存在について全く知らされてはいない。今次事件の背後にムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムが存在すると知られれば国際的な大スキャンダルである。できることなら『勇者団』の存在は伏せたままにしておきたい。

 だがもしも『勇者団』が直接襲い掛かって来て、ブルグトアドルフ住民たちの目の前でアルトリウシア軍団と戦ったりしたら『勇者団』の存在を隠しきることは難しくなってしまうだろう。

 だからルクレティアはセルウィウスと相談し、西の川岸に隠れている『勇者団』への対処は《地の精霊》に任せることにした。こちらの目の届くところに出てこないように抑えてほしいと。捕まえなくてよいのかという《地の精霊》の提案も、ブルグトアドルフ住民たちの目に触れる危険性を回避するために遠慮している。今の時点で下手に捕まえると、彼らの存在を隠したくても隠し切れなくなってしまう可能性が出て来るからだった。


 幸いなことに、その後西の方から『勇者団』が襲って来る様子はない。おそらく、《地の精霊》によって抑え込むことが出来ているのだろう。だが、目の前で起こっているブルグトアドルフの戦況は想像以上に苛烈かれつに見える。まして、目の前で上がり始めた火の手は急激に広まりつつあった。

 ルクレティアは流石さすが切羽詰せっぱつまったモノを感じ始めていた。


「カ、カウデクス様?」


 何かが喉につっかえているような様子のルクレティアが何を言おうとしているか、セルウィウスは何となく見当がついていた。


「何でしょうか、ルクレティア様?」


「さ、流石に火の手の勢いが強いようですが…」


 軍団と盗賊団が戦っているというだけであれば、それは軍団の仕事の領分であり前述したように聖女サクラであるルクレティアがあえて介入する理由にはならない。だが、火災…それも規模の大きな大火となると話は変わってくる。

 火災は規模が大きくなれば精霊エレメンタルが宿って《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始める危険性が出て来る。そうなると最寄りの聖貴族が対応に当たらねばならなくなるのだ。つまり、ルクレティアが出て行かねばならなくなる。


「はい…しかし、今はまだ…」


 セルウィウスは躊躇ためらいながらもルクレティアに自制をうながしつつ、ルクレティアを挟んで向こう側で様子を見ているスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルをチラッと見た。スカエウァも神官であり聖貴族コンセクラトゥスである。聖女になる以前であれば、ルクレティアよりスカエウァの方が魔力は強かったはずであり、そして男性でもある。

 しかしスカエウァもまだ十代後半の若者でこうした経験は少ない。思いもかけずに始まった戦闘や火災に圧倒され、ただ茫然ぼうぜんと口をあけて眺めていた。だが、セルウィウスが咳払せきばらいし、周囲の視線が自分に集まっている事に気付くと、ようやく自分の役割と責任を思い出す。


「え!?…あ、ああ…そうだな。

 まだ、《火の精霊》は顕現してないと思うが、このままの勢いで燃え広がればいつ顕現してもおかしくないな…

 そ、そうだ!私が火の手の様子を…見てこ・・・よう…」


 貴族ノビリタスとしての立場から施された教育に従って言葉を発したのだが、口にしながらもその意味に考えが至るとさすがに尻込みしてしまう。最後の方は気まずそうに言い淀み、そして言い終わった後にはゴクリと唾を飲んだ。


 あそこへ行くのか!?自分が?これから?


「プルケル様、現場は大変危険です。

 ですが、貴族の責務を果たすとおっしゃるのであれば致し方ありません。私の部下を二個十人隊コントウベルニウムほど護衛に御付けいたしましょう。

 ルクレティア様、よろしいですか?」


 ホントはルクレティアは《地の精霊》を呼び戻して火災の対処を頼もうかというつもりでセルウィウスに尋ねたのだったが、ルクレティアが具体的に言及しなかったことからセルウィウスはあえてその選択肢を回避した。

 ここにはスカエウァが居るのだから、利用しない手はない。


「え!?…ええ…プ、プルケル様、大丈夫ですか?」


 予想外の展開になってしまったものの、考えてみれば筋は通っているので文句は言えない。言われてみれば当たり前なことだった。だが、当のスカエウァはルクレティアが見たことないくらいに動揺しているようで、思わず本気で心配になってくる。

 しかし、スカエウァは虚勢を張って見せた。レーマ帝国において…というよりヴァーチャリア世界のほとんどの地域において、男性は常に“男らしさ”を求められる。勇敢さはその最たるものであり、「臆病者ティミドゥス」と言われるくらいなら死んだ方がマシなのだ。


「う、うん!もも、もちろんだとも…

 ではカウデクス殿、御厚意に甘えて部下をお借りいたします。」


 スカエウァにとって幸いなことに、その言葉は実行に移されなかった。ブルグトアドルフからサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの伝令が届いたからだった。

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