第409話 作戦前倒し
統一歴九十九年五月五日、夕 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム
東西を山地で挟まれたアルビオンニウムの日照時間は少しばかり短い。稜線の彼方へ去った陽の光は、まだ空を赤く照らしてはいるが地表は一足先に
もしかしたら
既に暗くなりつつある廃墟の谷底から赤く燃える空を見上げながら、デファーグ・エッジロードはそんなことを思った。その赤く燃える空に、小さな黒い影が羽ばたいているのが視界の端に映っている。
「エッジロード様、前を見ておられた方がよろしいでしょう。」
馬に乗ったまま空を見上げるデファーグを見かねたのか、ファドが脇から声をかけてきた。
「あ!?…ああ、そうだな、ファド。
済まない、脇見してたら危ないな。」
「そうではありません…いや、それもありますが…」
デファーグが姿勢を戻してファドに返事をすると、ファドがためらいがちに続ける。
「間もなく夜になります。地上は既に暗い。
それなのに明るい空を見ていると、目が暗さに慣れません。
夜は、明るいものを見ない方が良いです。」
デファーグはてっきり脇見していると迷子になるとか、そういう事を言われているのだと思っていたので、意外な指摘に驚きファドの方を見た。ファドはデファーグの視線に気づくと、
「なるほど、それは気づかなかった。
教えてくれてありがとう、ファド。」
「いえ、恐縮です。」
デファーグが素直に礼を言うと、ファドは却って困ったように身を縮ませる。
「でもファド、俺たちは仲間だし、今は身分を隠してるんだ。
“様”も敬語も要らないよ。普通にデファーグと呼んでくれ。」
「ハッ、申し訳ありません…デファーグ様…」
まだ
その二人の様子を後ろから見て、ファドがデファーグと何かもめごとでも起こしたかと心配したペトミーが追い上げて二人に並んだ。
「どうした、何かあったのか!?」
「いえペトミー様、何もありません。」
ファドは慌てて否定する。その態度にペトミーはますます心配になった。ファドはたとえ相手が悪い場合でも、それが自分より身分が上の者だったら庇ってしまうことが度々あったからだ。
「ホントか?」
「本当だよペトミー、俺は良いことを教わった。
俺は空を見上げてたんだが、これから暗くなるのに明るい空を見ていたら夜目が利かなくなるから、明るいものは見ない方が良いって教えてもらったんだ。」
デファーグが機嫌よさそうにそう言うと、ペトミーはやっと安心したようだった。たちまち機嫌を良くし、得意そうに自慢を始める。
「そうだろう!?
ファドは外での活動で役に立つことを色々知っているんだ。
忍び込めと言われたら、きっと魔王城にだって一人で乗り込んで来るぞ。」
「ペ、ペトミー様、さすがにそれは…」
ペトミーの大袈裟な言い草にさすがに照れくさいのかファドが慌てて否定し始める。しかしペトミーは止まらない。
「いいじゃないかファド、謙遜するな。
実際、ムセイオンを出て以来、お前以上に役立ってる者など他に居ないぞ。」
「そのような事はございません!」
「いや、ペトミーの言うとおりだ。
あんなに誰にも気づかれずに敵の館に侵入して帰ってくるなんて、俺たちじゃ出来ないよ。道中の宿を見つけてくれたのだって、海を渡るときの船を手配してくれたのだってファドだった。
俺たちはムセイオンから出たことなかったからな。分からないことだらけだ。」
ペトミーのみならずデファーグまで誉め始め、ファドはますます居心地悪そうに身を縮めてしまう。ファドの馬の足元を寄り添うように走る大きな黒い犬は尻尾を振りながらも心配そうにファドを見上げた。
「おっと、ティフ!止まってくれ!!」
ペトミーが大声を出して先頭を走るティフを呼び止めると、一緒に走っていた全員が馬を止めた。ティフは振り返り、そのままペトミーのところまで馬を寄せて来る。
ペトミーが空を見上げて手を振ると、上空からバタバタと小さな羽音が聞こえてきた。先ほど、デファーグが空を見上げていた時に視界の端に見えていたコウモリだった。だが、イザ近くで見るとその大きさに驚きを禁じ得ない。翼幅は目一杯広げると八フィート(約二・四メートル)にも達し、胴体の長さだけでも十八インチ(約四十六センチ)ほどにもなる。この大きさのコウモリが飛んで、先ほどのような小さな羽音しかさせないのは意外も意外、不思議で仕方がない。
ジャイアント・バット…ペトミーが使役しているモンスターの一匹である。夜行性のため薄暮から夜間の偵察にはもってこいのモンスターだ。ただ、大型のコウモリが大抵そうであるように、ジャイアント・バットも草食性で特に理由がない限り人間を襲うことは無い。長く生きたコウモリが何かの拍子に魔力を得てモンスター化したものだとされ、見た目は気持ち悪いが人畜無害である。ペトミーに言わせれば、懐いて甘えて来る姿はむしろカワイイらしい。ただ、扱いに困るのは腕にとまらせようとすると、腕に乗るのではなくぶら下がることだろう。おかげで念話するために顔を近づけようとすると、腕を高く上げなければならない。すると、ジャイアント・バットの肛門がちょうど顔の高さに来るので臭い。ジャイアント・バットに限らず、コウモリは飛んでる間に糞をまき散らすので飛んで帰ってくると大抵臭いのだ。
「どうだ?」
ジャイアント・バットと念話を始めたペトミーにティフが尋ねる。敵の様子や部隊配置の進捗状況を偵察させていたのだ。
「大丈夫だ。
盗賊どもは配置を完了して、第一部隊は罠の準備を始めている。第二もだ。
ただ、宮殿跡にいたサウマンディア
盗賊団は作戦に合わせて三つのグループに分けてある。番号は攻撃を開始する順番で、第一部隊は宮殿跡の攻撃を担当。第二部隊は北西から神殿を攻撃、第三部隊は南東から神殿を攻撃する。第一部隊は宮殿跡を攻撃したら神殿を南西方面から攻撃しつつ第二部隊に合流する手筈になっている。
「サウマンディア
ブルグトアドルフの住民たちは?」
「宮殿跡に残ったままだ。
騎兵どもだけで十分と判断したんじゃないか?三十くらいいたはずだし」
「奴ら、住民どもを見捨てたのか?」
むしろ住民たちを護るために兵力をもう少し宮殿跡に回すんじゃないかとすら思っていたティフにとって少々不可解な行動だった。
「どうする?
宮殿跡への攻撃は止めて盗賊団全部を神殿に向かわせるか?
今ならまだ間に合うぞ。」
スモル・ソイボーイが御自慢の懐中時計を見ながらティフに問う。攻撃開始はルクレティアが祭祀を始めるはずの午後九時ごろの予定で、まだ三時間以上の余裕がある。
「いや、宮殿跡への攻撃は陽動として必要だ。
もしかしたら神殿に向かった部隊がそっちへ戻ってくるかもしれないからな。
忘れるな、盗賊たちの役目は敵軍の注意を引き付けて時間を稼ぐことだ。神殿を攻略することじゃない。」
ティフが落ち着いてそう言うとデファーグが異論をはさむ。
「だが、宮殿跡の近くで予定通りに火災を起こしても、もう対応できる兵力は残っていないんだぞ!?
あそこにいる住民たちに被害が出てしまう!」
「だからこそ、神殿から敵兵が消火に向かわなくちゃならなくなるんじゃないか」
「向かわなかったらどうする!?」
ティフを問い詰めようとするデファーグにスモルが横槍を入れる。
「デファーグ、その辺にしとけ。
火災は北寄りに起こすことになってる。火は北の神殿からは実際以上に派手に見えるはずだ。
それに、仮に敵兵が救援に向かわなくても住民が逃げるルートは確保されている。大丈夫、住民の被害は心配しなくていい。」
「だが!…!?」
パパパパパーン・・・・
デファーグがなおも食い下がろうとしたところで、遠くから破裂音のようなものが聞こえ、全員が息を飲んで聞き耳を立てる。
パパパパパーン・・・・
「銃声!?」
「まさか…始まっちまったのか!?」
「早すぎる、どうなってる!?」
「盗賊どもの誰か見つかっちまったんだ!!」
「どうするティフ!?
まったく想定外の出来事に全員が動揺し始めた。どの部隊が見つかったのかはわからないが、本職の軍隊の攻撃を受ければ盗賊団ごときに対抗できるわけがない。誰かが言ったようにアッと言う間に蹴散らされてしまうだろうし、そうなっては陽動の手が一つ潰れてしまう。
「おっぱじめちまったのはどの部隊か分かるか!?」
「方角と距離からして、多分第一部隊だ。」
「仕方ない、予定よりかなり早いが始めてしまおう!
第一部隊は今準備できている分だけでも火災を起こさせ、あとはなるべく敵を引き付けながら逃げるように伝えてくれ。」
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