第408話 薄暮の不期遭遇

統一歴九十九年五月五日、夕 - アルビオンニウム市街地/アルビオンニウム



 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア第八大隊コホルス・オクタヴァを率いるピクトル・ペドーはケレース神殿テンプルム・ケレースで急遽開かれた軍議の後、すぐに馬に乗って船着き場へ急行、ひとまず浜で野営の準備を完成させていた部下たちの陣へ駆け戻ると、そのまま全軍に戦闘準備を下令して宮殿跡へ向かい進行を開始していた。おかげで彼はケレース神殿テンプルム・ケレースで用意されていた夕食ケーナを摂り損ねており、部下たちが用意はしたものの食べてなかった残り物の四つ割パンパニス・クァドラトゥスを貰い、馬上でそれを革袋に入れた安ワインロラで胃に流し込みながら重装歩兵ホプロマクスの先頭を進んでいく。


 それというのも彼ピクトル自身は大隊長ピルス・プリオルを拝命してはいるが貴族ノビリタスの出身ではなく、平民プレブスの中でも割と貧しい家の出身であり、贅沢に憧れのようなものはあるが頓着はしない傾向があったからだ。むしろ彼は実際的な現実主義者であり、生まれついての貧乏性ゆえか無駄なことは好まない。

 彼がアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに比べればかなり実戦の機会の乏しいサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア大隊長ピルス・プリオルにまで出世したのは、やコネなども無いわけではないが、工兵としての実績を積み上げてきた結果だった。

 彼の貧乏性に起因する何事も無駄を好まず必要最小限で早くする傾向は、工兵としての彼の評価を大きくする要因となっていた。他の者ならば必要は無くともマニュアルに従ってしっかりやる部分を、彼は自分で無駄だと判断した部分は容易に簡素化してしまうのだ。結果、彼が指揮する工事では他の者が指揮する場合に比べ消費する資材が少なく、時間も早く、兵の消耗も少なくなった。それでいて工学的な原理などはちゃんと理解した上でそれをやっているので、手抜工事にありがちな不具合もあまり出さなかたった。

 結果をちゃんと出したうえでそれなので、軍団司令部トリブニにも部下たちにも好まれ、出世を重ねて現在に至っている。ゆえに、大隊長ピルス・プリオルという並の軍団兵レギオナリウスの三倍の給料を貰える立場になった今でも、無駄な奢侈しゃしに流れることなかった。ロリカの下に着ている物も軍団兵レギオナリウスと大差なかったし、食事も胃さえ満たせば内容に頓着しないのだった。


 ただ、今はそれが悪い方へ出てもいた。彼の部下の軍団兵レギオナリウスたちは夕食ケーナの途中でいきなり出撃準備を命じられて飛び出してきている。全員の胃に未消化の食事が詰まっていたし、中にはまだ夕食ケーナを食べ終えていない者も少なからず居たのだ。


「ングッ…んっ!?ブフッ!!…ゲホッゲホッ!!」


 馬上で口に含んだパンパニス安ワインロラで流し込もうとした瞬間、気管に入って咳き込んでしまう。


 やはり馬に乗って隣を進んでいた百人隊長ケントゥリオがそれを見て顔をしかめながら言った。


「だから言わんこっちゃない!

 大隊長殿ピルス・プリオル!食事など向こうに着いてから摂られればよいではありませんか!!」


 百人隊長ケントゥリオ下級貴族ノビレスの出身だった。育ちの良い彼にはピクトルの軍人としての才覚は尊敬していたが、このような野卑な部分がどうにも好きになれなかった。だいたい、馬上で食事を摂るということ自体がそもそも無謀なのだ。


「ゲホゲホッ…んぐっ…ふぅ~~

 そうも言ってられんのだ、エウクレス!

 今度の敵はいつ、どう行動するか分からん!

 防衛体制は急いで完成せねばならんのだ!!

 それに…」


 ピクトルは自分をたしなめてきた百人隊長ケントゥリオに言い返す。その声に怒気のようなものは含まれていない。ピクトルは自分のそういう行儀の悪さ、育ちの悪さが彼のような貴族ノビリタスには不快に見えることをよく承知していたからだ。


「それに…何です!?」


「この四つ割パンパニス・クァドラトゥスは焼きたてなんだ。

 まだ温かい!冷めない内に食べないと不味くなる!」


 それを聞いて百人隊長ケントゥリオはヤレヤレと首を振って、話すためにピクトルに近づけていた馬を離し、ピクトルの邪魔にならないよう距離を開けた。


 百人隊長ケントゥリオ自身はおそらく善意から忠告していることをピクトルは承知していた。彼の家族も同じで、彼の妻や使用人たちもよく彼のこうした行儀の悪さに小言を言っていた。こういう小言や忠告は確かに聞かされる方も不快ではあるが、そういう積極的な讒言ざんげんに反発することが自分から人心を遠ざける結果にしかならないことを、ピクトルは知っていた。

 だからピクトルはあえてパンが出来立てだと言い訳をしてみせた。ピクトル自身はパンなんか温かかろうが冷たかろうが気にする人間ではない。ただ、育ちの良い貴族ノビリタスの彼ならば、それを言い訳にしたほうが受け入れやすかろうと踏んだのだ。実際、ピクトルが小脇に抱えた四つ割パンパニス・クァドラトゥスはとっくに冷めている。


 ピクトルがこうまでして急いでいる理由は、別に彼の性分だけではなかった。

 あの軍議の後、ピクトルたちは再度ルクレティアと会い、《地の精霊アース・エレメンタル》を交えて話をした。もちろん、《地の精霊アース・エレメンタル》は直接話をしてくれないのでルクレティアを介してではあったが、それによって敵の配置などもかなり詳細に知ることが出来ていた。さすがにどの敵部隊がどういう武装をしているかなどは分からなかったが、どの位置にどの程度の敵が集まり、どの方向へ移動しているかは《地の精霊アース・エレメンタル》が教えてくれた。

 それによれば敵は確実にケレース神殿テンプルム・ケレースを、西、東南、南の三方向から包囲しようとしているようだった。しかし、一つ一つの敵部隊は一個百人隊ケントゥリアぐらいの兵力しかない。こちら側にはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア合わせて千人近い正規兵がいるのだから、戦力差はほぼ四倍…仮に敵が一斉攻撃して来ても簡単に蹴散らすことが出来るだろう。

 問題なのは『勇者団ブレーブス』の存在だった。


 ハーフエルフを含む聖貴族コンセクラトゥムたちが戦力的にどれほどになるかは未知数だ。こちらが正規兵であっても百や二百程度の戦力では不意打ちを食らえば全滅させられてしまう程度の力はあると思われる。おそらく彼らの中にいるであろうとヴァナディーズが予想した『勇者団ブレーブス』のリーダー、ティフ・ブルーボール二世の父親ティフ・ブルーボールは、数人の仲間とともにレーマ軍の軍団レギオー一個を撃退した伝説の持ち主だ。息子がそれに準じる力を持っているとすれば、一人で一個百人隊ケントゥリアくらい相手にしてしまうかもしれない。

 そんな強力な相手だが、しかしこちらが全力で攻撃して良い相手でもなかった。聖貴族コンセクラトゥム…特にゲイマーガメルの血を引き強力な魔力を有する彼らはこの世界ヴァーチャリアの発展に必要不可欠な存在とみなされている。間違って殺傷してしまえば、それだけで大問題になりかねない。


 だが、そんな彼らの存在を今現在、ピクトルは部下たちに打ち明けるのを禁じられていた。実は彼の部隊、第八大隊コホルス・オクタヴァでリュウイチが降臨したことやルクレティアが聖女サクルムになったことを知っているのはピクトルと数人の部下たちだけなのだ。軍団兵レギオナリウスは全員、今回のアルビオンニウム派遣はアルトリウシアで起きた叛乱事件の復興支援だとしか知らされていない。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱し、アルトリウシアの街が大きな被害を受けた。ゆえにその復興支援のためアルビオンニウムへ赴く。…で、来てみたら大規模な盗賊団が暴れていて住民たちが避難して来ていた。情報によれば今夜、住民たちやケレース神殿テンプルム・ケレースを襲撃する公算が高い。ゆえに避難してきた住民を保護する!


 …軍団兵レギオナリウスたちはそのように理解している。

 大隊コホルスがアルビオンニウムでティトゥス街道再開通工事に従事している間に、おそらくリュウイチの降臨に関する秘密指定は解除されるであろうとは予想されてはいる。だがその間、第八大隊コホルス・オクタヴァが外部と全く接触しないわけではない。第八大隊コホルス・オクタヴァの補給や将兵の生活を支えるために、御用商人たちがアルビオンニウムで酒保しゅほ営業等の商業活動を行うことになっているのだ。第八大隊コホルス・オクタヴァの将兵に不必要な秘密を教えると、そこから秘密が漏れてしまう可能性がある。それを危惧したサウマンディア首脳部によって、第八大隊コホルス・オクタヴァ軍団兵レギオナリウスたちには降臨のことは教えないこととされてしまっていたのだ。


 軍団兵レギオナリウスに秘密を打ち明けないまま今回の作戦に従事させ、なおかつ問題が生じないようにするためには第八大隊コホルス・オクタヴァは『勇者団ブレーブス』とは絶対にぶつからない位置に移動し、盗賊団とだけ戦わせた方が良い。

 《地の精霊アース・エレメンタル》のによれば、『勇者団ブレーブス』は東南東から攻め込むグループのさらに外側から北へ向かっているらしいことから、ケレース神殿テンプルム・ケレースの北~北東方面の岩場から潜入して奇襲をしかけて来ることが予想されていた。


 そこで、第八大隊コホルス・オクタヴァケレース神殿テンプルム・ケレースの南に位置する宮殿跡に急行し、まずは避難民を保護する。そして戦闘が始まったら南からケレース神殿テンプルム・ケレースを攻める盗賊団の背後を急襲きゅうしゅうすることとされたのである。

 代わりにセルウィウス・カウデクス率いるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの護衛部隊と、スカエウァ・スパルタカシウス・プリオルら神官たちの護衛で先行してアルビオンニウムに派遣されていた二個百人隊ケントゥリア軽装歩兵ウェリテスたちはケレース神殿テンプルム・ケレースに直接籠って盗賊団の襲撃に備える。彼らは既に降臨について知らされているため、『勇者団ブレーブス』について説明しても問題ないし対応も出来ると判断されていた。


 ともかく、ピクトルは自分の歩兵大隊コホルスを陽が沈むまでに宮殿跡に急行させなければならない。盗賊団が攻撃を開始するのはおそらく日が暮れてからであろうとは予想されているが、具体的にいつから攻撃を開始するかまでは予想できていない。最悪、日が落ちてすぐに攻撃を開始されたとしても対応できるようにするためには、日が落ちる前に宮殿跡で準備を完成する必要がある。

 また、彼らは急ぎ過ぎていたため松明などを用意してなかった。到着前に完全に暗くなってしまわれると、道が分からなくなって到着が遅れてしまうかもしれない。


百人隊長ケントゥリオ!前方に何かいます!!」


 廃墟の中を急ぐ彼らの先頭を進む軍団兵レギオナリウスが声をあげた。


「何だ、賊か!?」


 既に日は稜線に没しており、見上げる空はまだ赤々と燃える様に明るいにもかかわらず地表付近…特に廃墟の街並みは夕闇に支配された世界となっている。暗がりで見えにくいが、馬上のピクトルからは人影が何やら道路を横断するようにロープを張っている様子が伺えた。


「エウクレス!」


「ハッ!

 第五十二百人隊ケントゥリア・クィンクワジンタ・ドゥオ続けセークィ・メー!!」


 ピクトルが声をかけると百人隊長ケントゥリオは自分の百人隊ケントゥリアを率い、前方で何か作業をしている不審者たちに向かって突進した。

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