第1150話 クレーエの帰還

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



 結局あの後、クレーエはレーマ軍の警察消防隊ウィギレスに追われ逃げ回ることになった。霧のおかげで姿を見られたわけではないが、乗っていた馬のいななきとひづめの音を聞かれてしまい、追い回されることになってしまった。もしかしたら馬に乗ってきたのは失敗だったかもしれない。

 《木の小人バウムツヴェルク》の魔力感知を頼りに警察消防隊の視界の外から動きを監視しつつ逃げ続け、警察消防隊が諦めて帰途につくまでたっぷり一時間以上はかかっただろう。そこから念のために遠回りしてアジトにしている山荘にたどり着いた時、霧はとっくに晴れて陽もだいぶ高く昇り、人々の挨拶が「おはようグーテン・モルゲン」から「こんにちはグーテン・ターク」に代わり始めるであろう時間帯になっていた。


 山荘の手前のカーブで馬の速度を落とし、そこから見える山荘の周辺に配置された見張りに手を挙げて軽く挨拶をする。それを見た見張りは顔を背け、明後日の方を見ながら手を挙げ、耳を掻く様な素振りで手を握ったり放したりを数回繰り返す……「異常なし」の合図だ。クレーエはそのまま馬の腹を軽く蹴り、山荘の入り口まで馬を進める。

 山荘の煙突からやけに盛大に煙が上がっている。レーマ軍の目につかないよう、火は抑えるように言ってあったはずだが守られてないようだ。


旦那ヘル!」


 山荘の玄関前には何人かの盗賊がたむろしており、クレーエに気づくとぞろぞろと近づき、馬から降りるクレーエを取り囲み始めた。言いつけを破って火を焚いてせっかく暖かくしたであろう山荘から外に出て集まっているのは一見すると不可解に思えるが、その理由についてクレーエは何となく想像がついていた。


「何だお前ら、どうかしたのか?」


 盗賊の一人に手綱を預けながら問いかける。


ルメオ様ドミヌス・ルメオが起きたぜ。」

「ああ、レルヒェが相手してんだが機嫌が悪ぃんだ。」

「何とかしてくれよクレーエの旦那ヘル・クレーエ。」

クレーエの旦那ヘル・クレーエが帰って来るのを待ってんだ。」

 

 盗賊たちは口々に聞かれもしないことまで報告し始めた。もちろん彼らは別にクレーエに認めてもらおう取り入ろうなどと考えてそうしているわけではない。彼らの表情に共通しているのは困惑であり、クレーエに救いを求めているのだった。

 まあ、仕方がないのだろう。こうなるであろうことはクレーエにもある程度予想は付いていた。もしクレーエが彼らの立場にあれば、クレーエ自信もこうなっていたかもしれない。要はムセイオンの聖貴族コンセクラトゥス様を持て余しているのだ。平民がいきなり貴族の子供なんか預けられたら誰だって持て余すだろう。当然だ。

 彼らも『勇者団』ブレーブスがどこかの貴族のボンボンだろうぐらいには思っていた。闇で流れて来た魔導具マジック・アイテムを手に入れたのをいいことに、歴史上の英雄を気取って冒険者ごっこをやってるのだ。そう思っていた。それはファドの誘導にもよるものではあったが、まあこの世界ヴァーチャリアの住民ならそう考えてしまうのが常識だろう。

 しかし実際は「どこかの貴族のボンボン」どころではなかった。この世でもっとも高貴とされる聖貴族であり、彼らの持っている魔導具も怪し気な闇品ではなく、由緒正しい真っ当な聖遺物アイテムだった。彼らが混乱するのも無理はないだろう。

 ムセイオンの聖貴族……世界でもっとも高貴とされる彼らは俗世から隔離された特別な存在とされている。俗世間から隔絶した彼らは「どこかの貴族のボンボン」のように気安く扱って良い存在ではない。皇帝ですら礼を欠かすことの出来ない相手がいきなり目の前に現れては、さすがに動揺しないではいられるわけもなかった。

 彼らは無法者アウトローではあるが根っからの悪党ではない。元々は堅気カタギの素人衆であり、つい最近食うに困って仕方なく盗賊稼業に手を染めた者がほとんどなのだ。そしてそうであるからこそ、彼らの本性は小心者なのだ。心の準備も出来ていないのに上級貴族パトリキよりもさらに高貴な人物を目の当たりにして、何をどうしていいのか分からなくなってしまっているのである。もしかしたらこの盗賊どもはもはや自分が何者なのかすら忘れてしまっているのかもしれない。だとすれば、今のかしましく騒ぎ立てる姿こそ彼らの本来の在り方なのだろう。


 クレーエは面倒くさそうに盗賊どもを押しのけながら玄関へ向かった。


「で、朝飯は?」


 相変わらず盗賊どもはかしましい。一つの質問に一人が一つ答えてくれればそれで十分だというのに、一つ聞くと十は答えが返って来そうな勢いで喋り捲る。


「とっくに食っちまったさ。」

「酷いんだぜルメオ様ドミヌス・ルメオ

 一人で俺らの三倍は食っちまうんだ。」

「あれじゃ残りの食いもんもあっという間だぜ!」

「ダックスの奴ぁ喜んでたけどよぉ」

 

 玄関までの昇りの階段でクレーエは足を止め、後ろをついて来る盗賊どもを振り返った。盗賊たちはしゃべるのを一斉にやめ、ジッとクレーエを見上げる。


「俺の朝飯は?」


「だから、ルメオ様ドミヌス・ルメオが食っちまったよ。」

「残ってねぇぜ?」

「いや、パンブロートは残ってるよ。」

「あとソーセージだ。」

「ハムと干し肉もあるぜ?」

「あと漬物だ。ザワークラウト。」

「干しブドウもあったか?」

「ちょっとだけな。」

スープズッペはもうないぜ。」

「イモもだ。生のはあるが茹でたのは全部食われちまった。」

「茹でなおせばいいだろ?」

「バターがちょっとしか残ってねぇ」

「ちょっとじゃねぇだろ、壺であっただろ?」

「今のペースじゃあっという間さ。

 三日と持たねぇぜ?」


 何がしてぇんだコイツラ?


 しゃべり止まない盗賊どもに呆れ果てたクレーエは首を振りながら盗賊どもをその場に置き去りにして山荘へ入った。


 扉を開けるとそこは大広間だ。戸も窓も締め切られた屋内は暗く、大広間に入って正面、最奥にある巨大な暖炉で焚かれている火が唯一の光源である。扉が開かれたせいで寒気と共に陽光が差し込むと、大広間にいた人間はクレーエの進入に簡単に気づくことができた。暖炉から少し離れた位置でたたずんでいた男がクレーエに築くと声を殺したままパッと笑顔を見せ、暖炉の前に一人うずくまっている人影を指さして何か口をパクパクとさせている。その男はレルヒェだった。レルヒェにはエイーのことをよく見ているように言いつけていたのだが、そのせいか盗賊たちからエイーの世話係を押し付けられてしまったのだろう。

 レルヒェが指さした先……暖炉の真正面で座り込んでいた人影がピクリと揺れると、のっそりと立ち上がって振り返る。


「クレーエ!」


 フードから覗いた顔はエイー・ルメオだった。クレーエは一度口をへの字に曲げ、それから両手を小さく広げてフンッと鼻を鳴らす。


「お呼びでしょうか、ルメオ様ドミヌス・ルメオ?」

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