シュバルツゼーブルグの晩餐会

第865話 シュバルツゼーブルグ入城

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ ライムント街道/シュバルツゼーブルグ



奥方様ドミナ、先頭のサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアがシュバルツゼーブルグの街にへぇりやす。」


 馬車の外、御者台ぎょしゃだいに腰かけているリウィウスが車内のルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアに報告する。これはこれより少し前、馬車が稜線りょうせんを越えてシュバルツゼーブルグの街を視界に納めたころ、《地の精霊アース・エレメンタル》がルクレティアにハーフエルフの気配を見つけたと報告してきたためにルクレティアがリウィウスに周囲を警戒するよう求めたことを受けてのものだった。


「何か異変はありませんか?」


 ルクレティアの声にリウィウスは御者台で立ち上がり、前方を進む護衛部隊の頭越しに街の様子に視線を走らせるが、取り立てて変わったところは見当たらない。


「こっから見てっ限り、特になんぇようです。」


 ギシッと音を立てて御者台の椅子に腰を落としながらリウィウスが答えた。車内にいたルクレティア、ルクレティア専属メイドのクロエリア、そしてルクレティアの従兄で元・婚約者のスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルは緊張した面持ちのまま、ルクレティアの真ん前に浮かんでいる薄緑色に光る精霊エレメンタル《地の精霊》に一斉に視線を向ける。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、“敵”は待ち構えているのでしょうか?」


 ルクレティアが尋ねると薄緑色に輝く小さな人の形をした精霊はクルリとゆっくり回ってルクレティアの方を向いた。


『わからぬ。

 街は人間の気配が多すぎて、どれが敵でどれがそうでないやら……』


 今まで起きた戦闘は放棄されて住民のいなくなったアルビオンニウム、そして百戸に満たない小さな宿場町ブルグトアドルフで生起していた。そこには敵と味方だけだったと言っていい。ブルグトアドルフ住民の数は限られていたし、それどころか敵に襲われていた側だったのであえて区別するまでも無かった。

 しかしシュバルツゼーブルグは違う。敵はひそんでいるだろうが、気配だけでは敵とも味方とも区別しかねる一般住民たちが何万人といるのだ。それらの気配がイチイチ雑音ノイズとなり、《地の精霊》の魔力探知をかき乱す。いや、探知そのものは出来るのだが、それが『勇者団』ブレーブス関係者のモノかそうでないかの判断がつきかねるのだ。


「先ほど、お教えいただいたハーフエルフ様たちの気配はどうでしょうか?」


 ルクレティアが再び尋ねると《地の精霊》二回ほどその場でクルクル回ってから答える。


『東へ行ったようじゃ。』


「東……ですか?」


『うむ、走っておる……』


 ルクレティアは体面に座るスカエウァや隣に座るクロエリアと無言のまま互いに目を見合わせた。


 どういうこと?

 先回りして待ち伏せていたんじゃないの?


 一昨日、ブルグトアドルフで捕虜奪還を目指す『勇者団』の伏撃ふくげきを受けたルクレティアの一行は《地の精霊》と《地の精霊》が魔力を与えて眷属けんぞくとしたという《森の精霊ドライアド》、そして救援に駆け付けたアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアによって『勇者団』と盗賊団を撃退しはしたものの、『勇者団』が率いる盗賊団の奇襲を受けたサウマンディア軍団は大きな損害を受け、指揮官たるカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子も瀕死の重傷を負う羽目になった。また戦闘によってブルグトアドルフの街の建物も多くが少なからぬ損害を受けており、一部は放火されて焼け落ちる事態にまで陥っている。


 サウマンディア軍団の負傷者はカエソーも含めルクレティアと《地の精霊》の治癒魔法によってその日のうちに完治してしまっていたが、そのような強力な治癒魔法の存在を、ルクレティアが聖女サクラになり強大無比な《地の精霊》の加護を受けている事実を秘匿する必要から、サウマンディア軍団はカエソーと負傷兵らが負傷を負ったままであることを偽装する必要があった。

 また、住民たちは避難していて無事だったとはいえ目の前で自分たちの街で戦が起きて家々が破壊され、火まで放たれるのを見せつけられた。しかも彼らと一緒にいたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスたちは盗賊たちと戦おうともせず、指をくわえて見ているだけだった。それどころか街へ駆け戻ろうとする住民たちを阻み続け、アルビオンニア軍団が駆け付けてくれるまでサウマンディア軍団と街の被害を拡大するのを見て見ぬふりをしたのだ。そうしたアルトリウシア軍団に対する住民たちの不満はアルビオンニア軍団によって盗賊団の大半が捕まえられるか殺害されるかしただけでは解消することなく蓄積され続けており、どうにか処理する必要があった。

 そして新たに捕虜となった『勇者団』のナイス・ジェークを尋問したり移送準備を整えるために時間も必要とした。


 本来なら『勇者団』側勢力が大損害を受け、損害から立ち直れないうちにブルグトアドルフを発ってアルトリウシアへの帰還を急ぎたかったのだが、こうした理由からルクレティアらは一日予定を伸ばしてブルグトアドルフに留まらざるを得なかったのだ。そして、そうしたルクレティアら一行にとって最大の懸念事項は『勇者団』による再度の襲撃である。


 アルビオンニウムでの戦いであれだけの大損害を出しながらその損害から回復する前にブルグトアドルフで再襲撃してきた『勇者団』だ。ブルグトアドルフで更なる大損害を出し、配下の盗賊団はほぼ壊滅したとはいえ、もう襲撃してこないとは誰も保証できない。

 そして今日ルクレティアらが泊まるのはシュバルツゼーブルグ……元々三万人に届かないぐらいの人口しかいない地方都市だったのが、今は火山災害でアルビオンニウムからの避難民を収容した結果六万人とも見積もられるほどにまで人口が膨らんでいる。当然、増えた人口分を収容するだけの建物は無く、市街地周辺にバラックがズラッとひしめき合い、市街地も買い物やら物乞ものごいやらで多くの人でごった返している有様だ。規模こそ小さいが局所的には帝都レーマに引けを取らない人口過密地帯が形成されてしまっている。

 しかも、当然ながら治安はかなり悪化しており、シュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグが持つ私兵のすべては日頃から治安維持に駆り出されていて余裕が全くなかった。


 『勇者団』ブレーブスがこの人混みを利用して襲撃をくわだてたとしてもおかしくはない。


 それはカエソーやアロイスなどの軍人たちに共通する現状認識だった。そしてその懸念は事前にルクレティアにも伝えられており、《地の精霊》によってシュバルツゼーブルグの街にハーフエルフの存在を確認した時点でルクレティアは先頭を進むカエソーにも、後方からついてくるアロイスにも警告を発していた。


「罠……だと思うかい、ルクレティア?」


 スカエウァが表情を曇らせたまま尋ねる。男とは言えルクレティアより二つ年上なだけの若造で、しかも神官の家系だけあって軍事に関する教育は受けていないスカエウァには現状の状況判断など出来ないのだった。

 しかし、ルクレティアに聞いたところでまともな答えが返って来るわけがない。


「わからないわ……


 その……ハーフエルフ様たちはその後どうでしょうか?

 まだ街に残っておられますか?」


 ルクレティアもやむなく《地の精霊》へ尋ねるが、《地の精霊》も全てを察知できているわけではなかった。再びルクレティアの目の前でクルーリ、クルーリとゆっくり回ってから答える。


『いや……全部街から出て東へ走っておる。

 街にハーフエルフは残っておらん。』


 ハーフエルフは街から出て行って残っていない。だがそれは本当に安全を意味するのだろうか?一昨日のブルグトアドルフでもカエソーたちは待ち伏せを受けたが、街で待ち伏せていたのは盗賊たちだけでハーフエルフたちは街を大きく取り囲むように陣取っていた。シュバルツゼーブルグがブルグトアドルフとは比べ物にならないほど大きな街であることを考えれば、そしてハーフエルフたちには魔法という遠距離攻撃手段があることを踏まえれば、今回はブルグトアドルフの時より大規模な襲撃作戦計画を立てていたとしても不思議ではない。


「やはり、街の外で野営した方がいいんじゃないか?」


 スカエウァの疑念はもっともである。もしもシュバルツゼーブルグのような人の多い場所で襲撃を受ければ、ブルグトアドルフの時のように事態を秘匿し続けるのは難しくなってしまう。だがシュバルツゼーブルグを通らずにアルトリウシアへ帰ることはできない。ならせめて、市街地の外の休耕地を借りて野戦陣地を築城し、そこに宿泊した方がはるかにマシなのではないか……スカエウァはそのように考えていた。


「ダメよ。ここへ来てシュバルツゼーブルグに泊まらないわけにはいかないわ。

 フォン・シュバルツゼーブルグ様には今回馬車だってお借りしてるのだし、私たちを歓迎するための準備だって整えているのよ!?」


 もしここでルクレティアがシュバルツゼーブルグへの宿泊を中止し、スカエウァの提案するように郊外に野営したりしたら、ヴォルデマールの下級貴族ノビレスとしての面目が丸つぶれになってしまう。

 それに二人は気づいていなかったが現実問題として、外が既に暗くなっているのに今から野戦陣地を築城するのは色々と問題がある。夜間の野戦築城が不可能というわけではないが、暗い中での土木作業はそれなりに負担が大きい。おそらく兵士たちがヘバッてしまい、明日以降の行程に支障をきたしかねないだろう。アルトリウシアまでの道程みちのりはまだ半ばなのだ。

 ともあれ、ルクレティアやスカエウァに今日のこれからの予定を変更するだけの知見も権能も無かった。今はただ、襲撃が無いことを、あっても兵士たちが退しりぞけてくれることを祈るしかなかったのである。

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