第864話 出発

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ 『勇者団』ブレーブス郊外アジト/シュバルツゼーブルグ



 大丈夫なのですか?何が?だってインプって悪魔でしょ!?悪魔じゃないさ、妖精の一種だ。でも拘束魔法が効いてないんですよね?そうさ?暴れたり歯向かったりしないんですか?そうなったら殺すだけさ。大丈夫なんですか!?平気だよ、実は前にも何度か殺したことがある。何度か!?ああ、所詮は低位モンスターだ。俺の魔法の一撃で簡単にくたばるさ。ウサギを狩るより余裕だよ。


 ペイトウィンはテーブルの上にスクロールを広げ、魔力を流し込む。召喚スクロールの起動には魔力を流し込むか、さもなければ呪文を唱えるかしなければならない。魔力を使わずに呪文だけで召喚した場合、スクロールにあらかじめ込められていた魔力を消費してモンスターは召喚されるが、魔力を注入して召喚した場合はスクロールに込められていた魔力はそのまま召喚モンスターのかてとなる。つまり呪文で召喚した場合より、魔力を注入して召喚した方が召喚されたモンスターの初期状態での魔力保有量が高くなるのだ。


 召喚スクロールが起動し、スクロールに描かれていた魔法陣が輝き始める。そしてスクロールに描かれていた線のすべてが光った直後、ボンッと小さな爆発音とともにスクロールが一瞬で燃え、まるでマグネシウムでも燃やしたかのように強烈な光が放たれた。そして部屋を満たしていた目に痛みを感じるほどの閃光が収まった時、今まで何も居なかった筈のテーブルの上にソイツは居た。


「よし、成功だ。」


「おお、コイツが!?」


 ペイトウィンは満足げに頷き、エイーは感嘆の声を漏らす。

 召喚に使ったスクロールは既に消滅していたが、テーブルにはスクロールに描かれていたはずの魔法陣がクッキリと黒く焼け写っており、線の一部はまだ赤い火種が残ってくすぶっている。その焦げ臭い臭いを放つ魔法陣の真ん中には、体長約三十センチほどの人の形をした小さな怪物がうずくまり。エイーたちを見上げている。全身は木炭のように真っ黒な肌に覆われ体毛は生えていない。背中にはコウモリのような羽が、そして尻からは先端が矢尻のように尖った細長い尻尾が生えている。鋭く尖った爪を伸ばした手足は細く力が弱そうだが、腹は大きく丸くポッコリ膨れており、見た感じは餓鬼がきそのものだ。目は赤く爛々らんらんと輝き、口角の吊あがった口からは白い牙を覗かせていてまるでイヤらしい笑みを浮かべているかのように見える。それはエイーがかつて本の挿絵で見た悪魔の姿そのままであった。


「キシッ……シッ……キシシシシッ……」


 インプはペイトウィンとエイーを見比べながら、そんな小さな声を漏らすと両手をテーブルにトトンッと突いて四つん這いになり、羽を二度三度羽ばたかせてからピンと大きく伸ばした。そして尻尾を怪しく左右にくねらせて、大きく見開いた目をパチクリさせながら二人を交互に見上げる。


 平伏しているのか?

 ……いや、警戒しているように見える……


「インプよ、言葉は分るな?」


 息を飲んで見守るエイーの心配を余所に、ペイトウィンはズイッと前に進み出た。過去に経験があるからなのだろう、ペイトウィンの態度は自信に満ちておりいかにも“御主人様”といった感じで実に堂々としたものである。


「お前にはこの手紙を運んでもらう。」


 そう言ってペイトウィンが丸めて蝋封した手紙を取り出し、インプの脇に置くとインプは怯えるようにササッと後ずさった。シーッ、シーッと音をたてながら歯の隙間を通して荒く息を吐きだしている。頻繁に首を動かし、周囲を警戒する様はまるで敵意をむき出しにする小猿のようである。


「報酬はこの金貨だ。」


 ペイトウィンは懐からコインを取り出してインプの前にコトリと置く。


「金貨!?」


 驚いたエイーが小さく声を漏らしたが、コインを置いたペイトウィンが手を引っ込めると、そこに見えたのはセステルティウス黄銅貨だった。


 え……金貨じゃない?


 だがインプはペイトウィンが置いた黄銅貨を見ると急に態度が変わる。警戒を薄れさせ、しきりに黄銅貨とペイトウィンを見比べ始めた。


「受け取れ、前払いしてやる。」


 ペイトウィンの尊大かつ冷酷な声を聞くとインプは相変わらず黄銅貨とペイトウィンを見比べながら、おずおずと黄銅貨に手を伸ばした。チョンと片手で触れ、それでもペイトウィンとエイーが何の反応も示さないのを確認すると両手でパッと抱え上げ、それを目をパチクリさせながら様々な角度から眺め始めた。


「キシッ……キシシッ!キシシシシッ!」


 黄銅貨を見ながら興奮してきたのか、インプが立てていた警戒音は次第に笑い声のような響きを帯びはじめた。それが頂点に達するとインプは黄銅貨を両手で高く持ち上げ、それからギュッと胸に抱きしめて頬擦りをしはじめる。どうやら気に入ったようだ。


 え、黄銅貨でも良いんだ……

 確かに真新しいし、この暗闇じゃ金貨っぽく見えるかもしれないけど……


 エイーは呆れていたが黄銅貨を気に入ったらしいインプの様子に満足したペイトウィンは、尊大な態度を崩さずに西を指さした。


「あっちの方に街がある。

 そこにいるルクレティア・スパルタカシアという名の女にその手紙を届けるのだ。」


「……る……るくれった……しゅぱる……」


 インプが首を傾げながらつぶやくと、エイーは「おお、しゃべった」と小さく驚きの声を漏らす。ペイトウィンはエイーを無視し、発音の不確かなインプにやや腹立たし気に重ねて言い聞かせる。


「ルクレティア・スパルタカシアだ。

 もっとも大きく、もっとも立派な建物にいる。

 強力な《地の精霊アース・エレメンタル》に守られている大貴族の娘だ。

 届けられるか?」


 インプは赤ん坊を守る母親のように黄銅貨を抱きしめながらわずかに後ずさりし、卑屈な笑みを浮かべて激しく頷いた。


「よし、俺たちはお前が出て行ったらすぐにこの場を離れる。

 だから返事は持ってこなくていい。

 ここに戻ってきても誰も居ないからな。

 手紙を届けた後はお前は自由だ。好きにしていい。

 この仕事を請け負うなら、その金貨はお前のものだ。」


 ペイトウィンがそう言い切って一歩下がると、インプは大きく頷いて抱きしめていた黄銅貨を再び顔の正面に持ってきてシゲシゲと眺め、それから大きく口を開けてかぶり付いた。


「!?」


 エイーが我が目を疑うような心地で凝視する中、ちょうど蛇が自分の頭の何倍も大きいカエルを一飲みにするように、自分の頭よりもわずかに大きい黄銅貨をグイグイとその小さい口に押し込み、口を、喉を、黄銅貨の形に膨らませながら飲み込んでいった。


 うわ……グッロ……


 目を背けたくても背けられない……眉をひそめながらエイーはインプが黄銅貨を飲み込んで最後に満足そうに舌なめずりする様子を見届け、妖精の一種であるはずのインプが下級悪魔と見做みなされる理由を理解できたような気持になった。

 そんなエイーなど眼中にないインプはペイトウィンに下卑げびた愛想笑いを浮かべながらペコペコとお辞儀を繰り返し、屈んで自分の脇に置かれた手紙を引き寄せ、抱え上げる。


「よし行け。

 忘れるなよ!?

 相手はルクレティア・スパルタカシアだ。

 強力な《地の精霊アース・エレメンタル》の加護を受ける女だ。」


「キシッ!キシシッ!!

 りゅくれってぁ、ひゅぱるたっしあ!

 るくれった、しゅぱるたっしゃあ!!」


 インプはその名を忘れないようにするためか、何度も繰り返しながら大事そうに手紙を抱え、ペイトウィンが指さした方にある窓へ飛んだ。そして器用に自分の身体の何倍もある木戸を開け、月と星の光に照らされた外の世界へ飛び出していく。

 エイーはインプが出て行った窓へ駆け寄り、その行方を目で追ってみたが、身体が黒い上に小さいインプの姿は夜の闇の中へ溶けてすぐに見えなくなってしまった。


「あ、あんなのに任せて本当に大丈夫なんですか?」


 エイーに続いて、だが悠然と窓へ近づいてきたペイトウィンにエイーは振り返りもせずに尋ねる。


「大丈夫だろ?

 インプは悪魔と一緒で約束は守る種族だ。

 一度請け負った契約は、命を賭して遂行する……その点、人間NPCなんかよりもよっぽど信用できるよ。」


 その時のペイトウィンの表情をエイーは見ていなかったが、その声はどこか虚無的な自嘲じちょうを含んでいるように聞こえた。


「それよりも、とっとと行こうぜ。

 もう荷造りは終わってんだろ?

 あいつが成功しようとしまいと、どのみちすぐにレーマ軍はここに来ちまうんだろうからな。」

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