第866話 グリューミッヒカイト

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ 『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ/シュバルツゼーブルグ



乾杯プロージット!」


「「「「「乾杯プロージット!!!」」」」」


 うわ、あっまっ!?


 郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・アルビオンニアの音頭に合わせて、参列者たちと共に金色に輝くカップに口をつけたナイス・ジェークはワインのあまりの甘さに一瞬眉をひそめてしまうのをこらえることが出来なかった。まるでブドウ風味のアルコール入りシロップを思わせる甘さである。思わず横目で隣のメークミー・サンドウィッチを見たが、彼も神妙な目つきでワインを飲み続けているから、やはり彼にとっても甘すぎるのだろう。


 シュバルツゼーブルグに到着したのはもう日も暮れて頭上には月と星の輝く夜空になった頃だったが、事前に先触れが走っていたために街に入ると街道上には篝火かがりび煌々こうこうかれ、わざわざ住民たちが沿道に出て白い息を吐きながら盛んに歓声を上げるほどの歓迎ぶりであった。そして『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグに到着してからもヴォルデマール自身が家族たちと共に玄関まで出てきて、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子とその付き人であるナイスとメークミーの二人を、そしてルクレティアとスカエウァを、さらにはヴォルデマールの義兄弟であるアロイスを直接フォン・シュバルツゼーブルグ家ご自慢のホールへ案内している。ホールでは既に地元の有力者たちが勢ぞろいしており、高貴な客人たちを割れんばかりの盛大な拍手で歓迎した。

 それぞれが席に案内されるとヴォルデマールの挨拶が始まり、その過程で客人たちが紹介される。なお、ナイスとメークミーはムセイオンから研究のためにサウマンディウムを訪れていた学士として紹介された。もちろん、身分も名前も正式なものでは無く、ジョージ・メークミー・サンドウィッチはジョージ・スチュワート、アーノルド・ナイス・ジェークはアーノルド・イーリイと、それぞれ自身のファーストネームと母方の姓を組み合わせた偽名で通している。

 挨拶の間に料理が運び込まれ、参列者たちが募る空腹感とヴォルデマールの挨拶にれきったところで乾杯……その一杯目がコレである。


 レーマのワインは甘いって聞いたけど、想像以上だな……

 コイツは悪酔いしそうだ……


 乾杯を終え、盃を置いた参列者たちが拍手をしながら一斉に席に着くのを見ながら、ナイスは苦笑いを浮かべる。


「いかがでしたかな、今年のシュバルツゼーブルグ・ワインは?」


 これは甘すぎるなとメークミーに話しかけようとした寸前に聞こえて来たヴォルデマールの問いかけにナイスはギクリとしたが、問われたのはナイスではなかった。


「いやあ、相変わらず素晴らしい味です。

 サウマンディア・ワインも決して負ける気はありませんが、シュバルツゼーブルグ・ワインの甘さにはかないませんな。」


 頭に包帯を巻いたカエソーが負っている傷の痛みの演技など忘れてしまったかのようにほがらかに答えると、ヴォルデマールは満足そうに頷く。


「伯爵公子閣下にそのようにお褒め頂けるとは光栄の至りです。

 ムセイオンの学士様方も、お気に召していただけましたかな?」


 ヴォルデマールはてっきりカエソーと話をするのだろうと思って油断していたところへ急に話を振られ、メークミーとナイスは慌てて答える。


「え!?ええ……もちろん、な、なあイーリイ君?」

「はいっ、こんなに甘いワインは飲んだことがありません。」


 好みの味というのは個人差が激しいものだが、地域や民族ごとで見ても好まれる傾向に大きな違いがある。レーマ人のワインの好みは一般に強い甘味に程よい酸味というのが最良とされ最も好まれるのだが、ランツクネヒト族はそれに輪をかけて甘ければ甘いほど良いとでも考えているのではないかとレーマ人からも疑われるほど甘いワインを好む傾向にあった。

 これに比べ啓展宗教諸国連合側の多くの地域では酸味や渋味の方が好まれ、甘いワインは子供のためのワインと見做みなされる傾向にあり、一般には好まれない。ナイスやメークミーも身体は常人の十代後半に相当する少年であるため決して甘いものが苦手なわけではなかったが、ことワインに関しては出身地で一般的な味覚を引き継いでおり、程よい渋味と爽やかな酸味を基調としたワインに慣れ親しんでいた。

 そんな彼らにとってシュバルツゼーブルグ・ワインは明らかに甘すぎなのだが、さすがに客分として、しかも決して目立ってはならない事情を抱えた身としては無遠慮に本心をぶちまけるようなことはできない。まあ、社交辞令に反することの出来ない貴族としても本音など言えるわけも無かったが、ヴォルデマールは二人の下手糞なお世辞を素直に受け取ったようだった。


「ハッハッハッハッ、そうでしょう?

 ライムントはブドウの栽培には非常に適しているのです。

 ライムントは昼夜の寒暖の差が激しいのですが、特に東山地オストリヒバーグ西山地ヴェストリヒバーグよりも湿気が少ないため、とても甘いブドウが実るのです。

 今年は例年以上に作柄に恵まれましてね、非常に甘い実が成ったのです。

 いやぁ~、ブドウの実のシーズンが過ぎて直接味わっていただけないのが残念なくらいですよ。」


「はははぁ~、そうなのですね。」

「是非、味わってみたかったです。」


 上機嫌なヴォルデマールの自慢話に相槌を打ちながら、メークミーとナイスは互いに肘を突きあった。


 何で俺に話を振るんだよ!?俺を巻き込むな!

 いいだろ、向こうは俺たち二人に話しかけてたんだから!?

 俺が甘いワイン好きじゃないの知ってるだろ!?

 知らないよ!


 その様子はヴォルデマールに気づかれることは無かったが、二人とヴォルデマールの間にいたカエソーには気づかれていた。貴族らしからぬ二人の態度の悪さに呆れながらカエソーは「ウホン」と咳ばらいし、二人をヴォルデマールの視線から隠すように身を乗り出した。


「いやぁシュバルツゼーブルグ卿、本当に素晴らしいワインです。

 是非、サウマンディウムへ持ち帰りたいくらいですとも!」


「おお、もちろんですとも。

 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアと共に盗賊どもを討ち払ってくださった伯爵公子閣下には是非御礼をせねばと思っておったところです。

 我々のワインでよければいくらでも差し上げますとも!!」


 カエソーのリップサービスに感激したようにそう言うと、ヴォルデマールは立ち上がり会場に向かって大声で叫ぶ。


「伯爵公子閣下がワインを気に入ってくださったぞぉ!!」


 おおおおーーーーー!!!


 どよめくように歓声が上がり、列席者たちは盃を高く掲げ喜びを露わにする。彼らの喜びの方は決して上辺ばかりのものでは無い。シュバルツゼーブルグのような田舎に余所から上級貴族パトリキが来てくれた……それだけでも彼らにとっては祝うに足る出来事であったし、何よりもその客人たちは昨今シュバルツゼーブルグで懸念されていた盗賊団を討ち払ってくれたのだ。ここ最近では一番明るいニュースでもある。そして自分たちが心血注いで開拓した土地で生まれたワインが褒められたのだ。事情を理解していないナイスやメークミーといった客人たちを余所に、会場はまさに『素晴らしき陶然グリューミッヒカイト』に満たされていくのだった。

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