第589話 緊急の軍議

統一歴九十九年五月六日、午前 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 レーマの貴族ノビリタスは朝起きたら主人はまず神棚ララーリウムに使用人たちが用意した捧げものを捧げて祈り、朝の儀式を執り行う。それから身形みなりを整える。顔を洗い、服を着替え、髪形を整えたり化粧したりもする。朝食イェンタークルムはそれからだ。その後は家に尋ねて来ている被保護民クリエンテスたちの「朝の伺候サルタティオ」を受ける。被保護民たちの陳情や相談を受けたり、あるいは頼んでおいた調べものや仕事の報告を受けたりする。貴族が何らかの公務についていた場合、仕事はその後でということになる。それが午前の生活ルーチンだ。


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人をはじめとするランツクネヒト族の場合はその順序が少し異なる。朝食と伺候を受けるのが逆になるのだ。中には朝食を摂らない貴族もいる。

 キリスト教徒である彼らは本来なら朝食を食べる習慣はない。キリスト教の戒律により昼までは断食ファーストをしなければならないからだ。だが、レーマに亡命してきたランツクネヒト族はどうしたところでレーマの生活様式をある程度受け入れ、それに合わせざるを得ない。被保護民の伺候や朝食といった習慣はその代表例である。

 エルネスティーネの場合は被保護民はあまり多くは無いので伺候を受けることはそれほど多くない。朝食も普段は昼の少し前にとっている。最近に限って言えば、ティトゥス要塞カストルム・ティティに収容した避難民のための炊き出しを手伝ったりしており、公務はだいたい昼ぐらいから行っている。


 だが今日は違った。リュウイチを収容している陣営本部プラエトーリウムに宿泊させてもらった以上は、朝食はリュウイチが摂る時間に合わせねばならなかったし、何よりも急を要する案件が持ち上がってしまっているのである。すなわち、アルビオンニウムへ派遣されているルクレティアが大規模な盗賊団の襲撃を受けた件だ。リュウイチを介することで《地の精霊アース・エレメンタル》から大まかな事情は把握できていたが、数の概念を理解できない精霊エレメンタルからの報告なので現地の詳細な事情はさっぱりわからない。しかし今朝、ブルグトアドルフから発った早馬がようやく到着したのである。報告された事実は想像を絶する惨状であった。


「では、住民の半数が殺されたと言うのですか?!」


 早馬の到着を受けて要塞司令部プリンキピア急遽きゅうきょ集まった貴族とその家臣団たちが居並ぶ会議室で報告を受けたエルネスティーネは卒倒せんばかりに驚きの声を上げた。リュウイチから「かなりの被害」とは聞いていたが、流石に全住民のほぼ半数だとまでは思っていなかったのだ。


「約四割です、侯爵夫人マルキオニッサ


 肘掛けを掴んで椅子から身を乗り出し、平静を失ったエルネスティーネに報告者である筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウス・ガローニウス・コルウスが感情をあえて抑制した調子で訂正すると、テーブルを挟んで反対側に座っていた侯爵家の家臣団から反発の声が上がる。


「半数と変わらんではありませんか!

 そこに行方不明者の数は含まれておらんのでしょう!?」

しかり!

 生き残った住民の中の負傷者の数も無視できません!!」

「それよりも、警察消防隊ウィギレスの犠牲者数はどうなっているのですか!?」


第三中継基地スタティオ・テルティアの警察消防隊は隊長プラエフェクトゥスのシュテファン・ツヴァイク以下四十名がおりましたが、ウチ十三名が死亡、重傷四名、軽傷四名です。この軽傷者四名の中にツヴァイク殿も含まれます。」


 ラーウスの報告の中に聞き覚えのある名前があることに気付き、家臣団がざわめき続ける中でエルネスティーネは前のめりになっていた上体を戻し、独り言ちる。


「シュテファン・ツヴァイク…」


「ハ、侯爵夫人におかれましては、その名を御記憶でございましたか?」


「はい、もちろんです…

 幾度かお会いしたことがありましたわ。

 歴戦の勇者と、亡き夫から紹介されましたの。

 傷を負われたとのことですが、大丈夫なのですか?」


「現地のセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスによれば軽傷で、その後も警察消防隊を指揮し続けておるとのことです。」


 ルクレティアと共に一行に加わっていた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウスからの報告書に目を落としながらラーウスは答えた。彼にはもう一通、今回の護衛隊長を務めるセルウィウス・カウデクスからの報告書も届いており、そちらにはシュテファンが本当は重傷を負っていたがリュウイチがリウィウスに持たせていたポーションによって軽傷まで回復させたことが記されていたが、ここではあえて報告していない。


「それにしても被害が甚大だ!

 第五中継基地スタティオ・クィンタのみならず第四中継基地スタティオ・クアルタまで潰された挙句、第三中継基地まで…軍団レギオーは何をしておったのですか!?」


 侯爵家の財務官ヴィンフリート・リーツマンによるこれは理不尽な責任追及だった。ラーウスはピクリと眉を動かし、ため息を飲み込んで答える。


おそれながら、現地の特務大隊コホルス・エクシミウスはルクレティア様の護衛です。

 現地ライムント街道の治安維持は現地警察消防隊の管轄です。」


「なんと無責任な!

 たかが四十名の警察消防隊に三百もの盗賊の対処などできるわけないではありませんか!!

 十分な兵力を持ちながら、目の前の暴虐に対処しないなど「およしなさい!」」


 現地に居ながら対処しきれなかったアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの責任を追及し、ブルグトアドルフの損害復旧をアルトリウシア子爵家に負担させて良いところ見せようとしたヴィンフリートだったが、ラーウスに冷然と突っぱねられて激昂したものの、最後まで言い終わる前に途中でエルネスティーネに制止されてしまった。


「彼のおっしゃる通り、現地の特務大隊はルクレティア様の警護のための部隊です。いかな住民のためとはいえ、その役目をおろそかにすることはできません。」


「ですが、侯爵夫人!「それに!」」


 思わぬところから掣肘せいちゅうを受け、慌てて反駁はんばくしようとするヴィンフリートを、エルネスティーネは容赦なく抑え込む。


「予算の不足を理由に現地の警察消防隊を縮小させたのは我々です。

 。」


 これにはヴィンフリートもそれ以上何も言えなかった。実際のところ、予算削減のために現地警察消防隊の縮小を提案し、エルネスティーネに了承させたのはヴィンフリート自身だったのだ。そのことはこの会議に出席している全員が知っている。エルネスティーネは「責任は私に」と言ったが、これ以上何かを言えばヴィンフリートの責任追及の声が上がるだろう。ここでエルネスティーネがあえて「責任は私にあります」と言ったのは、要はお前の責任は追及しないでおいてやっているのだから黙っていなさいということだった。

 全員の冷たい視線が集まっていることに気付いたヴィンフリートは言葉を飲み込み、素直に引き下がった。


「ぐぐ…し、失礼しました。

 ガローニウス・コルウスラーウス殿、取り乱して失礼な発言をしてしまった。

 この通り謝罪する。許されよ。」


「…いえ、領民のことを思えばこそのことでしょう。どうかお気になさらずに…」


「かたじけない。」


 場がひとまず収まったところでエルネスティーネの隣に座って黙って様子を見ていたアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子が議事の進行を促す。


「責任の所在については後で暇が出来た時に追求すればよいでしょう。

 今はこれからどう対応するかだ…生き残った警察消防隊が二十名ではブルグトアドルフを守り切れないのではないか?」


 アルトリウスの指摘に全員がハッとなって報告者のラーウスに注目する。


「ハ、ツヴァイク殿の提案により、生き残った全住民を引き連れてシュバルツゼーブルグへ一時避難することとなったようです。その…アルビオンニウム経由で…」


「アルビオンニウム経由ですと!?」

「シュバルツゼーブルグとは逆方向ではありませんか!」


「はい、シュバルツゼーブルグまで安全に避難するため、ルクレティア様の御一行と行動を共にするとのことです。」


 家臣団から上がった疑問にラーウスが答えると、会議室には呻き声ともため息ともつかぬ声が満ちた。


 なるほど、リュウイチ様がおっしゃられた『住民と守備隊がアルビオンニウムまでついてきた』というのはこのためか…


 決定そのものは妥当と言える。ブルグトアドルフ近郊に十分な戦力なぞ存在しない。唯一の例外はルクレティアの護衛部隊だが、それを盗賊対応に充てるわけにもいかないのだ。となれば警察消防隊の生き残りわずか二十名程度で百余名の住民を三百の盗賊から守らねばならなくなる。

 だが、ルクレティアの一行と一緒にアルビオンニウム経由で避難するのならば、特務大隊の戦力をアテにすることもできるだろう。特務大隊もルクレティア警護の任務を果たしながら住民を守ることが可能になる。


「では、当面はこれ以上の被害拡大の心配はないと考えてよろしいのですか?」

「さすがに盗賊団も警察消防隊と三個百人隊ケントゥリアに守られた住民を襲うことなどありますまい。」

「問題はまだ被害を受けていない第二中継基地スタティオ・セクンダだ。

 それと、壊滅させられた第四、第五中継基地の復旧を急がねばならん。」

「フォン・シュバルツゼーブルグ卿とて三百の盗賊なぞ対処しきれんだろう。」

「まて、そのためにキュッテル閣下が大隊コホルスを率いて出立なされたのだ。」

「然り、まずはキュッテル閣下に盗賊団を掃討していただき、復旧はそれからとなるだろう。」

「それまで戦など起きねば良いのですが…」


 ブルグトアドルフでの事件のあらましを聞き、当面の対応は現地で既に済んでいると判断した侯爵家・子爵家の家臣団たちは思い思いに感想を述べあった。彼らは未だ、住民たちが避難したアルビオンニウムで既に戦闘があったことについてまだ知らされていない。


「オホンッ」


 ラーウスは上座に座るアルトリウスとエルネスティーネ、二人の領主と目配せするとやや大げさに咳ばらいをし、言いにくそうに次の説明に移った。


「それでは、昨夜アルビオンニウムで起きた戦について、ご説明いたします。」

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