第144話 ダイアウルフのお守り

統一歴九十九年四月十五、午後 - リクハルドヘイム/アルトリウシア



 リクハルドヘイム中央の《陶片テスタチェウス》南東に広がっている牧草地。その東側のマニウス街道にほど近い丘陵部はともかく、標高の低い西側部分はあちこちから湧き水が染み出しており常にビチャビチャ濡れている。このため、農作物を植えてもすぐに根腐れを起こしてしまうため、畑には全く向いていない。

 仕方なく羊を放牧し、こんな環境でも生えてくれる背の低い雑草を食べさせることで何とか土地を有効活用しているような状態だ。

 しかし、本来羊は湿気を嫌う動物である。こういう湿地のような土地は、羊にとって本当はあまり良く無いのだ。

 なので、放牧しない時は毎日 《陶片》の中にある、清潔な厩舎へ収容して羊が病気にならないように注意を払っている。


 そこでの世話はファンニもするが、多くを大人たちがやってくれ、ファンニがするのはあくまでもお手伝い程度のことだ。ファンニの仕事の割合や負担は年々増えてきてはいるが、さすがに八十頭を超える羊の世話はまだ一人ではできない。

 それでも、この年頃の女の子が牧羊犬の力を借りてとはいえ、一人で羊たちを放牧して管理できているというのは大したものだと言っていいだろう。

 ファンニは密かにそう自慢に思っていた。


 しかし、今日のファンニはその仕事から外されていた。

 今、彼女が牧羊犬のゼンと共に引き連れて歩いているのは羊などではなく、二頭の巨大な狼・・・ダイアウルフだった。



「何でこんなことになってんだろう?」


 思わず独りちる。


 昨日、彼女はこのダイアウルフにさらわれた。

 気づかない間に忍び寄られ、首筋に食いつかれ、一瞬で気を失わされ、そして目が覚めたら排水路の中で寝かされていたのだ。

 目覚めてからダイアウルフたちに瀕死のゴブリン兵に引き合わされ、その後助けを呼ぶためにダイアウルフに乗せられて帰る途中、ファンニを探すためにダイアウルフの足跡を追っていたリクハルドたちと合流を果たす。


 ようやく一安心・・・と思ったのが間違いだった。

 むしろ、それからが大変だったのである。


 ダイアウルフと共にゴブリン兵の所へ戻り、一頭で残って番をしていたダイアウルフが突然人間が大勢で押しかけてきたことに興奮するのを落ち着かせ、その後も苦しむゴブリン兵を取り囲むリクハルドの手下たちに警戒を緩めないダイアウルフをずっと宥めて抑え続けなければならなかった。

 その後、日が暮れてから何とかゴブリン兵を《陶片》へ運び込んだわけだが、手当てする間もずっとダイアウルフたちはゴブリン兵の側から離れようとせず、治療に当たろうとする神官たちが不審な事をしないか警戒し続け、ゴブリン兵が治癒魔法とポーションでひとまず落ち着くまで、ファンニはダイアウルフをずっと宥め続けなければならなかったのだ。

 ダイアウルフを仮の犬小屋(?)として割り当てられた空き倉庫に連れて行き、ファンニが夕食を食べれたのは夜もだいぶ更けた後だった。

 リクハルドの家でこれまで食べた事も無いような御馳走をいただけたのだが、それはホントならとっくに寝ている筈の時間で、実際彼女が家に帰った時に起きていた家族はファンニの両親だけだった。


 家族へはリクハルドの家令のパスカルが説明してくれていたので、後で両親からとやかく小言を言われることは無かったのだが、おかげさまであれ以来・・・といっても今日が二日目なわけだが・・・ずっと、ダイアウルフの面倒を見させられている。


 《陶片》の人間の中でダイアウルフに言う事を聞かせられるのがファンニだけなのだから仕方ない。ダイアウルフたちは餌だってファンニがあげた物でなければ食べないのだ。

 じゃあ餌なんてやらなければいいという話になるかもしれないが、それでダイアウルフが飢えて勝手に羊を襲いでもしたら困る。

 ファンニに理由は分からないが、ダイアウルフを殺すのもどうも不味いらしい。


 朝、ご飯も食べ終わらない内からラウリがやって来てファンニにダイアウルフの面倒を見させるように指示された。理由は説明されなかったが、今日はずっと《陶片》からなるべく遠いところにダイアウルフを連れて行って夕方まで帰ってきちゃいけないらしい。

 羊の番は別の人が見てくれることになったが、ファンニはダイアウルフを連れて朝からずっと当てもなくさ迷い歩き続けることになった。

 それも、間違ってダイアウルフが人や家畜を襲わないようにするため、なるべく人からも羊たちからも遠く離れて、孤独にダイアウルフのおりをしなければならないのだ。



「これは・・・何かの罰?

 子羊食べられちゃったから?」


 もうイジメでも受けてるような気分だ。

 あっち行けとばかりに街から追い出され、面倒を押し付けられてるような気がする。

 だいたい、ファンニにダイアウルフの面倒なんか見れるわけがない。いくら、ダイアウルフたちがファンニの言う事しか聞かないからと言って、それはあくまでもファンニの言う事なら聞いてくれ易いという程度の事であって、別にダイアウルフたちはファンニに服従しているわけでは無いのだ。彼らの御主人さまはファンニとは別に居るのである(ここにはいないが)。


 実際、ファンニは午前中はダイアウルフたちに翻弄され続けていた。

 《陶片》からも街道からも離れた広い場所にまで来て、さあ何をどうしようかと思っているとダイアウルフは勝手に遊び始めた。

 だぁーっと走り出したらどうやったところでダイアウルフを止められはしない。


「だめぇー!待ってー!!」


 ファンニが叫んでもダイアウルフは言う事を聞かない。

 ダイアウルフの体重はファンニの五倍以上もあるのだ。それが二頭である。

 リードがあったってファンニに抑えられるわけがなかったし、走っても追いつけやしない。


 牧羊犬だってダイアウルフ相手じゃ役に立たない。ダイアウルフの方が圧倒的に大きく、圧倒的に強く、圧倒的に速いのだ。

 牧羊犬がダイアウルフの逸走を制止しようにも、大人の大型犬にじゃれ付く仔犬のようにしかならない。

 気づけばダイアウルフの方が牧羊犬を追いかけまわして遊びだす始末だ。


 まだ若く元気な盛りの筈の牧羊犬のゼンは、昼前までには体力を消耗しつくしてヘトヘトになっていた。尻尾をだらんと垂らし、項垂うなだれて歩こうともしたがらない。

 犬がこんなに疲れ切ってしまった姿を見るのはファンニは生まれて初めてだった。


 だがファンニも負けず劣らず疲れ切っている。

 追いかけ回される牧羊犬ゼンを助けようとファンニも声をあげ走り回り、そしてファンニもダイアウルフを追いかけ、追いかけ回され、転び、転ばされた。


 何度も転んで顔も身体も泥だらけになったファンニが「もぉやだぁ」とへたり込んだまま泣き出したのを見て、ダイアウルフの暴走はようやく終わった。

 ダイアウルフたちは昨日のようにへたり込んで泣いているファンニを慰めようと顔をベロベロと舐めた。


「もうっ!やめて!!

 アンタたちのせいなんだからね!!」


 ファンニは本気で怒っていた。

 ダイアウルフの鼻っ面をおもいっきりひっぱたいてやると、やはり昨日と同じようにちょっと離れたところで伏せの姿勢になって鼻を鳴らし、交互に小さく遠吠えを始めた。それはファンニが泣き止むまで続いた。



「分かってるの、アナタたち!?

 好き勝手に遊んでたらゴハン貰えないんだからね!

 アナタたちだって言う事聞かないと殺されちゃうかもしれないのよ!?」


 ファンニが泣き止んだことを喜んだダイアウルフを待っていたのはファンニのお説教タイムだった。

 ダイアウルフたちにとってそれは初めての経験であった。

 ハン族はダイアウルフを使役するが、従属させているわけではない。お互いに利用し合う関係で対等といって良い関係だ。当然、ゴブリンがダイアウルフを説教するというようなことはまずないのだ。

 地面に伏せたまま尻尾も振らずにジッとファンニの小言を聞かされ続ける地獄は半時間ほども続いた。



 あれからどれくらい時間が経っただろうか?

 日は傾き始め、景色は少しずつ黄色っぽくなってきている。

 ファンニのお説教タイムの後、ダイアウルフたちは大人しく言う事を聞くようになっていた。もっとも、ファンニに従属しているのかというとそんなことはない。それはファンニも何となくわかっていた。

 何となくダイアウルフの態度に、子供のおままごとに付き合ってる大人のような雰囲気が感じられるのだ。

 実際、ファンニが歩くのに大人しく着いて来てくれていたが、また昨日のリクハルドたちと合流した後みたいに背中に乗せようとした。ダイアウルフからすると、ファンニの歩くスピードは遅すぎるのだろう。ファンニは最初は拒絶していたが、そのうち一頭がファンニの服の襟元を咥えて持ち上げ、伏せをしたもう一頭の背中の上に乗せてしまった。

 それからずっと、ファンニは疲れ切って動けない牧羊犬ゼンと共に、ダイアウルフの背中の上で揺られている。


 これからもこんなことが続くのかな?


 ぼんやり考えた。

 そこには悲観も楽観も無い。

 とにかく、もう疲れ切っていて感情も湧いてこないのだ。


 鞍のないファイアウルフの背中は、なんか歩くたびにゴソゴソするような不安定な感じがするのだが、同時にフワフワするような温かい感じもした。

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