第906話 グナエウス砦

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/グナエウス峠



 ローマは兵站へいたんで勝つ……巨大な帝国を築き、その後の西欧のいしずえとなったローマ帝国の軍事力の特徴を端的に表した言葉として広く知られている。あらゆる時代、あらゆる地域・国において、軍事行動の最大の問題は戦力でも戦術でも作戦でもなく補給だった。千二百年も命脈を保ち続けたローマ帝国が軍事的に優勢を保ち続けたのは、兵の精強さでも武器の性能でも作戦の優越でもなく、常に戦場に十分な補給を確保し続けた兵站能力にあったのだ。そしてそれを可能とした要素の一つがローマ街道である。

 すべての道はローマに通ず……その言葉は決して伊達ではない。欧州中に張り巡らされた街道はローマ軍団の戦略的機動と補給の確保を容易たらしめ、ローマの防衛を下支えし続けた。その一部は現代もなお、当時のままの石畳が現役で使われているほどである。


 その道路網も決してただ単に道を敷いただけというわけではない。軍勢が通りやすいように広く開けた土地に敷かれた道路なんて、敵から襲撃してくれというようなものだ。身を守る障害物など何もないのだから当然である。道路を敷いたところで、敵や盗賊などの襲撃に対して無防備では意味が無い。安全ではない道路など、誰も好きこのんで通ろうとはしないのだ。

 ローマはまず盗賊などが待ち伏せ出来ないよう、街道の左右両側を広く開削かいさくし、人が身を隠せるような障害物を排除した。これによって、街道を通る軍勢や補給物資その他通行者を敵や盗賊たちが待ち伏せしにくくした。街道の両側が広く開けているので、下手に武器を携えた盗賊なんかが居ようものなら遠くから気づくことができたし、襲い掛かって来ても距離があるので逃げる余地も防御態勢を整える時間的余裕も確保できる。


 次にローマが街道に備えたのが中継基地スタティオだった。ごく小規模な砦のようなもので、街道沿いに約八キロほどの間隔で設置され、小規模な部隊が駐留している。これは街道を通る早馬タベラーリウスが馬を乗り継ぐための拠点でもあり、同時に周辺地域をパトロールする拠点でもあった。もしも街道の近くで何かがあれば各中継基地に駐屯している部隊が隣接する中継基地に報告し、それがリレー形式で最寄りの軍団まで届けられるのである。

 これによってローマは広大な領土を飛脚制度タベラーリウスと呼ばれる高速通信システムで覆うことができたし、同時に領内に侵入した敵の存在をいち早く知ることができた。なお、この中継基地を表すスタティオ【STATIO】が後の駅を表す単語ステーション【Station】の語源になっている。


 そしてこの中継基地と共に街道上に設置されたのがブルグスだ。中継基地スタティオが高速道路のパーキングエリアなら、ブルグスはサービスエリアのような存在である。中継基地より規模が大きく、中継基地が防御設備が全くないか、あるいは申し訳程度の貧弱なものでしかないのに対し、砦は本格的な防御設備を有する上に駐屯する守備隊の他に軍団が駐留できるだけの収容施設も持っている。要塞カストルムほど本格的というわけではないが、立派な防衛拠点となりうる施設だ。なお、ドイツをはじめとする中欧から東欧にかけて存在する〇〇ブルグという地名は、ローマ時代に砦や要塞が存在していたことが由来となっている。


 そうした《レアル》古代ローマの文化・文明を降臨者を通じて継承したレーマ帝国においても、そうした設備は当然のように受け継がれていた。もちろん、《レアル》ローマのモノをこの世界ヴァーチャリアにそのまま再現したようなものではなく、この世界に適合するように改良し、より発展させている。今、ティフ達『勇者団』ブレーブスの一団がたどり着いたグナエウス砦ブルグス・グナエイもその一つであった。


 アルトリウシアとシュバルツゼーブルグをつなぐ軍用街道ウィア・ミリタリスグナエウス街道のほぼ中間地点、グナエウス峠の頂上に築かれた砦は天然の要害である。

 東から西までグルッと南側半周を切り立った崖で囲まれており、谷底から砦まで武装した兵士が這い上がって来るのはほぼ絶望的だ。人間が二本の脚で立ったまま出入りができるのは砦の北側で接しているグナエウス街道からのみ。このため砦の防御火砲はすべて北側に向けて設置されており、街道を通って砦に接近する者は何人であろうとも砦の射界から逃れることはできない。

 街道を挟んだ北側は岩肌が露出した山岳で、そこから砦を見下ろすことはできても軍勢が陣を張ることなど出来はせず、ましてや大砲を持ち込むことなどほぼ不可能だ。無理に持ち込もうとすればいち早く砦から発見され、猛烈な砲火に晒されることになるだろう。 


 既に陽は水平線の向こうへと没して辺りは夜のとばりが下り、星空の背景に浮き上がって見える漆黒に染まった砦は、それでも容易に接近することはできないであろうことが見て取れた。


「何だあれ……城か?」


 グナエウス砦に気づいたペトミーがつぶやくと、全員が一斉に馬を止める。そして街道が広いことをいいことに街道上で横並びになって砦を観察し始めた。


「こんなところに?」

ブルグスとかいう奴ではないでしょうか?

 グナエウス街道の峠のてっぺんに砦があって、そこから向こうはアルトリウシアだと聞いたことがあります。」

「てことは、ここが峠のてっぺんなのか?」

「もうアルトリウシアか……」

「まずいぞ、ついにスパルタカシアを見つけられなかった。」

「それよりもどうするんです?

 まだ先へ進むんですか?」

「いや、さっきティフが次が最後だって言ってた。

 だからこれが最後さ。そうだろティフ?」


 ペトミーの念を押すような質問にティフはジッと砦を見つめたまま口をへの字に結んだ。


「ティフ!

 さっきも言ったが馬がもう限界だ!

 これ以上先へ進めないぞ!?」


 なおも未練たらしいティフにペトミーが苛立ちをぶつけると、便乗するようにソファーキングも進言する。


「馬も限界ですが、ここから先は隠れるところがありません。

 見つからずに進むのは無理です。」


 ソファーキングはヒトの魔法攻撃職だが、ここへ来るまでの間ペトミーと共に自分たちの馬に回復魔法や支援魔法を使っていたため魔力を消耗しており、他のメンバーよりだいぶ疲労がたまっていた。彼としてはたとえ自分の脚で歩くことになったとしてもこのような強行軍は仕舞いにして、とっとと帰りたかったのである。

 そのような彼の個人的事情はさておくとしても、彼の指摘は間違いではなかった。街道の左側は断崖絶壁、右側は岩山である。街道を行けば間違いなく砦の守備兵に見つかるだろうし、かといって街道を外れれば馬が行けるような地形にはなっていない。もし、砦の兵士に見つからないように行こうと思ったら、一旦戻って相当な遠回りをしなければならないだろうが、残念なことに彼らの中にこの辺の地理を把握している者は一人もいなかった。

 常識的に考えてここはもう、諦めて引き返すしかないのである。


 ティフはハァーッと大きくため息をついた。


「よし、あの砦を調べよう。」


「ティフ!!」


 思わずペトミーが大きな声を出す。さすがのティフも諦めて馬首を翻すしかないと思っていたからだ。


「分かってるペトミー、これ以上は進めない。」


「だったら!」


 食い下がろうとするペトミーにティフは手をかざして制止すると言葉おw続けた。


「せっかくここまで来たんだ。

 せめて帰るにしても、せめてあの砦を調べてからにしよう。

 どうせ、戻ったとしても、準備を整えてからもう一度ここを通るんだ。

 せっかく来たんだから、下調べくらいしていった方が良いだろう?」


 ペトミーは口を結んで何かを堪えるように唸った。確かにティフの言っていることに間違いはない。彼らは準備を整え、アルトリウシアへ乗り込む予定なのだ。その時にもおそらくこの道を通るだろう。その時にもあの砦は『勇者団』にとっての障害となるはずだ。ならば、今のうちにある程度下調べをした方が賢明というものである。

 どうやら受け入れてくれたらしいペトミーに安心したのか、ティフは微笑んで言った。


「それに、もしかしたらあそこにスパルタカシアが泊ってるかもしれないだろ?」 

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