グナエウス峠

第905話 追跡行

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ グナエウス街道/西山地ヴェストリヒバーグ



 シュバルツゼーブルグを発ったティフ・ブルーボール二世はつい一週間ほど前までシュバルツゼーブルグ近郊の盗賊どもを集めるために幾度となく往復した裏道を西へ向かって進み、ようやくグナエウス街道へと出たころには陽はすっかり稜線りょうせんの向こう側へ隠れてしまっており、赤く燃えつづける空と空の光を受けて浮かび上がる街道の石畳以外は早くも黒い闇に沈んでしまっていた。街道から離れて街道両脇の法面のりめんの向こうまで行けば、そこに広がる森は既に夜の世界である。

 夜の闇に早くも身をゆだねる地上のありとあらゆるモノの中で、最後まで空の陽の残照を受けて抗い続ける街道はまるで昼と夜の境界を分かつ一本の線のように地に伸び、道行く者は自分にとって街道上そこだけが安全な場所なのだと自ずと理解する。しかし同時にそれは迫りくる夜の浸食からは決して逃れることはできないのであり、このわずかに残された安全地帯も遠からず失われるであろうことは疑いようがない。闇が光から支配権を奪い、街道の続く先を覆い隠していくにつれ、未だに街道上に残っている人々に早く安全な場所へたどり着かねばならぬと先を急かさせた。


 そのような中でもティフ達『勇者団』ブレーブスは全員が強力な魔力を有し、闇夜を見通す暗視スキルや暗視魔法などを使えるため、道行く他の人々ほど夜の暗さは問題にならない。実際、今も彼らは自らの行く先を見通すのに、わざわざ目を凝らす必要すら感じていない。松明たいまつもカンテラも無しに、暗い道を何の苦も感じていないかのように進み続ける。

 では余裕を持って落ち着いて進んでいるかというと決してそうではなかった。むしろ焦りを募らせながら先を急ぎ続けている。

 

 彼らが焦る理由はひとえに彼らのおかれた状況にある。ここアルビオンニア属州に来てから彼ら『勇者団』はまさにバケモノとしか思えない精霊エレメンタルたちに目をつけられ、やることなすこと徹底的に妨害されつづけている。おまけにアルビオンニアから脱出しようにも、北のアルビオン海峡は海峡を司る神のごとき《水の精霊ウォーター・エレメンタル》アルビオーネによって封鎖されており、ハーフエルフは海峡を通さないと言い渡されてしまった。レーマ軍にも『勇者団』の存在と活動を知られてしまったし、このままでは降臨を成功させるとかいう話ではなくなってしまう。何とかして精霊たちに妨害を止めてもらわねばどうにもならない。そのための手がかり……それがルクレティア・スパルタカシアだ。

 『勇者団』が最初に、そしてこれまで最も多くの妨害を受けたのはルクレティアの《地の精霊アース・エレメンタル》だった。ブルグトアドルフの森で遭遇した《森の精霊ドライアド》も強力な精霊だったが、《森の精霊》はどうやら《地の精霊》に従属しているらしかった。相手が誰かはわからないが、アルビオーネも誰かに忠節を誓っており、その者の意思によって『勇者団』の前に立ちはだかっているようであった。何となくだが、ティフ達は精霊たちの中心に《地の精霊》が居るような気がしている。そしてその《地の精霊》にもっとも近くにいるのがルクレティアなのだ。

 おそらく、あれだけ強力な《地の精霊》をルクレティアが従えているということはさすがに無いだろう。背後に誰か黒幕が居るのだ。その黒幕を探し出して、交渉し、どうにかして精霊による妨害をやめてもらわねばならない。その黒幕が何者なのか見当もつかないが、その黒幕を突き止めるためにはルクレティアに接近するしかない。幸い、ルクレティアは『勇者団』に話をしたいと望んでいるらしいから、慎重に、丁重にアプローチすれば応じてくれはするはずだ。


 そういうわけでルクレティアと交渉すべくティフ達『勇者団』一行はアルビオンニアからシュバルツゼーブルグまで馬を飛ばしてきたわけだが、シュバルツゼーブルグの街にルクレティアの一行は居なかった。おそらくシュバルツゼーブルグへたどり着く前に一泊して遅れてしまったせいで、ルクレティア一行は先にシュバルツゼーブルグを発ってしまったのだ。ルクレティアがアルトリウシアまで帰ってしまえば、ルクレティアへの接触は今より難しいものになるだろう。だからなるべくならルクレティアがアルトリウシアへたどり着く前に接触し、交渉を持ち掛けねばならない。

 だというのにティフ達はルクレティア一行に追いつけずにいたのだ。


 途中、街道上に設置されたレーマ軍の中継基地スタティオを見つけるたびにルクレティア一行が停まっているかもしれないと様子を伺ってみたが全部空振りだった。そもそもルクレティアの一行は護衛に少なく見積もっても七百人以上の兵士を引きつれており、更にルクレティアや随行する貴族の使用人らを含めれば全部で千人を超える大所帯のはずである。一番大きな中継基地にだって全部を収容できないだろう。土地勘は無いから断言は難しいが、街道から外れた場所にそれだけの大所帯が野営できるような場所は無かったはずだ。居れば必ず見つかる筈で見落とすわけがない。なのにいまだに見つからない。


 まだ先へ行ったのか?まだ先へ行ったのか?

 まさか夜通し歩くつもりで進んでるのか!?


 土地勘の無いこともあって彼らの焦りは募る一方であった。それに馬たちが限界に達しつつある。

 今朝、ブルグトアドルフを発ってからシュバルツゼーブルグまで駆けてきて、裏道を進んだがために更に同じくらいの距離をここまで駆けてきているため、彼らの馬はすでにだいぶ消耗してしまっていた。本職の付与術士エンチャンターのスマッグ・トムボーイは連れてきていなかったが、それでも魔法攻撃職のソファーキング・エディブルスやテイマーのペトミー・フーマン二世による支援魔法や回復魔法によって体力を無理やり回復させたり持久力を補ったりして何とか誤魔化してきていたのだが、彼らの魔法も決して万能ではない以上どうしても限度というものはある。

 立ち止まるたびにブフーッ、ブフーッと激しく苦しそうに白い息を吐き続け、中には口から泡を吹いたりブルブル震えたりしている馬もあった。馬たちはここのところ毎日のように酷使され続けていたうえ、飼料も満足に与えられていなかったのだ。


「ティフ、馬たちがもう限界だ。

 スパルタカシアはもう諦めて、今日の寝床を探すべきだ。」


 ティフの横に馬を寄せてきたペトミーが言いづらそうに、だが思い切ったように声をかける。そういうペトミーの吐く息も白い。ただでさえ冬に差し掛かっているところへきて山の上だ。気温は彼らが覚悟していた以上に下がっており、彼らの、そしてそれ以上に彼らの馬たちの体力を容赦なく奪っていた。


「ああ、分かってる。

 次だ、次で諦めよう。」


 ティフの返事を聞いたペトミーが盛大に溜息を吐き散らす。まだ諦めきれないティフは既に何度かそのセリフを繰り返していたのだ。


「ティフ!ほんとに次を最後にしてくれ!

 じゃないと馬は本当に死んじまうぞ!?」


「分かった、約束する。

 今度こそ最後だ。

 この坂を登り切ったら……それでも見つからなかったら諦める。」


「絶対だぞ!?

 約束だぞ!?」


「ああ、約束だ。絶対だ。」


 念を押すペトミーにティフは言ったが、その口調はどこか反発するようでもあった。未練がそうさせているのである。

 次が最後……しかし、彼らの進む先には既に野宿できそうな場所は見当たらなくなっていた。左側は断崖絶壁だんがいぜっぺき、右は岩肌の山で、野宿どころか道を外れて休憩することすらできそうにない。


 この先に野宿できそうな場所なんてあるのかよ?

 周りは岩だらけじゃないか……馬に食わせる草なんて生えてないぞ?

 来た道を戻るとなると、何キロくらい戻らなきゃいけないんだ?

 もう馬から降りて歩くべきかもしれないな。


 既に野宿することを考え始めていたペトミーはそんなことを考えてた。しかし、その彼の懸念は彼が予想しているよりずっと早く終わりを告げた。何度目になるか分からないカーブを曲がって視界が開けた時、その先に巨大な施設が目に入ったからである。

 それはグナエウス峠の頂上に築かれた砦、グナエウス街道で最大の軍事施設であるグナエウス砦ブルグス・グナエイだった。

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