第687話 ルクレティアへの疑問

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 アーノルド・ナイス・ジェークは愛弓アイジェク・ドージを取り戻そうとカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子に向けて無属性魔法マジック・アローを放つ構えを見せたところで《地の精霊アース・エレメンタル》による『荊の桎梏』ソーン・バインドで拘束された。ただでさえ魔力欠乏状態から回復して間もないと言うのに『荊の桎梏』で魔力を奪われたナイスはあっという間に再び魔力欠乏に陥り、その場に昏倒してしまう。

 その様子はナイスの身の回りの世話をするために付けられ、その場に居合わせていた神官によってスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルに報告されたわけだが、ジョージ・メークミー・サンドウィッチとナイスの面会を実現するために調整していたスカエウァは、面会が出来なくなった旨を説明するためにやむなくメークミーへと告げたのだった。


「なんてことだ‥‥‥ナイス‥‥‥」


 両手で顔を覆い、仲間の不憫ふびんに心を痛めるメークミーにスカエウァは申し訳なさそうな様子で慰める。


「御心中、お察し申し上げます。

 せめてジェーク様の御快復が早まるよう、神官どもには最善を尽くさせますので、どうか御心を安んじ奉られますよう。」


「いや、ありがとう‥‥‥」


 メークミーは両手で顔を覆ったままそう礼を言うと、ほどなくして顔をあげ、瞬きを繰り返しながら天井に視線を泳がせ、そしてスカエウァに視線を戻した。


「それにしても、《地の精霊アース・エレメンタル》は伯爵公子カエソー閣下にも御加護と与えておるのか?」


「いいえ、ジェーク様にお会いになる前に伯爵公子閣下はルク‥‥‥スパルタカシア様に、ジェーク様が取り乱された際には精霊エレメンタル様の御加護を賜るよう、ご依頼申し上げてあったのです。

 それでスパルタカシア様が《地の精霊アース・エレメンタル》様に‥‥‥」


「ルクレティア!!」


 思わずメークミーはその名を叫ぶように口にし、スカエウァの顔をジッと見たまま絶句する。スカエウァもまた、先月まで婚約者だった従妹の個人名プラエノーメンをいきなり目の前の男に呼び捨てにされ、思わず話を中断してしまう。

 スカエウァに自覚は無かったが、その心情は少しばかり複雑だった。男尊女卑だんそんじょひ社会のレーマ帝国では一般に女性は男性である家父長パテルの庇護下にある。今ではもう由緒ある古い血統の上級貴族パトリキや貴族趣味の強い一部の酔狂な下級貴族ノビレス、そして保守的な地域でしか守られていないような廃れつつある伝統だが、女性が固有の個人名プラエノーメンを持たずに父親の名を女性形にしただけの名が与えられるのはそうした「女は男の庇護下にあるもの」という考えを背景とした文化だった。そして、そうした文化・社会では他所の家族の名を呼ぶときは、基本的に氏族名ノーメン家族名コグノーメンで呼ぶのが作法である。家族同然に付き合っているような親しい間柄ならともかく、赤の他人が個人名プラエノーメンを呼び捨てにするなど、本来あってはならない失礼な行為であった。もし、特段の理由もなく女性の個人名プラエノーメンを呼び捨てにしたとすれば、それはその女性を庇護する男性に対する冒涜にも等しい破廉恥はれんちな行為なのである。

 スカエウァからすれば自分の婚約者に手を出された様なもので、当然ながら一瞬怒りの様な感情が沸き起こる‥‥‥が、スカエウァは既にルクレティアの婚約者ではない。ただの従兄妹でしかない。一瞬、カッとなりそうにはなるものの、理性の部分でルクレティアは婚約者ではないにもかかわらず何故自分がそのような感情を抱いたのかが理解できず、思わず混乱してしまったのだった。


 あれ、何だこの感情は???


 が、そのような事情などメークミーは知らない。スカエウァが話を中断して黙りこんだのはただ単に自分に調子を合わせてくれているのだと勝手に思い込んだ。


「何故だ!どういうことなんだ?」


「な、なにがでありましょうか?」


 戸惑うスカエウァの両肩をメークミーは掴み、救いを求めるかのように顔を覗き込んで問いかける。


「《地の精霊アース・エレメンタル》だ!

 あれほど強大な精霊エレメンタルが何故にこうも彼女に加護を与える!?

 其方そなたもスパルタカシウスを名乗る者なら、知っておるのではないか?!」


「そ、それは‥‥‥」


 その理由をもちろんスカエウァは知っている。ルクレティア本人から聞いていたからだ。だが、さすがに降臨のことをメークミーに教えるわけにはいかない。

 メークミーは確かに聖貴族としてはスカエウァなんかよりずっと上である。降臨者スパルタカスに連なる由緒正しい血統とは言えプルケル家はスパルタカシウス氏族の中では分家の中でも更に分家であり、血統が古すぎることもあって魔力も大したことは無いのだ。しかも、そのプルケル家の三男……おまけに宗家の跡取り娘ルクレティアの婚約者という立場も失った今、魔力に優れたムセイオンの聖貴族とよしみを結ぶことで何らかの成功をモノにしたいと思っていた。メークミーに便宜を図ろうとするのもナイスの世話に注力するのも、こんな辺境に居たのでは接点を持つことすらできるハズもないムセイオンの聖貴族とのコネクションを作りたいがためである。

 が、それでも彼はスパルタカシウス氏族の一員である。さすがにそれを忘れるほどスカエウァは分別のない男ではない。


「教えてくれ!

 ムセイオンには魔法使いマジック・キャスター精霊使いエレメンタラーもいるが、彼女ほど強大な精霊エレメンタルを使役する者など居ないぞ!」


「いえ、スパルタカシア様は《地の精霊アース・エレメンタル》様を使役してはおりません。」


 スカエウァが訂正すると、メークミーは一瞬キョトンとした表情になり、スカエウァの肩を掴むメークミーの手から力が抜ける。


「使役……してない?」


「はい、そうです。さすがにあれほどの精霊エレメンタル様を使役するなど、ヒトの身に出来ようはずがありません。」


 メークミーはスカエウァの両肩から手を放すと、左手で右ひじを抱え、その右手で口元を覆い、俯くように視線を床に泳がせ始める。


「そう‥‥‥ああ、そうだ!彼女もそう言っていた。

 《地の精霊アース・エレメンタル》を使役しているのではないと‥‥‥」


 メークミーは初めてルクレティアと話をした時のことを思い出していた。そう、確かに彼女は自分は《地の精霊》を使役していないと言っていた。

 だが、とても信じられるものではない。話が本当なら《地の精霊》はルクレティアから頼まれ、カエソーらを魔法を使って護ったことになる。仮に《地の精霊》がルクレティアの事をひどく気に入って特別な加護を与えたとしよう……それだけなら特に珍しい話ではない。ルクレティアは神官‥‥‥しかもケレース神殿テンプルム・ケレース……地の女神ケレースに仕えているのだ。《地の精霊》との相性は良いはずで、何かのきっかけで精霊が相性の良い神官を気に入ることは割とどこででも聞く話だ。しかしそうした場合、精霊が加護を与えるのは気に入った本人……今回の場合で言うならルクレティアのみの筈である。ハッキリ言って自力で魔法を自在に行使できるほど強大な精霊にとって、人間はどうでもよい存在なのだ。特別に気に入った誰かは別として、それ以外の人間については誰がどうだとかいうような個人を特定して関心を示すことなどまずあり得ない。おそらく、あの《地の精霊》にはカエソーもアロイスも、もしかしたらメークミーのこともナイスのことさえも区別はついていない可能性が高い。それなのにそんな無関心の対象であるカエソーをナイスの攻撃から守ったというのは、メークミーには理解の及ばない話だった。


 《地の精霊アース・エレメンタル》がカエソーを護ったとすれば誰かからの命令があったからこそのはずだ。その命令を出した者はルクレティア以外に考えられない。

 いや、ルクレティアは使役してないと言った。ということは命令は出していない……命令は出していないというが、言う事は聞くのか?

 願い事を聞いている?

 だがいったい何故!?

 彼女の魔力に秘密があるのか?

 だが、いくら彼女が強力な魔法使いだとしても、あれほどの精霊エレメンタルがヒトの魔力になびくんだろうか?

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