第688話 敗軍の将

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「両閣下には御目通りを御認め頂き、誠にありがとうございます。」


 スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルがジョージ・メークミー・サンドウィッチと会っていた頃、アーノルド・ナイス・ジェークに対する尋問が中断され不首尾に終わった礼拝堂の一室ではカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子とアロイス・キュッテルがライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア・ウィア・ライムンティ中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスシュテファン・ツヴァイクと面会していた。


「なに、侯爵夫人の頼みとする忠勇なる宿将が面会を求めて来たのです。侯爵夫人の実弟としても、侯爵夫人の忠実なる軍団長レガトゥス・レギオニスとしてもお断りする理由はありません。

 まあ、お掛け下さい。

 御身体の加減のほうはいかがですかな?」


 こころよく歓迎の意を示すアロイスに椅子を勧められ、シュテファンは「失礼します」と断って椅子に腰かけながら答える。


「スパルタカシア様配下の神官の方々による治癒を早くに受けさせていただきましたのでな……おかげさまで、見た目ほどひどくはありません。」


 シュテファンは気を失っていたので知らないが、本来なら致命傷に近い重傷を負っていた。彼の目は光を失っていたはずなのだ。だが、リュウイチが奴隷たちに持たせていたポーションがルクレティアの指示によってシュテファンの治癒に使われたことで、彼は命をとりとめた。水で数十倍に薄めたにもかかわらず劇的な効果を発揮するポーションにより、逆に傷が治りすぎて怪しまれてはならんというので、傷の深い部分だけをポーションで治し、傷口の浅い部分はあえて治癒しないまま残すという面倒な処置が施されたため、シュテファンが言ったように見た目には大きな傷が複数残っているにもかかわらず、いずれも残されたダメージは皮膚に近い部分だけであるため、活動にはほとんど支障がない。


「そうですか、それは何より。

 ですが、くれぐれもご無理はなさらぬように。

 貴殿の様な武人は属州の宝です。

 万一のことがあれば、侯爵夫人は悲しまれるでしょう。」


勿体もったいない御言葉、ありがとうございますキュッテル閣下ヘル・キュッテル。」


 シュテファンは頬をわずかにほころばせながらアロイスに頭を小さく下げると、カエソーの方をチラリと見た。


 軍団長レガトゥス・レギオニスは昨夜の捕虜の尋問に立ち会っておられるので、ツヴァイク殿との面会はもしかしたら夕刻頃になるかもしれません……アロイスへの面談を求めたシュテファンはアロイスの従兵からそのように伝えられ、一時は一旦中継基地スタティオへ戻って出直そうかとも考えていたのだが、思いのほか早くに案内されてここへ入室した。そのシュテファンにとって意外だったのはシュテファンはアロイスとの面会を申し込んだのに何故かカエソーが同席していたことと、昨夜重傷を負ったと伝え聞いていたカエソーがピンピンしていたことだった。シュテファンはまだ四日前の傷が癒えず、そこかしこに包帯を巻いているというのにカエソーは包帯を巻いている様子もない。


「サウマンディウス伯爵公子閣下も思いもかけず御尊顔を配し、恐悦に存じ上げます。」


「うむ、ツヴァイク殿の勇名はかねてより父サウマンディウス伯爵より聞いております。ズィルパーミナブルク攻略戦では先陣を務められたそうですな?」


 それはまだカエソーが小さかった頃に行われた、対南蛮戦の中では最近にして最大の大戦おおいくさの話である。アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが現在のズィルパーミナブルクを攻略し、その支配権を確立した戦であり、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアも援軍として参加していた。

 その戦においてシュテファンは中隊長として先陣を務めたのだが、敵の反攻を一手に引き受けた彼の中隊は全滅に近い大損害を受け、彼自身も戦傷を負ってしまっている。シュテファンが現役を退いたのは年齢もあったのだが、その時の傷と部下を死なせすぎてしまった事への悔恨からだった。

 その時のことを思い出しながら、シュテファンは何とも言えない表情を作ってわずかに目を伏せ、その時に左太ももに負った古傷を服の上からさすりながら懐かしむように答える。


軍団兵ランツクネヒトとしてはあれが最後の務めでした。

 さすがにこうも老いぼれては、前線に立ち続けても却って若い連中の足を引っ張るだけになってしまいますからな。

 しかし、未だにこうして中継基地スタティオを任され、警察消防隊ウィギレスではありますが武人として扱っていただき、ありがたい限りです。」


「御謙遜けんそんなどなさいますな。

 今もこうして戦傷を負われるほどのご活躍ではありませんか。」


 身分が違うとはいえ軍人にとって実戦経験の有無は敬意を示す十分な理由になる。むしろ、実戦経験を持つ者に敬意を払えない者は武人足り得ない。実戦経験が全く無いわけではないが、まだ若いカエソーには目の前の老将はまるで英雄譚の登場人物のように輝いて見える。


「いやいや、敵に後れを取り、部下たちを死なせてしまった敗戦の将にすぎません。しかもそれがただの盗賊ですから、恥じ入るほかありません。」


 彼が戦った相手はムセイオンの聖貴族に率いられていたのだから決してなどではない。三日前のアルビオンニウムの戦であっても、もし《地の精霊アース・エレメンタル》の加護が無ければカエソーも良いように手玉に取られ、ケレース神殿テンプルム・ケレースを護れなかった可能性が高かった。そのことを知るカエソーは過剰とも思えるほど自責の念に囚われているシュテファンのことが気の毒に思えてならない。


「そうおっしゃいますな。

 奴らは軍に攻撃をしかけてくるほどの者、であるはずがありませぬ。

 そんな異常な者どもを相手に初めて戦いを挑んだのです。初手で後れをとったとしても、不覚ゆえとも言えますまい。

 不覚を恥じねばならぬのはむしろ私の方です。

 奴らが常識の外にある存在と知りながら、ブルグトアドルフで同じように待ち伏せに遭い、大きな損害を出してしまった。

 ツヴァイク殿がそこまで恥じ入ると言うのであれば、私などどうなるというのです!?」


 相手はただの盗賊……そういう油断があった。そしてそうであるがゆえにシュテファンはまんまとおびき出され、待ち伏せに遭ってしまった。セルウィウス・カウデクスが部下と共に駆け付けなければ、シュテファンの部隊は全滅していた事だろう。

 だがそれはカエソーが言った通りシュテファンの油断が原因だったと結論付けるのはあまりにも酷な話である。結果から言えばその通りではあるが、その結果論からまともな教訓が導き出せるかと言うと決してそんなことは無い。

 当時のシュテファンの置かれた状況から盗賊団の罠を予想できた可能性は高くは無いし、まず常識的に考えて無理である。それなのに罠を想定して慎重に行動しなければならないとすれば、今度は同じような状況の別の機会において迅速に行動できなくなってしまうだろう。軍事においてもっとも重要なのは慎重さではなく速度であり、多少の齟齬そごを看過してでも敵の予想や対応力を上回る速さで行動するのが重要なのだ。兵は拙速せっそくたっとぶ……孫子の唱えたそれは軍事という分野における時代を超越した大原則なのである。

 このように現実的な対応策を生み出せず、誤った教訓を導き出すような結果論は有害でしかない。シュテファンが自責する結果論を容れれば自身の昨夜の失敗も取りつくろえなくなるからというカエソーの個人的事情を棚に上げたとしても、そのような有害な結果論は否定されねばならなかった。


 しかし、当事者の心情はそうした理屈とはまた別の次元に存在するのも否定の出来ない事実である。シュテファンは守るべき住民たちを、部下たちを守ってやれなかった。それどころかまんまと罠にはまり、部下を死なせ、全滅の危機に陥れた。それは紛れもない事実なのである。シュテファンとしてはカエソーの慰めを容れるわけにはいかなかった。

 が、だからといって一人でクヨクヨと思い悩む贅沢が許される立場でもない。彼の部下たちはまだ半数以上が生き残っていたし、守るべきブルグトアドルフの住民たちも宿駅マンシオーに収容されているのだ。


「ありがとうございます。そう言っていただけると多少は心も軽くなります。」


 シュテファンはそう礼を言い、表面上は慰められたかのように装った。そしてジロリとカエソーに視線を向ける。


「しかし、伯爵公子閣下の方も昨夜は戦傷を負われたとお聞きしましたが、見たところ全然大丈夫そうですな?」

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