第689話 中座する伯爵公子

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「んっ?!わ、私か?」


 中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスシュテファン・ツヴァイクの思わぬ指摘にカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は思わず固まってしまった。


「はい、昨夜は重傷を負われ、生死の境をさまよったとかお聞きしました。シュバルツゼーブルグへの出発が延期になったのもそのためだとか……」


 本当なら彼らは午前中にはシュバルツゼーブルグへ出立してなければおかしい。アルビオンニウムからシュバルツゼーブルグまではほぼ丸一日の距離があり、その中間地点にあるブルグトアドルフからシュバルツゼーブルグまでなら約半日の行程といったところだ。が、それは健脚の軍団兵レギオナリウスの行軍速度での話であり、一般人の……それも女子供や老人を含む避難民の足でとなるとほぼ丸一日かかると見込まねばならない。もし、ブルグトアドルフから出発して日のあるうちにシュバルツゼーブルグへたどり着こうと思ったら朝のうちに出立しなければならないだろうし、到着が日没後になるとしても午前中には出立しなければシュバルツゼーブルグの街に入ること自体が難しくなってしまう。


 だが昨夜の戦闘を受けてシュバルツゼーブルグへの一行の出立は一日延期されることが決まっていた。決まったのは今日の午前中‥‥‥それも昼近くになって損害状況を確認してからの話である。

 理由は、馬車だった。セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスから借りてカエソーが乗っていた馬車が盗賊たちの集中攻撃を受け、大破してしまったのである。そして一行が持っていた貴人用の馬車はカエソーが乗っていたセプティミウスの馬車と、ルクレティアが乗っているスパルタカシウス家の馬車だけ……さすがにルクレティアの馬車に同乗するわけにはいかないし、ルクレティアから馬車を譲ってもらうわけにもいかない。乗車を失ったのがカエソーだけならせめて馬に乗って移動することも出来ただろうが、捕虜であるジョージ・メークミー・サンドウィッチはさすがに逃亡の恐れがある以上馬に乗せて移動というわけにはいかなかったし、さらにアーノルド・ナイス・ジェークも馬車に乗せて運ばねばならなくなったのだ。メークミーもナイスも犯罪者ではあるがいやしくもムセイオンの聖貴族なのだから、その身分に相応しい馬車に乗せないわけにはいかない。


 貴人三人が乗るための馬車を新たに調達しなければ!!


 そこで、アロイスとカエソーは急遽シュバルツゼーブルグから馬車を借りることにし、早馬を出すとともに出発を一日遅らせることにしたのだった。


 だが、そうした出発延期の理由の詳細は伏せられている。ナイスやメークミーといったムセイオンの聖貴族の存在は現時点では隠さねばならない。聖貴族がムセイオンを脱走して降臨を起こそうとしたあげく、盗賊団を率いて一般市民を虐殺したなどとなれば大協約体制そのものとっての大スキャンダルとなってしまうからだ。少なくとも、彼らが盗賊団を率いていたということだけでも隠さねばならない。かといって彼らを運ぶ貴人に相応しい馬車を用意しないわけにもいかない。

 そこで、カエソーが重傷を負ったため‥‥‥という理由が付け加えられていたのだが、シュテファンの前に現れたカエソーは元気そのものだった。


「しかし、見たところ大きな傷は見当たりませんし、まったくお元気そうで何よりな事です。」


「ああ、うん‥‥‥その……な、重傷を負ったと言うのは本当なのです。

 その……服で見えない部分で……痛みも、今はちょうどポーションが効いてましてな。」


 カエソーはしどろもどろになりながら説明し、チラチラとアロイスの方へ視線を送る。援護射撃が欲しいのだ。このままではカエソーは仮病を使って我儘を言ってる子供の様に思われてしまう。それは軍装に身を包む者にとってはあまりされたくはない種類の誤解だった。


「ン……オホンっ!」


 アロイスがわざとらしく咳払いし、シュテファンの注意を引く。


「いや、本当なのだ。伯爵公子閣下は一時は生死の境をさまよわれておられた。

 しかし、サウマンディアの公子に警護していただき、それがために閣下が重傷を負われたということもあって、スパルタカシア様をはじめ神官たちが特に力を入れて治癒に励まれましてな。

 いや、私も近くで拝見させていただいたが、凄いものでした。」


 アロイスが少し芝居がかった調子でそう説明するとシュテファンもやや大袈裟に驚き、感心して見せる。


「おおっ!なるほどそういうことでありましたか……

 そういうことでしたら得心がいきます。

 私もこの通りの大傷を負いながらも、意外と痛みもない。どうやら傷も深い部分を先に治し身動きに支障のないようにして下されたようです。

 これほどの腕を持つ神官団が特に力を注いだとなれば、なるほどなるほど……


 いや伯爵公子閣下、どうかお許し下され。

 決して閣下の戦傷を疑ったわけではありません。」


 感心した様子を演じながらアロイスが何故あのように説明したかという理由に思い至ったシュテファンはカエソーに詫びを入れる。それによってカエソーは体面が保たれたことに安堵し、頭を下げるツヴァイクの謝罪を受け入れた。


「もちろんですともツヴァイク殿!

 いや、私も驚いておるほどなのです。

 ツヴァイク殿が不思議に思われるのも無理はない。」


「いや、この歳で戦事に関して知らぬものは無いと高をくくっておりましたが、とんだ思い上がりでした。

 長生きはしてみるものですな。」


 シュテファンがそう言うと、三人はハハハと笑った。場を取り繕えたことに安堵したカエソーだったが、シュテファンは「それにしても」と終えたと思った話を続ける。


「こうして元気そうに見えますのに、まだ馬車がなければシュバルツゼーブルグまでの旅はまだまだ難しいのですかな?

 馬をお貸しするくらいならばいたしますが……」


 思わぬ老兵の追及にカエソーは内心で冷や汗をかきつつ答える。


「ああ!?……ああ、ああ……うん……まだ……な。

 今でこそポーションが効いてくれているので、こうして平気に振舞っていられるが、ポーションの効き目が切れると、な……

 騎乗はまだ……難しいのだ。」


「伯爵公子閣下、どうやら顔色が優れぬようだ。

 ポーションの効き目が切れかけておられるやもしれませぬ。

 せっかくの御歓談中だが、別室でお休み成されてはいかがですかな?」


 見かねたアロイスが助け舟を出すと、カエソーはここぞとばかりに乗ることにする。


「お!?おお……これは、かたじけない。

 そうですか?……言われてみれば、すこし疼き始めたようだ。

 ツヴァイク殿、申し訳ないが……」


「おお伯爵公子閣下!どうぞ私の様な老骨のことなどお気になさらず。

 御身は大切な御身体です。どうぞ大事にしてくださいませ。」


 中座を申し出るカエソーにツヴァイクがそのように答えると、アロイスは従兵に声をかける。


「おい!伯爵公子閣下がお休みになられる。

 傷が痛みだしてはだ、手をお貸ししろ!」

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