第690話 下せない判断

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 従兵に支えられながら退室していくカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の背中を見送りながら、シュテファン・ツヴァイクが小さく溜息をつくのをアロイス・キュッテルは見逃さなかった。呆れだろうか?シュテファンの表情は全く平静そのものだが、カエソーを見送るその目には少し冷たい光がある。


 やはり、わざとカエソーを追い出したのか?

 上級貴族パトリキ相手に無茶なことを……


 確かにカエソーは軽率であったが、何も恥をかかせて居づらくさせるほどのことでもあるまい。シュテファンは疑っているがカエソーが重傷を負い、生死の境をさまよったというのは紛れもない事実なのだ。本来なら受けられない高度な治癒魔法の恩恵にあずかり、シュテファンを始め現場で戦う兵士らと苦楽を共にしなかったという点で「戦友」という絆で結ばれるクラブに入会する資格を失っているのかもしれないが、それでも曲がりなりにも相手は属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの跡取り息子……一つ間違えばサウマンディア属州とアルビオンニア属州の関係を壊しかねない危険な試みである。

 閉ざされた扉を見つめ続けるシュテファンを見ながら、さきほどシュテファンが漏らしたのと同じように小さく微かな溜息を噛み殺しながらアロイスは、シュテファンに座るよう促しながら言った。


「して、用件を伺いましょうか?」


「おお!そうでした。

 お忙しいところをわざわざ時間を作っていただいたのに……」


 シュテファンはそう顔をほころばせながら言うと、カエソーの退室を見送るために起立していた二人は改めて席に着いた。


「用件と言うのは他でもありません。

 住民たち……そして我々の今後についてです。」


「今後と言うと?」


 アロイスは後ろを振り向き、背中越しに従兵に香茶を淹れなおすよう合図しながら問い返す。


「はい、住民たちはブルグトアドルフの街へ戻ることを望んでおります。シュバルツゼーブルグへ避難するのではなく……」


「んん~~~~~っ‥‥‥‥」


 シュテファンの申し出を聞いたアロイスは唸るように長く息を吐いた。シュテファンの言っていたことは昨夜、アロイスが住民たちから直接聞いた要望でもある。住民たちの目の前で盗賊たちは追い散らされ、半数以上が捕えられるか殺されるかしている。逃げ延びた盗賊はおそらく三十人も残っていないだろうと見積もられており、シュテファンら警察消防隊ウィギレスで対処不能な大規模盗賊団は事実上消滅したようなものだ。

 シュテファンたちだけで残りの三十人弱の盗賊団を狩ることは難しいだろうが、ブルグトアドルフの街に近寄らせないようにするぐらいは出来るだろう。ならば、住民たちをシュバルツゼーブルグへ無理に避難させなくても、ブルグトアドルフに戻して復旧復興を始めた方が良いのではないか?……シュテファン他住民たちがそのように考えるのは当然と言って良い。

 だがそれは、シュテファンたちが『勇者団ブレーブス』の存在を知らないからそのように思えるのだ。『勇者団』が生き残っている限り、盗賊団が消滅したとしてもブルグトアドルフの脅威は無くならない。


 アロイスは考え込むように無言のまま低く唸っているが、俯き加減でシュテファンを見つめるアロイスの暗いまなざしは明確に否と告げていた。シュテファンは椅子に据えた尻をずらし、身体をアロイスの方へ向き直らせて言葉を重ねる。


「現状、我々第三中継基地スタティオ・テルティア警察消防隊ウィギレスも損害から回復しておりませんが、第二中継基地スタティオ・セクンダの警察消防隊と合流すれば騎兵だけで五十騎を超える人数にはなります。

 仮に閣下の御支援が受けられなかったとしても、賊どもからブルグトアドルフを守るのに不足があるとは思えません。」


「だが、シュバルツゼーブルグとの連絡線はどう確保する?

 第四中継基地スタティオ・クアルタ第五中継基地スタティオ・クィンタも壊滅した今、第三中継基地は孤立無援だ。

 ブルグトアドルフに再び危機が訪れた時、貴官が早馬を出して急報を告げても、シュバルツゼーブルグから援軍が駆け付けるのは早くて翌日の夕刻になろう。

 すでに半減してしまっている住民たちが全滅する前に援軍が到着するとは思えん。」


「閣下の御力で何とかなりませんか?」


 先ほどまでの自信にあふれた歴戦の勇士の姿は既になく、縋るように哀願する老兵がアロイスの前にいた。しかし、アロイスは言下に否定する。。


「無理だ。

 シュバルツゼーブルグには外へ派遣する余剰戦力は無く、我々も遅くとも明後日までにはシュバルツゼーブルグへ戻らねばならん。持ってきた食料はその分だけなのだ。

 ブルグトアドルフにだって、食料はろくに残ってはいまい?」


 盗賊たちはブルグトアドルフの住民たちが冬を越すための備蓄を根こそぎ奪ってしまっている。残されたのは生きた家畜と飼料ぐらいなものだ。もし、このままブルグトアドルフに住民たちが残ると言うのであれば、住民たちが冬を越すための食料をシュバルツゼーブルグから運び込まねばならない。

 だが、運び込むためのルートの安全を確保するための第四、第五の二つの中継基地は壊滅してしまっている。食料を運び込む荷馬車が途中で襲われればひとたまりもない。そして、その荷馬車の数も絶対的に不足している。ブルグトアドルフにあった馬車はことごとく破壊されるか焼かれてしまっていたし、シュバルツゼーブルグの荷馬車のほとんどはアルトリウシアへの物資輸送へ投入されていた。


「住民全員とは言いません。

 せめて、残されたままの家畜の世話をする最少人数だけでも、残ることをお許しいただけませんか?」


「それは、貴官らもここに残ると言う事か?」


 アロイスは訝しむように小さく首を傾げ、シュテファンを睨みつけた。老兵は後ろめたいことなど何もないと言わんばかりに上体を起こし、胸を張る。


「住民の安全を確保するのが我々の役目です。

 幸い、第三中継基地スタティオ・テルティアは無傷のままです。

 武器弾薬類は避難する際にすべて持ち出していたので無事ですし、持ち出せなかった食料なども手を付けられていません。その備蓄分で、ひと月かそこらは飢えることなく持ちこたえることが出来ましょう。」


「それでは、冬は越せんな?」


 アロイスの低い声に対し、シュテファンはあくまでも強情を張り、憮然とした表情を作る。


「それまでに閣下が盗賊どもを始末してくださいましょう?」


 二人は無言のまま互いの目を見つめ合う……いや、睨み合うと言った方が良いだろうか。

 確かに盗賊団は始末しなければならない。そしてその準備も既に始めており、予定通りに事が進めば実際にアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが本腰を入れて対応を開始できるのは十日後……ならば、一か月分の食料があるのだから、それを頼りにブルグトアドルフを守り続けることは可能なはずである。


 だが真に問題なのは盗賊ではなく『勇者団』の存在だ‥‥‥‥


 『勇者団』が今後、アルビオンニウムでの降臨再現を優先するか、それとも捕虜奪還を優先するか、それによってブルグトアドルフの未来は大きく変わるだろう。もしも『勇者団』が捕虜奪還を優先するのであれば、『勇者団』はルクレティアの一行と共にアルトリウシアへ移動しつづけるだろうから、住民たちはむしろブルグトアドルフに残った方が安全ということになる。

 だが、『勇者団』がアルビオンニウムでの降臨再現を優先し捕虜奪還を諦めた場合、ブルグトアドルフは今後も危険なままだ。ブルグトアドルフはアルビオンニウムから半日の距離であり、降臨を起こそうとしている『勇者団』の活動圏内にある。彼らのこれまでの行動パターンから見て、アルビオンニウムに駐在する部隊を排除するためにブルグトアドルフを再び襲ってアルビオンニウムからの救援部隊の誘引を試みる可能性は高い。


 昨夜、『勇者団』はブルグトアドルフでルクレティアの一行を……より厳密にはカエソーの部隊を襲って捕虜奪還を試みた。だが、アルビオンニウムから日帰りできる範囲内で行われた今回の奪還作戦だけでは、『勇者団』がどちらを優先するかはまだ判断できない。


 それを判断するためにも、ナイス・ジェーク殿からの話を聞きたかったのだがな……

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