第691話 賊の正体
統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム
「閣下」
「いや、やはり許可は出来ない。」
「昨夜も言ったがまだ安全ではない。安全とは言い難い。」
「閣下!」
シュテファンが身を乗り出し、椅子がガタっと音を立てる。
「お言葉ですが、三十程度の盗賊ならば我々だけでも追い払うぐらいはできます。」
「逃げ延びた盗賊は多く見積もっても三十に満たない……確かに私は貴官そう言った。だが、それで全部ではない。」
アロイスが何か重大な秘密でも打ち明けるような面持ちで言うと、シュテファンは前のめりにしていた上体をわずかに引いた。
「他にもいると言うのですか?」
「もちろんだ。
あの盗賊どもは元々シュバルツゼーブルグ近郊にいた連中だ。それをかき集め、一つの集団に
「‥‥‥昨夜言っておられた、賊の首領どものことですか?」
「そうだ。捕虜から得られた証言を
そいつらはいずれも
そしてそいつらは昨夜、ブルグトアドルフには現れていない。」
アロイスの説明を聞くとシュテファンは難しい顔をして低く唸りながら姿勢を元に戻した。背筋を伸ばし、顎を引いて俯き気味に考え込む。
「たとえ三十人の盗賊が十人に減ったとしても、そいつらが居る限り安全ではない。奴らは武器も食料も奪ったが、馬も奪っている。いつどこへ現れるかわからん。」
アロイスが続けて言うとシュテファンの眉がピクリと動く。
「それは、我々では捕まえられんということですか?」
「そうだ。」
鋭い眼光でシュテファンはアロイスを睨んだが、アロイスはそれに動じなかった。それどころか、心外極まる返答を返すアロイスにシュテファンは目を剥く。
「日々、馬でパトロールしている我々が、つい最近奪った馬に乗り始めたような賊ごときに後れを取るとでも!?」
馬術は簡単に身につくものではない。馬は機械ではなく生き物だ。それぞれ個性があり、扱いには習熟が必要である。初めて鞍に跨ってから一人で歩き回れるようになるだけで数週間とか数カ月といった時間を要する。野山を自在に駆け回れるように鳴ろうと思ったら数年はかかるだろう。そしてどれだけ馬術に才能のある人間でも、大人になってから乗り始めた者が子供の頃から乗り続けている者に技量が追い付くことは先ずない。
馬に乗るどころか扱った事もないであろう盗賊が、つい三、四日前に盗んだ馬にいきなり乗ろうと思っても簡単に乗りこなせるようにはならない。常識で考えれば、日常的に業務で乗り回しているシュテファンら
しかし、アロイスはシュテファンらでは騎乗する賊どもに対処できないと言う‥‥‥これはシュテファンからすれば侮辱されたようなものであった。
「盗賊どもは乗りこなせないだろう。
だが、賊の首領どもは別だ。」
あくまでも冷静なアロイスの返答に、シュテファンはムッと息を飲む。
「捕虜から得た情報によれば、賊の首領は馬を乗りこなし、あちこちに点在する盗賊どもの様子を見て回っていたそうだ。時には逃亡を図る盗賊を追いまわすこともあったらしい。」
アロイスの話からシュテファンは賊の首領たちが乗馬の技量ではシュテファンらに劣らぬレベルであろうことを認めざるを得なかった。さすがに普段から騎乗してパトロールを行っているシュテファンたち警察消防隊も、山林の中を逃げ回る盗賊を馬に乗ったまま追い回そうとは思わない。それほどの技量など簡単に身につくものではない。
「そ、それでも馬に乗れる賊は十数人なのでしょう?
我々は
まともにぶつかって負けることはありません!」
「まともにぶつかれば、な。」
追い縋るシュテファンだったが、アロイスは逆に既に匙を投げたかのように上体を背もたれに預けて言った。
「アルビオンニウムでの奴らがどんな作戦をとっていたか、聞かせてもらったぞ?
まともにぶつかれば勝ち目のない盗賊どもを使いながら、陽動に陽動を重ねて我が軍を引きずり回したそうじゃないか。」
「盗賊どもは戦力を半減させたと聞いております。」
面白くなさそうに言うシュテファンに対し、アロイスはため息交じりに続ける。
「盗賊どもは、だ。
おそらく……だが、首領共にとって盗賊どもは使い潰しても良い戦力なのだ。
賊の首領どもは損害らしい損害を出しとらん。
奴らは我々をも手玉に取るほどの用兵家だ。
自ら囮になって貴官らを引きずり回し、その間に盗賊どもに街を襲わせるくらいはするかもしれん。あるいは、罠を張って
シュテファンはしばらく黙ってアロイスをジッと上目遣いで見つめた。アロイスも見つめ返すが、シュテファンはアロイスを無遠慮なまでに観察し続ける。そして、表情を変えずにおもむろに口を開いた。
「何者なのですか、奴らは?」
「わからん。」
唐突な質問にアロイスはシュテファンから目を逸らし、円卓の上へ視線を泳がせながら
「かなりな手練れで、
「そうだな‥‥‥」
あくまでもトボケ続けるアロイスだったが、その態度からシュテファンは確信する。
どこぞの貴族に連なる者か‥‥‥
貴族の次男、三男は跡取り息子となる長男の予備として産まれ、育てられる。そして予備である以上、長男がそのまま跡取りとして成長すれば、用は無くなる。言ってしまえば邪魔な存在になってしまう。
何か才覚があってそれを基に立身できるならそうするだろうが、大した才覚も無く、家に居場所を失った者は路頭に迷うしかない。家を追い出されれば、後はただの無宿者である。そして、そうした才覚に恵まれることなく家から追い出された貴族の次男坊三男坊が無宿者となった後に身を
貴族の跡取りの予備として産み落とされ、育てられただけあって、貴族として必要な教育は当然の様に受けている。礼儀作法や教養も身につけてはいるが、そうしたものは
若さと体力と武芸と兵学……それらを同時に身に着けている彼らが生きる術を探さねばならなくなった時、それを活かそうと考え付くのは当然の成り行きであった。なぜならその分野では競争相手となるのは素人が武器を持っただけの盗賊やならず者たちだけであり、彼ら元・貴族のボンボンはスタート地点に立った時点で他より優位に立てているからだ。
何かは知らんが、どこぞの貴族のバカ息子どもが盗賊どもを率いて戦ゴッコをしとるわけか……ええ迷惑じゃわい。
そう理解したシュテファンは
「しかし閣下、我々としても簡単に『はい、そうですか』と納得することはできません。
十日の後にはサウマンディア軍団の準備が整い、ブルグトアドルフに帰って来れるとしても、それまで家畜どもを放っておけるわけでもないのです。かといって、家畜どもをすべてシュバルツゼーブルグへ連れて行けるわけもない。
せめて、家畜の世話をするための数人だけでも、ここに残れませんでしょうか?」
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