第692話 空回りするスカエウァ

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 昨夜はブルグトアドルフで一泊し、今日はシュバルツゼーブルグへ向かう予定だったがもう一泊することとなった。理由は昨夜の盗賊団の襲撃を受け、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の乗っていた馬車が大破してしまったためである。


 カエソーは立派な上級貴族パトリキであり、軍人である。高級将校である以上、当然ながら馬に乗るくらい当たり前にできるのだから、最悪カエソーだけなら馬に乗ってアルトリウシアまで旅することも出来たのだが、流石にメークミー・サンドウィッチやナイス・ジェークといった捕虜まで馬を与えるわけにはいかない。それでは逃げてくださいと言っているようなものだからだ。

 かといってこの世界ヴァーチャリアで最も高貴とされるムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムを歩かせるわけにもいかなかったし、負傷兵のように荷馬車に乗せるわけにもいかない。

 そこでやむなく、シュバルツゼーブルグへ早馬を出し、シュバルツゼーブルグの郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグから馬車を借りることにしたのだ。シュバルツゼーブルグからブルグトアドルフまで馬車なら半日の距離である。早馬は午前中に出したから、仮にヴォルデマールが連絡を受け次第最速で馬車を送り出したとしても今日中に着くことは無い、早くて明日になるだろう。

 まだ返事は届いていないが、サウマンディアからカエソーが来ているため必要だと聞けば、ヴォルデマールの立場と性格からして嫌とは言わないだろうし、むしろ積極的に馬車を送り出してくるはずだ。


 このような理由から、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアもブルグトアドルフの街でもう一泊することになった。本来なら丘の上、第三中継基地スタティオ・テルティアの向かいにある宿駅マンシオーに宿泊するはずだったが、昨夜の戦闘の影響から彼女は野戦病院と化した礼拝堂にそのまま宿泊する羽目になっている。そして、今日もまた、引き続き礼拝堂で宿泊することとなった。

 表向きの理由は、昨夜発生してしまった多数の負傷兵の看護のためである。が、実際は負傷兵はすべて《地の精霊アース・エレメンタル》の治癒魔法によって完治してしまっているため、看護の必要など全くない。本当の理由は捕虜たちの監視であった。


 といっても、もちろん数十人に及ぶ盗賊たちのことではなく、『勇者団ブレーブス』のメンバー二人のことだ。ジョージ・メークミー・サンドウィッチとアーノルド・ナイス・ジェーク……このうちメークミーの方はとっくに脱走を諦めており、従順と言って良い態度をとっている。昨夜も逃げ出すチャンスがあったはずなのに逃げもせず、むしろ意識不明の重体となったカエソーにつきっきりで治癒魔法をかけ続け、魔力欠乏を起こしてしまったほどだ。

 だがもう一方のナイスの方はそうでもない。


 今朝、目覚めた時の様子からするとメークミーよりも御しやすいと目されていたナイスはむしろ油断ならない相手であった。魔力欠乏から回復しきっておらず、弱っている筈なのに、攻撃魔法を使ってカエソーから自分の装備品を奪い返そうとしたのだ。

 幸い、こういう事もあろうかとカエソーが事前に相談し、別室でルクレティアに待機してもらっていたため、《地の精霊アース・エレメンタル》の力によってナイスはあっという間に拘束することができた。だが、この調子ではチャンスがあれば再び牙を剥くか、あるいは脱走を企てる可能性は高いと考えねばならないだろう。

 そんなわけで、もしもナイスの尋問も順調に行くようであればルクレティアだけでも礼拝堂より快適な宿駅マンシオーへ移ってもらおうという話もあったのだが、残念ながらそうはならなかった。本人はこの人が多くて騒がしく、手狭で粗末な礼拝堂でもう一泊しなければならなくなったことについて、「まぁ仕方ないわね」ぐらいにしか思っていなかったが……。


「ルクレティア!」


「!……スカエウァ?」


 リュウイチに倣って汚物を一つの部屋に集め、まとめて浄化魔法をかけていたルクレティアに声をかけてきたのは従兄で元・婚約者のスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルであった。

 本来ならルクレティアの様な貴族ノビリタスの女性が宿泊する区画は他の区画から仕切られ、男性は入れないようにするものなのだが、この礼拝堂は建物の規模こそそこそこあるものの、一階は野戦病院兼司令部と化していたし、二階部分には複数の貴族が宿泊していたため、そのような区画分けはほとんど意味のないものになっていた。スカエウァの部屋とルクレティアとその従者たちに割り当てられた部屋とは同じ一本の廊下で繋がっているため、スカエウァの部屋の前から廊下を歩くルクレティアの様子は丸見えになってしまっている。

 部屋から出て来たルクレティアにいきなり声をかけて来た男性がスカエウァだと気づいたクロエリアらルクレティアの使用人たちはサッと身を引いてスカエウァとルクレティアの会話の邪魔にならないようにする。


「何してたんだい?」


 部屋から出て来たルクレティアに対し、大して興味も無いだろうに話の切っ掛けづくりのための質問をしてくる。ルクレティアが出て来た部屋は汚物を集めて浄化魔法をかけるための部屋だったのだが、女性用区画にはルクレティアのみならずルクレティアの使用人たちの部屋もあるのだ。いくら相手がスカエウァだとしても、区画内の割り振りについてベラベラしゃべるわけにもいかず、ルクレティアは適当にはぐらかす。


「いいえ、別に……貴方こそ、どこかへ行っていたの?」


「え!?あ、ああ……サンドウィッチ様のところへね。

 ほら、ジェーク様との面会ができなくなったと、御報告にあがってきたところなんだ。」


 ルクレティアの反応が図に当たったのかスカエウァの愛想笑いが大きくなる。だがスカエウァが言葉をつづける前にルクレティアはわずかに眉をひそめて割り込んだ。


「随分熱心ね。

 アナタが自分で言いに行くほどの事でもないんじゃなくて?」


 メークミーにしろナイスにしろ、身の回りの世話を焼くための神官はスカエウァの部下から割り当てられている。大して重要でもない連絡など彼らに任せればよいことであり、スカエウァがわざわざ自分で出向くようなことではない筈だ。

 出鼻をくじかれたスカエウァはルクレティアの何かをとがめるような視線の理由がわからず戸惑い、思わず愛想笑いをしぼませてしまう。


「ぁえ!?あ、ああ……そのぉ……他に、することもないしな。

 ああ、それにあれだ、ジェーク様と面会したいとのご希望を承ったのは僕だったし?」


「ふーん?」


 スカエウァ自身がメークミーからそんな希望を聞いたということはスカエウァはメークミーと直接会ったということだ。もちろん、サウマンディアから派遣された神官団の取りまとめ役である彼の立場でそれをすることに問題があるわけではないが、直接会わなければならない必要があったわけでもない。わざわざ会いに行ったということはスカエウァ自身に何らかの思惑があったからこそだ。ルクレティアはその思惑のことを咎めているのだが、スカエウァはそんなことに疑問を抱いたことも無いのでルクレティアの態度が何故こうも冷たいのかわからない。


 何かわからんが気に食わない事でもあったんだろう……大して考えることなく、無意識のうちにそう結論付けたスカエウァは今まさに何かを思いついたとでも言うようにパッと表情を明るくした。


「ああっ!そうだ、ルクレティア。

 ジェーク様のことを回復させて差し上げられないかな?

 サンドウィッチ様が面会が出来なくなったことを随分残念がっておられてね。それにジェーク様のことをとても心配しておられるんだ。」


 自分より二つも年上で自分なんかよりずっと大人だと思っていたスカエウァの物言いにルクレティアは驚き、そして呆れた。言葉もなく目と口を大きく開け、目を二度三度とパチクリさせた後、口をパクパクさせながら周囲を見回して言葉を探す。そして何も巧い言い方を思いつかず、やむなくありきたりな答えを返さざるを得なかった。


「アナタ、何を考えているの!?」


「え!?何?」


 予想外の反応にスカエウァは戸惑いを隠せない。頭が回らないらしいスカエウァにルクレティアは諭すように問いかける。


伯爵公子カエソー閣下は何と言っているの?」


「え!?いや、ああ……」


 スカエウァは後ろを……カエソーの部屋のある方を一旦チラッと振り返ってから視線を合わせないままルクレティアに向き直りつつ答える。


「閣下は先ほどまで来客と面会しておられたんだが……なんだか気分が悪いとおっしゃられて、自室へ……」


 要するにカエソーに話を通していないのだ。メークミーにしろナイスにしろ、どちらも捕虜でありカエソーの管理下に置かれているのだからカエソーの許しが無ければルクレティアだって勝手は出来ない。スカエウァにしたところでメークミーとスカエウァがムセイオンの聖貴族だから世話をする神官を貸し出しているだけであって、管理を任されているわけではなかった。


「じゃあ閣下に話を通して来て。」


「ルクレティア!?」


 スカエウァは信じられないという風に目を丸くし、ルクレティアに向き直る。


「閣下のお許しが無いなら私は何もできないわ。じゃ‥‥」

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