第1100話 女奴隷を献上するのは……

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 揶揄からかうようなマルクスの態度にエルネスティーネは目を丸くした。


「まぁ! 勘違いとはどういうことでしょう?

 女の身で殿方とのがたに意見するのはいかがかとは思いますが、わたくし記憶力にはいささか自信がございますの。

 リュウイチ様のために新たな聖女サクラ巫女サセルダを探すのは当面見合わせるという方針はサウマンディアも同意する……プブリウス伯爵閣下からそのようなお手紙を確かに頂戴しておりましてよ?」


 アルビオンニア貴族としてはここで引くわけにはいかない。降臨者に女をあてがい、降臨者の血筋を領内に得たいというのは分るが、リュウイチの降臨を知る者が増えれば秘密保持にも支障が出てくる。身近な、あるいは影響下にある女を仕えさせようという貴族たちの競争が始まれば際限が無くなるだろう。あっという間にハーレムが膨れ上がり、運営に膨大な負担を強いられることにもなる。

 それ自体はいずれ現実化する避けようのない未来ではあったとしても、今そうなっては困るのだ。復興途上のアルビオンニア属州にそしてアルトリウシア子爵領に、そのような余力はない。サウマンディアはもちろんそれを見越したうえであえて割り込んでこようとしているのだろうが、負担ばかりを押し付けられて甘い汁だけを吸われてはかなわない。サウマンディアだってアルビオンニアを支援しているのは事実だが、それらの多くは融資……いずれ返さねばならないものなのだ。いずれ返してもらえる金と恒久的な利益とを同列で語られるのが公平だとは言い切れまい。


 そもそも、サウマンディアはアルビオンニア側だけが聖女サクラを送り込んだと考えているのかもしれないが、アルビオンニア側の認識ではそうではない。

 リュキスカは元々流民るみんの子で侯爵家や子爵家に忠誠を誓うような存在ではなかった。一応、保護契約クリエンテラを結んで被保護民クリエンテスにはしているが、それはあくまでもリュウイチの専属娼婦として働くリュキスカを制御下に置くための方便にすぎず、ルクレティアが正式に嫁いだらリュキスカは只の平民プレブスに戻ることを前提としたものだ。

 過去の事例から降臨者の手がついたとしても、本人が魔力を得るようになるまでは一年以上の時間が必要とされていたのだからそうした前提は妥当なもんだったろう。ルクレティアが嫁いで御役御免となったリュキスカはそれまでにリュウイチの子を身籠らない限り、元の平民に戻ることになる。結局、誰の想像よりも早くリュキスカは自身が魔力を開花させてしまい、名実ともに聖貴族の仲間入りを果たしてしまったのだが、それ自体は完全なイレギュラーだったのだ。

 結果的に侯爵家・子爵家両領主家の領袖りょうしゅうのように見えてしまっているのだろうが、エルネスティーネにしてもルキウスにしてもまた両家の家臣たちにしても、リュキスカを自分たちの配下だとは見做していない。クリエンテラによって両者の立場を確立する前に、リュキスカは保護民パトロヌスであるエルネスティーネやルキウスよりも上の立場になってしまったからだ。

 そしてルクレティアも両家の領袖というわけではない。スパルタカシウス家はそもそもレーマ帝国を代表する由緒正しい聖貴族。子爵家はもちろん侯爵家よりも家格は上であり、アルビオンニア貴族の一員ではあるが侯爵家の影響下にも子爵家の影響下にもない。


 つまり、エルネスティーネからすれば自分たちはリュウイチに女を献上する競争にはまだ参加もしていないのだ。サウマンディアからはそうは見えないのだろうが、アルビオンニア貴族にとってはサウマンディアこそ抜け駆けをしているのである。エルネスティーネはじめアルビオンニア貴族がこぞって抗議するのは当然だった。が、その抗議を予想していたのか、マルクスは嘲笑わざわらうかのようにかわして見せた。


「ですから、サウマンディアわれわれ女奴隷セルウァをリュウイチ様に献上しようとしているのではありません。

 第一聖女様プリムス・サクラに……献上しようとしているのです。」


「「「「「!!」」」」」


 そうきたか!? ……アルビオンニア貴族たちは一様に息を飲んだ。


「聞けばリュキスカ様は身一つでリュウイチ様の元へ召されたとか……

 お食事などはリュウイチ様と共になされるとはいえ、乳飲み子を抱えた若き御婦人なら身の回りの事のみならず子供の世話も相当お忙しいはず。

 そのお手伝いをする者が既に十分おありならば、マルクスわたくしプブリウス主人を御いさめすることも出来ましょうが、無い……あるいは少ないというのであれば、ここは素直に御受け取りいただいたほうがよろしいかと存じ上げます。

 こころみに尋ねますが、リュキスカ様のお世話をする者はおありですか?」


『……オトを……専属でつけている。』


「オト?」


 心苦し気に答えたリュウイチの言うオトという名にマルクスは覚えがなかった。が、リュウイチの念話を通して男のホブゴブリン奴隷のイメージが伝わり、マルクスはオトなる人物がおそらく先月アルトリウスがプブリウスに報告した、軍命に背いてリュウイチに攻撃をして奴隷に堕とされた元・軍団兵レギオナリウスの一人だろうと当たりを付ける。それを裏付けるように横からアルトリウスが補足した。


「オトとは、リュウイチ様が所有する奴隷セルウスの一人です。

 奴隷セルウスたちの中で唯一、育児経験があったためにリュキスカ様のお世話に充てられました。」


「なるほど……」


 アルトリウスの説明を聞いたマルクスは勿体もったいつけるような仕草でリュウイチに向き直った。


「ホブゴブリン……異種族とはいえ男です。

 相談できないこと、見せたくないこと、話したくないこと、触れられたくないことは当然ありましょう。

 貴婦人の身の回りの世話をするのが、男一人というのは問題ではありませんか。」


 なじるようなマルクスにリュウイチは表情を曇らせる。不快に思っているというより、素直に反省しているような表情だ。このままではリュウイチが丸め込まれてしまいかねない……そう危惧したエルネスティーネが横から口を挟んだ。


「リュウイチ様が御付になられたのは確かに男の奴隷セルウス一人です。

 ですが、ルクレティア様も侍女をお貸ししておいでです。

 ホブゴブリンの奴隷セルウスはフェリキシムス様のお世話を中心に担っておいでで、リュキスカ様のお召し換えなど、女でなければ不都合なことはルクレティア様の侍女たちが担っておいでです。

 女の手が足らないということはございません。」


 女の世話は女でなければ色々と不都合がある……それくらいはアルビオンニアの貴族たちも良く分かっていた。だから既にリュウイチにあてがわれた陣営本部プラエトーリウムに侍女たちを引き連れて押しかけていたルクレティアが、自分の侍女たちに当番でリュキスカの世話をするように命じている。秘密管理の都合もあって、新たに人を雇うのは躊躇ためらわれたし、少なくとも当面はそれで何とか間に合いそうだったのでそれ以上のことはやっていない。いや、そもそもあまり必要なかったというのが実情だろう。


 元々リュキスカは生まれついての貧民パウペルであり、母親も娼婦だった女だ。成人前に母を亡くして以来、一人で生活してきた。いや、厳密には一人きりではない。母と共に娼館に住み込んでいたので、同じ娼館で働く仲間たちと助け合いながら生きてきた。着替えだの身支度だのは当然、自分で全部やっていたわけだから、侍女に手伝ってもらわなければならないことは実はほとんどない。掃除はオトがやってくれてたし、洗濯は汚れ物をオトが回収しリュウイチがまとめて浄化魔法で綺麗にしてくれる。料理はアルトリウスお抱えの料理人ルールスが陣営本部で生活している全員分を賄ってくれるので、洗い物も含めて何もしなくていい。

 実際、リュキスカがリュウイチのところへ来て以来、やっている家事といえば息子フェリキシムスの世話と、フェリキシムスの産着うぶぎを縫うことぐらいだ。ルクレティアの派遣した侍女たちは、しょうがないからオトと一緒に掃除などをするくらいだったりする。

 リュキスカ自身も遠慮していたこともあって、アルビオンニア貴族たちは必要とは思っていても、それを無理に人を探して充てねばならないほど切実な問題とはとらえて来なかった。それは無理もないことなのかもしれないが、しかしそれがサウマンディアに突かれる隙になってしまってもいた。

 エルネスティーネの抗弁にマルクスはまるで冗談でも聞いたかのように冷笑を浮かべ首を振った。


「それは、よくありませんな。」

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