第1101話 身分社会・貴族社会の常識
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
エルネスティーネはわずかに唇をキュッと食いしばった。
「今まで大丈夫だったから……」「今は間に合ってるから……」は現状の問題点を解決する答にはならない。それは問題から目を逸らすための言い訳であって、問題への取り組みそのものの放棄でしかないからだ。
リュキスカが単なる
貴族は平民のように生活することなど許されない。高貴な身分の者は、その高貴さに見合う生活をしなければならないのだ。自分の身の周りの世話を自分でする? ……とんでもない! 貴族なら戦場であっても従者を引き連れていき、洗濯から着替え、料理に掃除と全ての身の回りのことを従者にやらせるのだ。平民がやるような雑事の全てから解放された者、それこそが貴族なのである。そしてレーマ貴族とは、庶民の理想を体現する存在でなければならない。体現するからこそ、支持され、尊敬を集めることが出来ている。
それなのにリュキスカは、この世界で五人と居ない
「リュキスカ様は
その
アルビオンニア貴族たちは自分たちの非を、そして立場を弁えているだけあって何も言い返せない。
「ましてや、リュウイチ様から
他人に忠誠を誓う従者……それも当番でその都度人が替わるのでは、従者との間に信頼関係を築くことなどできますまい。
必ずしも信を置けぬ者に身の回りのことを任せねばならぬとすれば、
貴族なら分かり切っていることだがマルクスは周囲のアルビオンニア貴族たちに向けてあえて説明を続けた。アルビオンニア貴族たちにとっては今更言われるまでも無いことばかりだが、リュウイチには知っておいてもらわねばならないことでもある。つまりマルクスはアルビオンニア貴族たちに自らの正当性を主張するためというより、それを装いながら実はリュウイチに対して奴隷の献上を認めるよう説得しているのだ。アルビオンニア貴族たちがあえて言われるままになっているのは、それが今後自分たちがリュウイチの下に女を送り込む際に備え、今からリュウイチに知っておいてもらいたいレーマ帝国の常識でもあったからだった。
常識のない人間に常識を教え込むのは難しい。そもそも常識とは、決して万人が共有しているものではないからだ。誰もが共有している相互理解の集合を常識と呼ぶと思っている人は多いし、それは必ずしも間違っていないのだが、だが現実には極めて限られた範囲でしか通用しない“常識”がまるでどこででも通用するものと勘違いされていることは珍しくない。
世の中の常識とされているものの大部分は、実はその地域でしか通用しなかったり、その会社でしか通用しなかったり、果てはその部署でしか通用しないものだったりすることもある。むしろ、他所では通用しない自分たちの都合を押し付ける際、「常識」と強弁することで正当化を図っているに過ぎないという酷いケースも少なくないのだ。実際、モラハラ人間やパワハラ人間は世間の常識を何も知らない新人や立場の弱い人間に非常識なことを「常識」と称して押し付けることが大好きだ。
ではそうした非常識を常識と称して他人に押し付けるモラハラ人間やパワハラ人間が成功しているかというとそうではない。まあ、成功している者もいるだろう。が、それは一時的なものだ。大概は周囲から
しかし、そうした
では確実に常識の異なる
自らの存在意義を見失い自堕落な生活を長く続け、幼い一人の侍女の
アルトリウスは政敵の多いレーマ社交界を生き延びるため、潜んでいるかもしれない
ルクレティアはその純粋さと真面目さ、そして若さゆえに恐れることがなく、誠実さを信じて
しかし彼らをもってしても社会の負の部分を、不快かもしれない常識を、リュウイチに教え理解させるのは困難を極めた。現にリュウイチはまだレーマ帝国の貴族制度・身分制度に順応できていない。だがマルクスは先述した四人とは異なる手段によって、アルビオンニア貴族の恥を代償にしながらもそれを成し遂げようとしている。
常識を知らない相手に常識を教え込む最も効率の良い方法……それは第三者を目の前で叱って見せることだ。
人間、痛い目にあったりなど不幸な出来事からは積極的に学ぶ。良いことは忘れやすいのに悪いこと、嫌なことは中々忘れられないのはそうした心理的な仕組みが働くためだ。ストレスを受けた不幸な出来事が再び起きた時、次からはちゃんと対処できるように記憶に留めようとするのである。
ところが自分自身が不幸になった時、不幸をもたらした元凶に対してはどうしたところで怒りや憎しみを抱かざるを得ない。不幸をもたらす元凶を排除すればストレスを受けるような不幸な出来事が再びもたらされる可能性が減るからだ。だが、元凶に対する怒りや憎しみは、不幸な出来事に対する学習意欲を低下させるデメリットも持っている。相手を排除すれば、不幸な出来事を受けなくて済むのだから、次からうまく対処しよう、不幸な出来事にうまく順応しようという意欲が生じにくくなるからだ。
そして不愉快な常識を強要して来る”教育者”は、不幸な出来事の元凶でしかない。叱っても叱っても素直に学んでくれないのは、“教育者”が不幸をもたらす悪者として、学習意欲以上に怒りや憎しみを駆り立ててしまうからだ。
だが、この不幸が第三者に向けられたならば、不幸の元凶たる”教育者”への反発が生じにくい分、目の前の出来事から冷静に学習することが出来る。
今、マルクスがやっているアルビオンニア貴族に対する批判はレーマ貴族社会の常識のうち、もしかしたらリュウイチにとって受け入れがたいかもしれない部分を……いや、ネロら奴隷たちの扱いを見る限り実際に受け入れてはくれないだろう身分社会の実際を、示すのに役立ってくれている。
もちろんマルクス自身にそういう深遠な意図があるわけではなく、自分たちの影響下にある女を、リュキスカの奴隷として献上することでリュウイチに近いところへ送り込むという目的を達成するためのものだ。だが、ルキウスをはじめアルビオンニア貴族たちはマルクスの言動を不快に思いはしつつも、自分たちがマルクスに叱られている様子をリュウイチに見せることは、レーマ社会の現実を理解してもらうのに役に立つと踏んではいた。
事実、エルネスティーネにしろルキウスにしろ、マルクスに好いように話させながらもチラチラとリュウイチの様子を伺っている。リュウイチに助けを求める視線を送っているわけではない。劇の演者が舞台上から観客の反応を伺うようなものだ。
「しかし、自前の従者を持つことがあれば、従者との間に信頼関係を築くことも叶いましょうし、高貴な御身分に
やはりリュキスカ様はなるべく早く、御自身の従者を持つべきなのです。
そのためには
よほど酷い仕打ちでもしない限りは、
下手に主人に逆らえば容赦ない
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