第1102話 即興劇

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 そろそろ止めとくか……


「う~~、オホンッ!

 マルクスウァレリウス・カストゥス殿、よろしいかな?」


 主にエルネスティーネに向かってレーマ貴族の常識を垂れ続けるマルクスの長口舌ちょうこうぜつにルキウスが割って入った。きっかけは玉座から見下ろすリュウイチが沈痛そうな面持ちでコメカミに手を当てたのをルキウスが目にしたからだった。

 ルキウスの見るところ、リュウイチは自分がレーマ帝国の身分社会に馴染めていないことを自覚している。リュウイチは上級貴族パトリキたちとの会話では、その場にいる貴族ノビリタスたちの上下関係をなるべく尊重して言葉を選んではいるが、自分が最上位者であるということは理解しようとしない。おそらく、目上の人間として目下の人間を使ということができないのだ。

 実際、奴隷セルウスたちの扱いも主人と奴隷というよりも、どこかの店の店主と店員といった感じだし、二人きりの時は相手が何者であっても同じ身分の者同士が口を利くような気さくさで話をしようとする。仮に上下関係を意識した態度をとったとしても、それは身分差というよりも年長者が若輩者をたしなめるような感じだ。要するに意識してか無意識にかはわからないが、とにかく相手と対等であろうとするのだ。だが貴族社会でそれは通用しない。


 どんな社会にも秩序が存在している。そして人は誰も決して平等ではない。年齢の差、性別の差、人種の差、民族の差、貧富の差、身長差、体重差、体力の差、知識の差、経験の差……そしてそうした差は人間の上位下位といった格差を生み出し、互いの立場を形成する。そしてそうした立場の差、地位の差が序列を生み出し、それが固定化されて秩序を形成する。

 平等主義という考え方からするとこうした考えは悪そのものかもしれない。しかし、人間が二人以上存在すれば、どちらかは必ず何がしかの我慢を強いられるものだ。ではどちらが我慢をするのか……それを決めるのにイチイチ衝突するわけにはいかない。それを自動的に解決するのが序列であり、それによって衝突が避けられる状態を秩序というのだ。

 貴族たちは身分によって互いの序列を決め、それを守ることで秩序を保っている。彼らにとってその身分を否定することは、秩序を崩壊させ社会を不安定化することに他ならないのだ。身分社会では、平等主義こそ悪なのである。


 そして平等主義が心に根付いてしまっているリュウイチは身分社会であるレーマ帝国の中では完全に異分子だった。それでも排除されなかたっかのは、リュウイチが降臨者であるからに他ならない。《レアル》から恩寵おんちょうもたらしてくれる最も高貴な存在を排除するわけにはいかない。もちろん、排除したくても排除できるだけの実力が誰にも無いというのも理由の一つだ。

 かといって世界の方がリュウイチに合わせることもできない。世界に一度根付いてしまった仕組みを、社会構造を、たかが一個人の思想信条に基づいて変革するなど馬鹿げている。


 ではそのギャップをどう埋めるか? それをやっていたのがルキウスでありエルネスティーネでありアルトリウスたちだった。

 リュウイチの平等主義を、それをこの世界ヴァーチャリアに持ち込むことの弊害を目の当たりにしながら、それでもなんとか擦り合わせよう、歩み寄ろうと努力を続けていたのだ。そのことはリュウイチも気づいてはいた。が、リュウイチの認識は少しばかり甘かったと言わざるを得ない。

 現に今、リュウイチの考えを尊重した結果、エルネスティーネが、ルキウスが、アルトリウスが、そして他のアルビオンニア貴族たちが「非常識」のそしりを受けているではないか…… リュウイチはアルビオンニア貴族たちにのだ。

 そのことに気づいたリュウイチは自責の念にとらわれ、思わずコメカミに手を当ててうつむいたのだった。


 これ以上、リュウイチ様を苦しめては激されるやもしれん……


「何でしょうか子爵閣下ウィケコメス?」


マルクスウァレリウス・カストゥス殿のおっしゃられることは理解しました。

 なるほど、確かにその通り。

 我々も自分たちの忙しさと、そしてリュウイチ様とリュキスカ様の寛容さとに甘えすぎておりました。

 マルクスウァレリウス・カストゥス殿の御指摘には恥じ入るばかり。

 我らに代わってわざわざ女奴隷セルウァを用意してくださった伯爵閣下コメスには感謝の言葉もございません。

 しかし……」


 ルキウスは本心ではそれほど気にしていないかのような口ぶりでそこまで言うと、何か楽し気な詩文でも口ずさむように表情を明るくする。


「何分、お相手は第一聖女プリムス・サクラリュキスカ様。

 もちろん伯爵閣下コメスがどこの馬の骨とも知らぬ女を適当に献上するとは我々も思いませんが、しかし奴隷セルウス奴隷セルウス

 当のリュキスカ様御本人の御不在で受けとる受けとらぬの御判断も得られぬというのに、ただ伯爵閣下コメスが御用意されたからというだけで身分定かならぬ者を無条件に受け入れるわけにもまいりません。

 我らは我らで、リュウイチ様とリュキスカ様の御身辺を警護するという神聖な役目を負っておりますゆえ、献上する者は御本人にお見せする前に検分させていただかねばなりますまい」


 マルクスに語り掛けるルキウスの表情はほがらかだが、しかしその目は笑っていない。ルキウスは軍人ではないが、かつて軍人だったことがある。そしてマルクス自身は現役の軍人だ。そして軍人は、相手が馬鹿みたいに丁寧に言ってくる時は、それが実質的な命令であると考えてしまうところがあった。


「もちろんです。

 そもそも、奴隷セルウスを取引する際は瑕疵かしが無いか確認させねばならぬことになっております。

 閣下らの御検分を拒む理由はありません」


 慌てたのはエルネスティーネだった。この場にいる数少ない女性たちのうちで唯一のキリスト教徒である彼女は、マルクスとルキウスの言う“検分”の意味に気づき、顔を青くして抗議する。


「お待ちください!

 女奴隷セルウァの検分を今、この場で行おうというのですか!?」


 奴隷は引き渡す際に裸にし、身体に傷など瑕疵が無いかを確認させねばならないことになっている。それをこの場でやる……つまり、貴族たちの目の前で一人の女性を裸にしようというのだ。


「ええ、何か問題でも?」


 マルクスは何が問題なのか本当に理解できないかのようにエルネスティーネに訊き返す。


「問題です!

 だって、奴隷セルウスとはいえ一人の御婦人を、こんな無関係な殿方とのがたも居る前で!?」


 文化的・宗教的には古代ギリシャの流れをくむ古代ローマ帝国……その文明を降臨者を通じて受け継いだレーマ帝国では十二主神教ディー・コンセンテスが主に信仰されており、人前で肌を露出することに関して特段の禁忌のようなものはない。美しい肉体は称賛されてしかるべきだし、今は廃れてしまったが選挙では立候補者は聴衆の前で裸になり、戦で負った傷跡を見せて自分がどれだけ帝国に貢献してきたかを訴えて有権者たちの支持を集める習慣もあったくらいだ。

 対してキリスト教では男女を問わず肌を見せることを良しとはしない。中世から近世の貴族が首に襞襟ひだえりを撒いたり袖口に派手なフリルを付けたりするのも肌を隠すためである。女性は髪の毛を晒すことさえ不道徳とされる。修道女が頭巾ウィンプルを被るのもそのためだが、時代や地域によっては全ての女性が頭に頭巾を被っていたのだ。絵画だって人間の裸を描くのは禁忌とされている。

 でも西洋絵画で裸の女性がいっぱい描かれているじゃないかと思われるかもしれないが、近世以前の西洋絵画で描かれる女性の裸は女神や妖精ニンフや悪魔、魔女などであり、人間の女性ではないからOKなのだ。アダムとイブも、人間の始祖ではあるが厳密には人間ではないという微妙な位置づけによって裸体OKということになっている。古代ギリシャ美術ではちゃんと服を着ている女神たちが、キリスト教時代の西洋美術では裸ばっかりになるのは、人間の裸に飢えていた当時の男たちのスケベ需要に応えるためだったのである。

 話がそれてしまったが、この文化の違い、価値観の違いはこの場でも影響していた。サウマンディア貴族とアルトリウシア子爵家に連なる貴族たちは非キリスト教徒であったうえに、ホブゴブリンが多かったためにヒトの女性を裸に剥くことに何の疑問も抱いていなかったが、侯爵家に連なるキリスト教徒貴族らは一様に眉をひそめている。その中でも声をあげて抗議したのがエルネスティーネ一人だけだったのは、他のキリスト教徒貴族たちは全員男だったからだ。

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