第121話 パトロキニウム

統一歴九十九年四月十四日、午前 - マニウス要塞アルトリウス邸/アルトリウシア



 マニウス要塞にある二つの陣営本部プラエトーリウム軍団長レガトゥス・レギオニス用の宿舎)に八人のホブゴブリンが連れてこられた。全員が半袖で膝丈の貫頭衣トゥニカだけを着ているが、腰紐は付けておらず、裸足である。

 レーマでトゥニカは最も一般的な衣服であるが、そのままだと胸の辺りから裾までダボっとしてみっともないので、腰のあたりを紐かベルトで締めるのが普通だ。

 ちなみに女性は胸のすぐ下を帯紐タエニアで縛る事で胸を強調する。その場合、腰紐は縛ったり縛らなかったりするが、最近は長いタエニアで胸のすぐ下で一旦縛り、余った長いタエニアを胴に巻くように幾度か腹と背中で交差させながら腰のあたりまで巻いて行き、ヘソの下あたりでもう一つ緩い結び目を作るのが流行り始めている。こうすると腰のクビレが強調されてセクシーだという。


 とまれ、巻き方はともかく何かで腰を縛るのが当たり前であり、それをしないのは恥ずかしいことなのである。まあ、《レアル》世界ならば社会の窓を全開で歩いているようなレベルの事だと思って貰って良いだろう。

 彼らももちろん、好きでそんな恰好をしているわけではない。

 腰紐無しのトゥニカ姿で過ごすことを強要されるのはレーマでは一つの刑罰だった。


 彼らは自分たちが何でこんな目にあわされているか、知らされてはいなかったが見当は付いていた。

 アルビオンニウムでのケレース神殿テンプルム・ケレースの警備任務の最後ごろに現れた謎の男に対して行った戦闘だろう。

 攻撃しちゃいけない相手だったのか、それとも無様に眠らされて逃げられたからなのか。とにかくその戦闘以外に思い当たる理由は無い。

 実際、彼らはいつの間にか眠っていた。どうも魔法で眠らされたようだ。そして目が覚めた時は船に乗せられていたのだが、その時に受けた尋問ではその戦闘のことしか訊かれていない。

 戦闘に加わらず、眠らされもしなかったカルスは相手の正体についてある程度知っている筈だが、固く口留めされていて喋らない。彼らを見張る他の軍団兵レギオナリウスたちも、腫物はれものでも見るような目を向けるだけで何も教えてくれない。

 いずれにせよ、ヘマをしてしまったことに違いはないようだ。

 あれ以来ずっと、装備を取り上げられたままでトゥニカに腰紐を巻く事を禁じられ、与えられる食事も彼らだけ大麦のプルスだった。大麦は本来家畜用の飼料であり、人間が食べるとすれば余程食べる物が無いか、その人間が奴隷か罪人である場合だけだ。


 つまり、彼らは何も教えてもらえてはいないが、明らかに罪人として扱われているということだ。



 連れてこられた部屋は広く、そして豪華で贅沢な執務室タブリヌムだった。

 中央正面に彼らが見た事もないような豪華な椅子が一脚置かれている。高く緻密な彫刻を施した背もたれがまっすぐ立ち、座面には赤いラシャの柔らかそうなクッションが張り付けられている。肘掛けも背もたれ同様に緻密な彫刻が施され、左右に広く広がるように配置され、大柄な人間が座っても余裕がありそうだ。

 その前には小さくはあるが、やはり如何にも手の込んでそうな意匠を施されたテーブルが置かれている。

 四方の壁際には様々な家具や調度品が並べられ、見る者を圧倒している。


 だが、それらを鑑賞する余裕も自由も彼らには無い。

 彼らは武装した軍団兵に囲まれ、その厳重な監視下に置かれており、それが無かったとしても既に精神的にかなり追い詰められていて、部屋の飾りに興味を示すどころか、それらの存在に気付いてさえいなかった。



軍団長レガトゥス・レギオニス閣下が入室!」


 部屋の奥側の扉が開かれ、入ってきた兵士がそう言うと室内にいた全員が気を付けの姿勢を取った。

 その後、スタスタと足早にアルトリウスが入室し、部屋の中央にある豪華な椅子に腰かける。続けて入ってきた陣営隊長プラエフェクトゥス・カストルムのスタティウス、筆頭百人隊長プリムス・ピルスのウェスパシアヌスがそれぞれアルトリウスの両脇に立つと、スタティウスが「なおれ」の号令を出した。



「ネロ、リウィウス、アウィトゥス、ロムルス、ゴルディアヌス、オト、ヨウィアヌス、カルス・・・以上の八名で間違いないな?」


 スタティウスが確認すると、彼ら八人の上官である百人隊長ケントゥリオのセルウィウスが答えた。


「ハッ、間違いありません。」


「では、お前たちの処分を言い渡す。本来ならば・・・」


「ま、待ってください!」


 スタティウスが彼らの処分を言い渡そうとしたところでネロが遮った。


「静かにせんか!」


「待ってください!自分たちは何の罪で処分されるのですか!?」


 セルウィウスが制止しようとしたが、ネロは止まらなかった。

 彼はずっと自分のせいで七人を巻き込んでしまったのではないかと思い詰めていたのだ。

 てっきり自分たちが何をしでかしたのか既に知っていると思っていた将校たちは思わず呆気にとられた。


「ああ・・・言ってなかったのか?」


「その・・・緘口令かんこうれいが敷かれていましたので・・・

 もうしわけありません。」

 

 スタティウスの問いにセルウィウスが答えると、アルトリウスたちは思わずため息をついた。


「あ、お前たちは・・・」


「いや、いい。ワシスタティウスから言う。」


 セルウィウスが今更ながら八人に説明しようとするのを、スタティウスが制止した。


「お前たち十人隊コントゥベルニウムは軍命に背き、おそれ多くも降臨者リュウイチ様に対し攻撃をした。」


 八人の顔からサーっと血の気が引いていく。


「本来ならば八人とも死刑である。

 が、降臨者リュウイチ様よりたっての助命嘆願があり、死刑は免れた。

 代わりに、お前たち八人は即時不名誉除隊とし、財産を没収され、その身分は奴隷に堕とされる。」


「ど、奴隷・・・」


 何人かが思わずその場に膝をついてしまう。


「お前たちは既に降臨者リュウイチ様ご自身によって買い取られた。

 今後は、降臨者リュウイチ様の奴隷として忠節を尽くせ。以上だ。」


 八人は目の前が暗くなっていくのを感じていた。既に膝をついてへたり込んでしまっている者は実際に目が見えていないだろう。目の焦点があってない。

 最初に名前の確認をされた時、八人とも個人名プラエノーメンだけを呼ばれて氏族名ノーメン家族名コグノーメンを呼ばれなかった。その事に妙な違和感はあったのだが、その時点で既に彼らは奴隷として扱われていたのだ。



「さて、軍団レギオーの処分としての話はこれで終わりだ。」


 全員が沈黙する中、アルトリウスが項垂うなだれる八人を椅子に座って見据えたまま口を開く。


「お前たちは奴隷になるわけだが、降臨者リュウイチ様はいずれ《レアル》へ御帰りになる身だ。それがいつになるか分からないが、その時にお前たちを《レアル》へ連れて行くことは出来ないだろう。

 その場合、お前たちがまだ奴隷の身分から開放されていなかければ、お前たちの身柄はアルトリウスに譲渡されることになっている。

 その時に備え、お前たち全員をアルトリウス被保護民クリエンテスにすることとする。」


 八人のうち半分が顔をあげてアルトリウスを見た。

 保護民パトロヌスはその財力や権力をもって被保護民に様々な便宜をはかり、代わりに被保護民は保護民を様々な形で支援する。被保護民が困窮こんきゅうすれば保護民は金を出してたすけるし、逆に保護民が困窮するようならば、被保護民はみんなで金をかき集めて支援することもある。一方が没落したからと言って、被保護民が保護民を、保護民が被保護民を見捨てる事はレーマにおいては恥とされ、両者は強固な信義で結ばれる。

 その関係が奴隷と結ばれるということは基本的にあり得ない。

 奴隷はその主人のであり、困窮したからと言って周囲の者が勝手に援けることなど許されないし、奴隷が自分の主人を差し置いて保護民を援けることもできないからだ。



「つまり、アルトリウスはお前たちの保護民だ。

 何かあれば相談してくれてかまわない。『贈り物スポルトゥラ』も出そう。

 このことは降臨者リュウイチ様も既に同意されている。」



 スポルトゥラとは被保護者が挨拶に来た際に保護者から与えられる物品で、通常は果物とかパンとか干し肉とかの食べ物だ。小さなかごに、だいたい一食分を入れて渡される。被保護民が毎日来れば毎日渡され、被保護民はそれを食べてもいいし、売って金に換えてもいいし、誰かに譲っても捨てても構わない。


 被護関係クリエンテラ(保護民と被保護民の関係、クリエンテラの他にパトロキニウムとも言う)を結ぶのは現在のレーマ帝国においては容易ではない。

 とかく権勢を誇る貴族にとって、特に公職を狙う下級貴族ノビレスにとって、自分の票田ひょうでんになる被保護民を如何に多く抱えるかは極めて重要な問題である。ゆえに、出世欲の強い貴族は被保護民を多く抱えたがる。

 しかし、被保護民は日頃からスポルトゥラを渡さねばならないし経済的に困窮すればまとまった金銭を用意してやらねばならない。問題が起きればたとえその者の方が悪くても援けてやらねばならないので、問題ばかり起こすようなヤクザ者なんかを被保護民にしてしまったら負担の方が大きくなる。

 しかも被護関係は一度結べば容易に解消することは出来ず、おまけにその関係は子々孫々世襲されるのが慣例だ。軽々しく新規に被保護民を抱えるのは将来の身の破滅に繋がりかねない。

 被保護民は自分の器量以上に無制限に抱え込めるわけではないのだ。


 まして領主貴族パトリキともなれば平民プレブスの票田が必要になるような選挙に出るわけでもないので、被保護民を多く抱えこむことにメリットはあまりない。被護関係など結ばなくても領民がすべて被保護民みたいなものだからだ。

 しかし、平民からすれば領主ドミヌスの被保護民になるメリットは計り知れない。一般の領民以上の奉仕を求められることはあまりないし、それでいて一般の領民以上の便宜を色々と図ってもらえる。

 つまり、身分は平民のままでも準貴族になれたようなものなのだ。下級貴族ノビレスへの出世も容易だろう。



「し、質問してもよろしいでしょうか?」


 ネロが恐る恐る口を開いた。


「何だ?」


「・・・奴隷から解放された暁には、軍団に復帰できるんでしょうか?」


「お前たちは不名誉除隊となったのだ。一度不名誉除隊となった者を軍団に復帰させることは出来ない。

 だが、軍務に就きたいというのなら、子爵家の衛兵隊か要塞守備隊に入れるようにしてやろう。」


 ネロの質問にアルトリウスが答えると、今度はすかさずオトが立ち上がって口を開いた。


「もう一つ質問させてください!」

 

「いいぞ、何だ?」


「我々は、いつ奴隷身分から解放されるんでしょうか?」


「それはわからん。リュウイチ様がお決めになられることだ。

 だが、お前たちは刑罰として奴隷に堕とされるのだ。

 ゆえに最低でも二、三年程度は奴隷のまま解放されることは無い。

 他にあるか?」


 今度はしばらく沈黙が続いた後で、リウィウスが口を開いた。


「私らぁ、閣下アルトリウスの被保護民として何をすりゃあいいんですか?」


 アルトリウスは一瞬目を丸くし、その後ニヤリと笑みを浮かべた。


「いい質問だ。」

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