第122話 遠慮という名の拒絶

統一歴九十九年四月十四日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 その部屋は談話室だった。元々、軍団長レガトゥス・レギオニスに面会予定の客が会見の準備が整うまで待機するための部屋である。

 一応、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムクラスの人物(上級貴族パトリキの子弟や下級貴族ノビレス)の利用にえられる程度には内装や調度品等がしつらえられている。


 肘掛けの無い背もたれ付きの椅子と、その椅子に座って食事を摂るのにちょうど良さそうな高さの丸い三本足のテーブルのセットが部屋の真ん中に置かれている。そのテーブルには白いクロスがかけられ、真ん中に純銀製の花立てが置かれて窓から差し込む光を受けて輝きを放ち、活けられた秋の花は少々しとやかすぎて花立ての輝きに色を失っているようにも見える。

 そのテーブルを囲み椅子に座るクィントゥスの心境はまさのその花にたとえる事が出来るかもしれない。


 彼の正面に座るのは降臨者リュウイチ、その脇に立っているのは神官のルクレティア・スパルタカシア。どちらも平民プレブスであるクィントゥスとは比較にならない程身分が高く、本来なら同じテーブルにつくどころか軽々に口を利く事さえあり得ぬ人物である。

 今まで彼らと会話できていたのは職務上の必要があったからこそだ。

 その職務上必要だからという理由があったとしても、口を開く前にイチイチ覚悟を決めて話をしていたというのが正直なところだったのに、今こうして上級貴族ですら平伏ひれふす降臨者と同じテーブルを囲み、上級貴族であるルクレティアが淹れてくれた香茶をルクレティア本人による給仕で振る舞われている。

 何だか自分が酷く場違いなところにいるような気がしてならない。


 正直って、コボルトで構成された南蛮サウマンの軍勢と戦場でにらみ合ってる方がまだ楽だ。戦場なら何をどうすればいいかハッキリしてるんだから。


 もちろん、彼は自分が大隊長ピルス・プリオル昇進とリュウイチの警護隊長に任命された挨拶に来ているのだから、これはれっきとした公務であり軍務である。自分で必要だと思ったからこそ自分の意思でここに来たのだ。

 ただ、それでも平民らしく貴人に跪いてを述べるのならば、まだ今までも経験がないわけでは無かったし作法も学んでいるからわかる。なのに、このように平民同士が町の食堂タベルナ売春宿ポピーナで酒飲みながら馬鹿話するみたいに同じテーブルについて、さあどうぞと言われてもどうしていいかさっぱりわからない。

 リュウイチがいくらフランクな人物であっても、だからといって平民が貴人に対して馴れ馴れしく接することなど出来るわけがないのだ。


 き、貴族同士ってのはこういうもんなのか???


 クィントゥスにはわからない。わからないからこそ不安にもなるし焦りもする。

 ルクレティアもクィントゥスがかなり困っている事は察していたし、正直深く同情もしていたが、リュウイチがあれだけ嫌がったというのであればクィントゥスには悪いがリュウイチの好みに合わせるしかなかった。



『えっと、今日は大隊長昇進と警護隊長就任の挨拶と伺いましたが?』


「はっ、はいっ!

 ありがたくもリュウイチ様をアルトリウシアまで御護り申し上げた功を評価していただき、本日より正式にリュウイチ様の身辺の警護を仰せつかりました。

 本日はその御挨拶として・・・つまらぬものですが、どうぞこれをお納めください。」


 そういうとクィントゥスは真鍮製の容器を差し出した。見た目と大きさは茶筒のようで、三百五十ミリリットルの缶ジュースくらいの大きさはあるだろうか。


『ありがとうございます・・・これは?』


「は、恥ずかしながら、先日サウマンディウムで取り寄せました黒湖沼くろこしょうです。

 その、降臨者様ともなると貴金属のたぐいは私なぞが手に入れられる程度の物はいくらもお持ちでしょうから、むしろ消耗品の方が喜ばれるかと愚考いたしまして・・・」


 それはクィントゥスがセルウィウスに頼んで買ってきてもらった香辛料だった。ちょうど二日前に北方から香辛料を積んだ船が入ってきて値崩れを起こしていたそうで、かなりの量を買う事が出来ていた。

 今回の降臨が無ければ、そのままアルトリウシアで売りさばいて金に換える予定だったものであるが、こうやってに使うにもちょうど良い。


『ああ、それはどうも・・・ありがとうございます。

 むしろ昇進のお祝いに私の方が何か差し上げなければならないのに・・・』


 レーマ帝国では贈り物文化が定着している。

 上司に、部下に、同僚に、親戚に、友人に、とにかく何かあるごとに贈り物をするのは常識だった。それによって人脈を強化し、商売や出世に繋げてたり、あまり好ましくない義務を逃れたり・・・まあ、賄賂が横行していると言えなくもないが、それを問題視する人物はレーマ帝国にはいない。

 さすがに報酬を受け取った見返りに、明らかに不適切な人事を行ったり法を捻じ曲げたとなれば問題になる事もあるが、法や制度や慣習に則った範囲で便宜を図るのは何の問題も無いし、コネクションを通じて信用のできる人物を適切なポストに据えたり推薦したりするのはむしろ当然のことと考えられている。

 だからこそ、贈り物をして自分を周囲の人たちに売り込み、印象を良くしておくことはレーマでは常識なのだ。


「いえ!そのようなことは、お気になさらずとも大丈夫です。」


『しかし、こういう物を貰いっぱなしというわけにも・・・』


「そんなことはありません。

 私は既にリュウイチ様のおかげで昇進を果たしております。

 それにリュウイチ様がお持ちの物と言えばおそらくになりましょう。そのような物を頂くわけにはいきません。」


『聖遺物?』


 リュウイチの疑問にルクレティアがすかさず説明する。


「聖遺物とは降臨者によって持ち込まれた《レアル》の品物や、生産系のゲイマーガメルによって創られた品物です。

 それらはこの世界ヴァーチャリアでは複製できない物がほとんどなので、大変な価値がある物として聖遺物と呼ばれ珍重されているのです。」


『へえ・・・』


 理解したのかしてないのかよくわからない曖昧な反応を示すリュウイチに、クィントゥスが重ねて言った。


「下手に聖遺物をいただいては、《レアル》の恩寵おんちょうわたくししたと罪に問われかねません。

 今はお気持ちだけありがたく頂戴いたします。」


 確かに以前にもそんな説明を受けた気がする。

 そうか、そう言われては仕方ない。いくら好意や善意に基づくものであっても、相手が受け取ったら罪に問われてしまう物を送るわけにはいかない。


 納得しがたいものはあるが理解はできる以上、リュウイチはクィントゥスに昇進祝いを送るのは諦めざるを得ないようだ。


『それは残念だ。

 でも、それだと今後の事もあるし何か別に考えておかないといけないかな・・・?』


「当面は必要ないでしょう。

 すでにリュウイチ様は多量のポーションをご提供なさっておいでですし、昨日も二百万デナリウスもの大金を復興のためにご提供する意思を示されておいでです。

 リュウイチ様が礼をせねばならぬ相手などアルトリウシアにはおりません。」


 釈然としないままリュウイチが独り言ちると、ルクレティアが自分への相談かと勘違いして答えた。

 リュウイチは昨日受け取った大量の銀貨の内、二百万枚を復旧復興のために提供することをエルネスティーネとルキウスに申し出ていたが、寄付だとまたぞろ恩寵独占の嫌疑をかけられかねない事から辞退された。

 これはこの世界ヴァーチャリアの銀貨だから問題ないだろうとリュウイチは言ったのだが、結局は必要になったら無利子で借りるという事で話は落ち着いている。


 リュウイチはこの世界ヴァーチャリア全体にとって部外者であるし、いつになるかは分からないがいずれ帰る方法が見つかり次第 《レアル》へ帰る身である。だから、無理にこの世界ヴァーチャリアに溶け込む必要は無い。


 ただ、リュウイチは《レアル》世界での以前の生活で嫌な経験があった。

 ちょっととある地方へ長期の出張をした時、現地の人は田所龍一リュウイチとして扱った。現地の人がやっている事をみて自分もああやった方が良いのかと訊いても「いや、いいですよ。」と言われる。だが、それは建前で実際の意味は真逆だった。

 その言葉を信じ、不慣れな門外漢が無理に溶け込もうとして却って迷惑かけるかもしれないからと思い、あえてその作業をやらないでいると「あいつはやる気がない」「溶け込もうとしない」「自分勝手だ」「『郷に入れば郷に従え』って知らないのか?」というような陰口をたたかれ、気が付けば村八分に近い状態に置かれる。

 だったら「いや、いいですよ。」なんて言うなよと思うが、そこで反発すると余計に状況が酷くなる。しかし、現地のやり方を訊いても中々教えてはくれない。どうせ本気で憶える気なんて無いんでしょという空気だけが返ってくる。

 気がどうにかなりそうになった頃に出張期間が終わったので元の生活に戻れたのだが、それ以来リュウイチは見知らぬ土地では現地のやり方に適応しなければどういう目に合うか分かったもんじゃないという恐怖感に近いものを抱くようになっていた。



 まあ、いざとなれば別のところへ行けばいいか。

 言葉はソロモン王の指輪リング・オブ・キング・ソロモン使えば通じるし、魔法で空も飛べるし瞬間移動もできるみたいだし、召喚獣や精霊エレメンタルもいるし、金もあるしどうにかなるだろ。



 自分を取り囲むすべての人たちからという名の拒絶を受けまくっているリュウイチの心には、いつしか諦めにも似た感覚が芽生え始めていた。

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