第169話 人気娼婦ベルナルデッタ

統一歴九十九年四月十六日、晩 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア



「ちっ」


 先ほどまでの御愛嬌はどこへやら、リュキスカが苦々し気に舌打ちした。


 『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』の建物は二階建てだ。一階が食堂と厨房や倉庫、事務所などになっており、二階に客室が並んでいる。食堂の一部は吹き抜けになっていて、二階へ上がる階段が店中から見えるように設けられていた。

 二階へ上がっていく楽しそうな客と娼婦の姿を、そして二階から降りてくる満足そうな客と娼婦を、店中の客が見えるようにすることで一階の客の娼婦を買おうという意欲を煽るための演出だった。このため、二人並んだ客と娼婦同士が互いにけることなくすれ違えるように、階段部分だけは無駄に幅広く作られている。しかもそこを昇り降りする男女が魅力的にドラマチックに見えるよう、装飾も少しばかり豪華になっていた。


 その階段を降りてくるのは客らしき男と男が買ったであろう肉塊・・・もとい、娼婦・・・先ほどの、リュキスカに舌打ちさせたダミ声を発した張本人だ。

 真っ青に染めた髪の毛。どういう趣味だかわからないが真っ青なルージュで染めた唇。青いアイシャドウ。両耳には大粒の真珠のピアス。首には真珠のネックレスと金の鎖のロザリオ。両手首に真珠のブレスレット。そして子爵夫人が青い絹のドレスを着ているという噂を聞いてワザワザあつらえた真っ青な絹のワンピースドレス・・・いや、より具体的にベビードールと呼ぶべきか。そして、それらで飾り立てた褐色のわがままボディ―の存在感は他のあらゆるものを圧倒していた。


 横綱・・・彼女を見たリュウイチの頭に真っ先に浮かんだ単語はそれだった。次いでジャワ・ザ・ハット、ソウル・シンガーが頭に浮かんだが、それはソウル・シンガーに対して失礼な連想だろう。


 彼女は階段を降りてそれまで連れ立っていた客を「また来とくれよ」と送り出すと、ズンズンという擬音が目に浮かんできそうな勢いでリュキスカとリュウイチのテーブルへ向かって歩いてきた。


 リュキスカが歩くとき、セックスアピールのためにモンロー・ウォークする時に揺れるのは髪の毛と乳房と尻だけだ。しかし、今こちらへ歩いてくる娼婦の場合はただ普通に歩くだけですべてが揺れる。髪、胸、尻は当然として、腹も頬も二重顎も太腿も二の腕も、一歩歩くごとにイチイチ震える。ついでに言うと床もだ。

 そして歩くペースと呼吸するペースが全く同じで、フンッフンッとイチイチ鼻を鳴らしながらのっしのっしと歩く。決して安普請やすぶしんではないはずこの店の床板がきしみ音をあげるのは、用心棒をしている巨漢のコボルトか彼女が歩くときに限られる。


「なんだい、ベルナルデッタ。いたのかい?」


 リュキスカが口元だけ笑いながら憎まれ口を叩く。そしてそのセリフに我が耳を疑うリュウイチ。


 ええ!?

 ベルナルデッタってリウィウスが「アルトリウシアいちの人気」とか「美人」とか紹介してたやつ!?

 アイツこんなのが趣味なの???


「ああ、今客の相手を終えて降りてきたとこさ。

 アンタ労咳ろうがいだろ?

 客に感染うつしちまうからやめときなよ。

 その御馳走の御相伴ごしょうばんにあずかったってだけで、今夜は満足しときな。」


 リュキスカの方は見向きもせず、それだけ言うとベルナルデッタはリュウイチを見て舌なめずりする。


「やめとくれ、こちらさんはアタイをお買い上げなんだよ!

 さあ、お兄さん、行こうか?」


『あ、ああ』


 リュキスカがリュウイチの左腕に自分の腕を絡ませて立ち上がらせようとすると、ベルナルデッタがリュウイチの右肩に手を置いて制止した。


「待ちなよ、お兄さん。

 それよりアタシはどうだい、グラマーなアタシの方がいいだろ?

 アルトリウシアで一番人気のアタシが今なら銀貨二枚だよ?」


 自分の魅力に絶対の自信を持つベルナルデッタがニヤリと笑いながら猫なで声でささやいてみせたが、ルックスもリュウイチの好みでなければそれ以上にその態度が好みじゃなかった。

 そして何より酒臭いのが気に入らない。


『酒臭いな。』


「娼婦が酒飲んで何が悪いのさ?」


 さすがゴックだ、何ともないぜ。


『すまんな、すでに商談成立してるんだ。』


 リュウイチはそう言って肩に置かれたベルナルデッタの手をスッと払う。すると、それが癪にさわったのかベルナルデッタは声を荒げ始めた。


「こっちゃ親切で言ってんだよ!

 そんなのと寝たら労咳ろうがい感染うつされっちまうよ!?」


労咳ろうがい!?』


 リュウイチが思わずリュキスカの顔を見ると、一瞬「まずい」というような表情を浮かべたあと、何とか誤魔化そうと苦笑いを浮かべて言いつくろい始めた。


「馬鹿言わないどくれ!!

 ちょっと咳が出てただけさ。

 もう薬で治ったんだ。今までだって咳なんかしちゃいないだろ?」


 口早に小さい声でそれだけ言うと今度はベルナルデッタに怒鳴りつける。

 

「ベルナルデッタ!!他人の客にちょっかい出すんじゃないよ!!!」


 ベルナルデッタは眉を上げフンッと鼻を鳴らしてあざ笑うように胸を張る。勝利を確信して疑っていないようだ。

 リュキスカはその態度にムカつきながらも、リュウイチの腕に絡ませた自分の腕に力を入れて立ち上がらせようと急かした。


「さあ、お兄さんリュウイチ、アタイに任せときな。絶対、満足させてあげるからさ。」


『わかったわかった。』


 リュキスカが病気かどうかはともかく、これ以上ベルナルデッタの相手をしたくないリュウイチはそう言って立ち上がる。

 リュウイチが自分よりリュキスカを選ぼうとしている事におどろいたベルナルデッタは信じられないとでも言うように追いすがった。


「無理すんじゃないよ、リュキスカ!

 アンタ今は薬が効いてるだけじゃないか。

 お兄さん、その阿婆擦あばずれに義理立てなんか無用だよ。アンタもそんな労咳ろうがい持ちよりアタシの方がいいだろ?」


『悪いが、俺は痩せてる方が好きなんだ。』


 リュウイチのその一言にリュキスカはニィィッと笑みを浮かべ、逆にベルナルデッタは目をむく。まさか自分が敗北するとは思っていなかったからだ。


「待ちなよ、アルトリウシアいちの娼婦のアタシが親切に言ってやってんのに、その態度はないじゃないのかい?」


 そう言ってリュウイチの右腕を掴んで引き留めようとしたが、リュウイチはその手を振り払う。


『悪いが、太った女は嫌いなんだ。』


 その一言でベルナルデッタは自分のを全否定されて憤慨する。


「なんだって!?アンタ、ロリコンかなんかかい?」


 この侮辱にはリュキスカが反応した。

 娼婦が他の娼婦の客を侮辱するのは全ての時代、全ての国で共通する業界の御法度である。


「ちょいと、ベルナルデッタ!お客さんを侮辱するのはやめとくれよ。

 誰にだって好みはあるんだよ!!」


 既に勝利を確信したリュキスカの態度には余裕があった。悔しさを募らせるベルナルデッタは人目もはばからず、ヒステリックに叫び返す。


「うるさいね、労咳ろうがい持ちの痩せっぽちが!

 娼婦のくせに父親のわかんない子を作っちまうようなヘマする女が、アタシに一丁前の口利くんじゃないよ!」



 今や店中がこの痴話喧嘩に注目していた。

 店の用心棒たちは出番を予感しつつも、いつ、どちらをどう抑えるべきかわからず固唾かたずを飲んで見守っている。

 力関係で言えば間違いなく一番人気のベルナルデッタを守るべきだが、今の状況は明らかにベルナルデッタの方が悪い。ここでベルナルデッタに肩入れしすぎれば他の娼婦や客が他の店へ流れていきかねない。

 だが、それ以上に今後の展開が見逃せない。


 ベルナルデッタを振る男がいる。しかもベルナルデッタが客を奪えずに憤慨している。おまけにベルナルデッタに勝ったのが、この店では給仕しかしたことのない痩せっぽちのリュキスカだ。


 娯楽の少ないこの世界ヴァーチャリアでは人気娼婦は《レアル》での芸能人ばりに注目を集める。ベルナルデッタは言わずと知れたその花形で、夜の街のアイドルだ。

 そのとなれば、誰もが興味を抱かずにはいられない大ゴシップニュースになるだろう。

 今は店中の全員がその後の展開に期待を募らせて見守っていた。

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