第558話 闖入者
統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム
紅葉の時期もとっくに過ぎた晩秋となれば、森の中であっても落葉樹はだいたい葉を落としてしまっている。とはいっても、人工的に植林された森林でもない限り一年中葉を落とさない常緑樹の割合だって結構あるから、この季節でも森に入れば外より暗くなるのは道理というものだ。
「ホントに星が…見えねぇなぁ…」
火を起こし、エンテから分けてもらった紙巻き煙草を吹かしてようやく
ともかく、今自分たちはこうして無事でいて、周囲も静かで危険が迫ってくるような様子はない。静かすぎるし暗すぎるのは分かっているが、明確な危険を知らせる信号が無いということは、彼らのような裏稼業で生きる者たちにとってはむしろ安心材料だった。
「月も
「アンタぁ、山は長いのかい?」
エンテがフーッとクジラが潮を吹くかのように煙を吹き上げ、何の気なしに
裏稼業で生きている者同士、互いに余計な詮索はしない方が良い…が、それは表向きの話だ。やはり一緒にヤバイ橋を渡る以上は相手がどういう人物か気になるのは当然だし、技能や経験など知っておくに越したことはない。信用の置けない人柄なら早々に距離を置くなり別れるなりした方が良いし、場合によっては処分した方が良いこともあるだろう。
尋ね方が良かったのか、雰囲気に流されたのか、エンテは意外なくらいにすんなりと答えた。
「まぁな…盗賊になる前は炭焼いてたんだ…」
「じゃあ、この辺の山も?」
「いやっ…もっと北だ。
フライタークの森が俺の仕事場だったのさ…こっちの方は来た事無ぇよ。」
「…そっか、地の利があるかと期待したんだが…」
クレーエが残念そうに言うとエンテはフフッと笑いながら煙を歯の間から噴きこぼす。
「こんな森じゃ炭は焼けねぇよ。」
その答えが意外だったのか、クレーエは自然とそのまま世間話を続けた。
「そうなのかい?
こんだけ立派な木がいっぱい生えてりゃ、炭も焼き放題じゃねえか?」
樹木がこれだけ豊富に生えているのだから、切り倒して焼けば相当大量の炭が焼けるだろう。木炭を作るには格好の場所のように思えるが、エンテからするとそれはどうやらとんでもない誤解なようだ。
「ハッハッハ、冗談じゃねぇや…
まず木が立派過ぎらぁ…こんだけ立派な木なら
「そりゃそうだろうが、それぁ炭が焼けねぇ理由にゃあなるめぇ?」
「ああ、そうだなぁ…なんて言ったらいいか…炭を作ろうと思ったらまず薪にしなきゃいけねぇ…これだけの大木をとなると、その手間が半端じゃねぇ。採算が合わねぇよ。」
森には多数の木が生えている。だが、木は苗木の頃は鉢植えにでも出来そうなくらい小さいが、樹齢を重ねるにつれて際限なく成長する。もちろん寿命や成長限界はあるわけだが、それにしたところで苗木の頃から比べれば数百倍数千倍という大きさになる。若く小さいときは丁度いい間隔で生えていた木も、大きくなってくると木のサイズに比して密度が高くなりすぎ、互いの成長を阻害しあうようになる。このため、もし建材用の大きな樹木を育てようと思ったら、木の成長に合わせて間引いて行かねばならない。いわゆる
この間伐によって伐られた木を
しかし、彼らの周りに生えている木は樹齢数百年は立ってそうな巨木ばかりである。それほどの巨木となると切り倒すだけで相当時間はかかるだろう。さらに切り倒した後で薪として使える大きさにまで細かくしようと思ったら、それだけで数日どころか数週間はかかるに違いない。それでは採算がとれないのだ。
「ふーん…」
「それにな、炭を焼く時にゃ薪を山のように積み上げて、上から土を被せなきゃいけねえぇんだ。薪を蒸し焼きにするためにな…
だがこの辺の地面を見て見ろ…ブッ太い木の根が
途中までいい気になって話していたエンテだったが、さっきまで興味深げに聞いていたクレーエとレルヒェが表情を強張らせ、あらぬ方向を見ている事に気付いて話を中断した。
「シッ、何か物音がした…」
クレーエが煙草を揉み消して傍らに置いていた自分の剣に手を伸ばし、音のした方を睨みながら説明する。レルヒェの方も煙草を消して自分の銃に手を伸ばしていた。
それを見てエンテもパッと自分の銃を手に取り、煙草の火を揉み消しながら声を押し殺す。
「軍隊か!?」
「いや、まだわからん。」
「火ぃ消すか、旦那?」
銃の
「いや、明かりが完全になくなるとさっきみたいに困ることになる。」
クレーエは答えながら慎重に姿勢を低く身構えた。エンテもレルヒェを真似て自分の銃の火皿に火薬を入れ始める。先に火薬を入れ終わったレルヒェの方は、火薬瓶を仕舞いながら聞こえて来る音に耳をそばだてた。
「どうする、何かこっちに近づいてるみたいだぜ旦那?
この火を目指してんじゃねぇのかい?」
「そうだな、だが火は消さねぇ方が良い。
火に寄って来るっていうなら、むしろ火は残しておこう。」
クレーエの判断にエンテは驚いた。
「このまま待つってぇのかい!?」
「いや、火を残して俺たちが火から離れるのさ。
少し離れて暗闇に潜もう。それで相手が火に近づけば、その明かりで正体がわかるだろう?
あとはこっちから撃つこともできるし、そのまま逃げることもできる。」
エンテがクレーエの説明に感心し、「なるほど」と言おうとした矢先、ドスッと鈍い音がし、クレーエとエンテは驚いた。
「「!?」」
振り返ると、レルヒェがぶっ倒れている。
「お、おい…レルヒェ!?」
「どうした、何かやられたのか!?」
二人は慌ててレルヒェに近づき、その身体を揺すり声をかける。だが、レルヒェは銃を抱えたまま、座った状態からそのまま横倒しになったような格好で地面に倒れ込み、いびきをかいていた。目が半開きで白目を剥き、口からヨダレまで垂らしている。
「旦那、コイツ寝てるぜ!?」
「クソッ、何やってやがんだ…レルヒェ!おいレルヒェ!?」
クレーエが声はあくまでも殺しながらだったが、激しくレルヒェの身体を揺すって起こそうとする。しかし、レルヒェはいびきをかいたまま一向に起きる気配がない。そうしている間にも、音はどんどん近づいてくる。近づいてくるのは明らかに人の気配だった。
「旦那、ヤバいぜ!こっちも近づいてくる。」
「レルヒェ!おい、クソッ」
ここでレルヒェを見捨てるわけにもいかず、かといって担いで逃げるにはもう間が無さそうだ。二人は仕方なくそれぞれ銃と剣を構え、音のする方を向いた。それから間を置かず、一人の少年が木の根を乗り越えて飛び込んできた。
「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ…たすっ、助かったぁ!!」
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