第559話 奇跡の邂逅

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



 ナイス・ジェークと別れたエイー・ルメオは暗闇の中を彷徨さまよい続けていた。時折響いてくるナイスの戦っている音を背中に聞きながら、木の根を乗り越え、斜面を低い方へ低い方へと進んでいく。こけと土と落ち葉にまみれながら、必死に進むエイーの速度はしかし決して速くはなかった。

 気づけば地面を縦横に走る木の根の太さは両腕を伸ばしても抱えきれないほど太くなっている。昼間、この森に生えていた樹木はいずれもこんなに太くはなかった。最も太い木の幹ですら、太さは二十センチあるかどうかぐらいだったのだ。なのに今エイーの周りに生えている樹々はいずれも樹齢千年はあろうかという大木ばかり…その木の幹は大の大人が数人がかりで手を繋いでようやく囲えるぐらい太く、その樹々から生える木の根を乗り越えるためには両手を使ってよじ登らなければならないほどだ。しかも、表面には分厚く苔が生えており、乗り越えようとするたびにズルズルと滑り、そして乗り越えたら乗り越えたで地面を覆う部厚い苔の絨毯じゅうたんに足がズボッとはまりこむのである。どれだけエイーが急いだところで、このような地形では平地を歩くよりも遅くならざるをえないだろう。


 足首まで沈み込む苔を踏みしめながら進み、横たわる木の根に両手をかけ、手に体重を駆けながら脚を跳ね上げ、馬乗りになるようにまたがり、そして乗り越える。それをもう何回繰り返しただろうか…もはや気配を消すどころか、息の乱れすら気にする余裕を失ったエイーは進む先に光を見つけると、それでもペースを上げて光りに向かって突き進んだ。


 あれは、あれは間違いなく焚火たきびの明かり!

 人だ!あそこに、人が居るんだ!!


 近づくにつれ、実際に人間の気配が明瞭に感じられるようになり、次第に話声も聞こえるようになってきた。


 人だ!やった!人が居るところまで来た!森の、出口だ!!


「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ…たすっ、助かったぁ!!」


 最後の木の根を乗り越えながらエイーは快哉かいさいを叫び、そして着地に失敗し、つんのめって地面に転がった。


子供かイスト・エス・アイン・キント?!」

ヴェ誰だコイツヴェア・エストゥ・エス?」


 頭上から人の声が聞こえ、エイーは慌てて身体を起こす。が、転んだ拍子にローブの裾がまくれ上がって後ろから頭に覆いかぶさったせいで何も見えない。


「ああっ、すまない!

 えっと…あ、あれ!?これ!…あ、ああっ」


 地面にへたり込んだままなんとか頭に被さったローブの裾を払い除けると、エイーの目の前には二人の男が立っていた。一人は銃を構え、もう一人は剣を抜いている。エイーは思わず手に持ったままだったワンドを地面に置き、両手を恐る恐るあげた。


「あ、あ~…驚かして、すみません。

 その…森で迷って。ようやく光を見つけたもので…」


 さっき、二人はドイツ語でしゃべっていた。エイーはドイツ語は分からないのでラテン語で話したが、通じるかどうか不安があった。一応、レーマ帝国ではラテン語が公用語になっているし、ムセイオンを脱走してからこれまで行く先々でラテン語で会話は出来ていたのだが、やはり知らない相手が知らない言語を話していると不安にはなって来る。そして、その不安から自然と話す態度もどこか腰の引けたような、オズオズとしたものになっていた。


「森で迷った!?」

「お前、こんな森の中を明かりも無しに歩いてたのか!?」


 幸い、二人はラテン語が話せたようだ。エイーがラテン語で話しかけると、ラテン語で返してくる。


「あ、う、うん…その、月明かりがあるから大丈夫だと思ってたんだけど、気づいたら真っ暗になっちゃって…」


 エイーは相手が万が一にもレーマ軍側の人間だった場合のことを考え、あえて暗視魔法で暗闇でも見通せることは言わなかった。男二人は互いに目を合わせると、武器を構えたまま質問をしてくる。まあ、いかがわしく想われるのは当然だろう。


「こんな森にお前さんみたいな子供が一人で何しに入ってきたんだ?

 しかもこんな暗くなってから…」


「いやっ、そのぉ…入った時はまだ明るかったんだ。

 お日様は沈んでなかったし…」


「で、一人で何しに森へ?」


「それはその…一人じゃなかったよ?

 友達と一緒だったんだ…だけど、暗くなって…気づいたらはぐれて一人になっちゃってたんだ…」


「友達?

 友達と何しに?」


 これまでエイーはわざと森に入った目的については答えないでいたのだが二人は執拗だった。もしも二人がレーマ軍関係者だとしたら正直に言うわけにはいかない。しかし、ここまで来ると何も答えないのも不自然すぎる…すでに十分不自然でいぶかしがられているのに、これ以上無理にはぐらかすのは却って危険だ。何か適当なそれっぽいウソをついて誤魔化す方がマシだろう。

 だが、どう答えればいい?ハイキングという時間帯ではないし、山菜や木の実を採るには季節が遅すぎる。


「え、えっと…狩りさ…」


「「狩りぃ~!?」」


 二人は同時に眉を寄せ、声を合わせた。どうやら全然それっぽく見えないらしい。


「狩りって格好じゃねぇなぁボウズ?」

「丸腰じゃねぇか…その手に持った棒っきれで何を狩るんだ?」


 エイーは慌てて自分が地面に置いた杖を見た。気づけば豪華な装飾は苔で汚れてすっかり隠されてしまっており、ただのにしか見えない。しかも棍棒というには細すぎるし、短くもある。


「え!?あ、いや…ボ、ボクは狩らないんだ!

 その、友達の狩りについてきただけで…だけど、今日は獲物も無くってさ…そのうち急に暗くなって、その友達ともはぐれて一人になっちゃってて…森の出口も分かんなくなっちゃってさ…それで、遠くに明かりが見えたから来たら…」


「ここだったってわけか?」


「うん、そう…」


 話を聞くと二人はまた互いに顔を見合わせ、ようやく構えていた武器を降ろした。ようやく警戒を解いてくれたらしいと思い、エイーはホッとして手を降ろすと剣を持った方の男がしゃがみ込み、フードに隠れたままのエイーの顔を覗き込む。


「狩りって言ったが、アンタ何処から来たんだい?」


 エイーはギクリとした。

 すると、鉄砲を持っていた方は間違って仲間を撃たないように横にずれながら銃を構えなおす。


「この辺で人が住んでるのはブルグトアドルフの街だけで、ブルグトアドルフの住民は全員避難した。ブルグトアドルフに近い村までは歩いて半日はかかるぜ?

 ただの狩りで、しかも狩りをする友達の付き合いなんかで、その村からここまで来るにゃあ遠すぎらぁ…狩りなんて村の近場で出来るだろうによ?」


 さすがにその質問の答えは用意してなかった。確かに、この森の近くに人は住んでいるのはブルグトアドルフの街だけで、その住民は全員避難したのだから居るわけがない。そして、エイーはブルグトアドルフの近くにあるであろう農村については何も知らなかった。土地勘が無い以上、適当な話をでっちあげることもできない…。


 ヤバい…


 エイーは思わず顔を上げ、質問してきた男の顔を見た。


 あれ?


 エイーはこの時初めて相手の顔を見た。それまで突きつけられた武器に気を取られ、相手の顔など見てなかったのだ。


 どこかで見た覚えが…


 この時、エイーの表情が変わったせいか相手もエイーの正体に気付いたようだった。


「あれ…ルメオの旦那?」

「え、ルメオ様だって!?」


 二人は『勇者団ブレーブス』が傘下に納めて使役している盗賊だった。

 

「お前たち…何でこんなところに?」


 お互いの正体に気付くとお互いの態度がガラッと変わる。さっきまで敵かもしれないと用心していたエイーは相手が手下にした盗賊だと気づいて安心してしまい、それに対しててっきりただの人間…クレーエに言わせれば“獲物”…かと思っていた相手が恐れうやまうべき『勇者団』の一員と気づいて思いっきりバツの悪い思いをしていた。


 ヤバい…怒らせちゃいけない人に武器を向けちまった…


 銃を向けていたエンテは慌てて銃を引っ込め、クレーエも付きつけていた剣をまるで放り投げるように地面に置いた。


「いやっ、ア、アタシらぁその、作戦終了の合図を聞いて逃げ出したんでさぁ。

 そんで、街の南の森へ逃げ込んだらこの有様で…」


 怒られるかとドギマギしながらクレーエは答えたが、彼の心配は無用だった。エイーは武器を向けられた事など気にもしていない…というか、エイーにはもっと大事なことがあった。エイーはさっきまでの縮こまっていた態度がウソのような勢いで身を乗り出して尋ねる。


「お、お前たち、出口は!?

 この森から出る方法を知らないか!?」

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