第560話 呆気ない幕切れ

統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフ礼拝堂/ブルグトアドルフ



「ヒール!」


 ルクレティアが唱えると、両手で持った『聖なる光の杖』ワンド・オブ・ホーリー・ライトが白くまばゆいほどの輝きを放ち、ベッドに横たわるジョージ・メークミー・サンドウィッチの身体からも淡い光が発せられる。メークミーの傷口から変形した鉛玉がひとりでに湧き出て来るとポトリと転がり落ち、傷口の周囲を汚していた血糊がまるで生きたスライムのように傷口に潜り込んでいく。そして光が収まった時、メークミーの太腿にあった醜い銃創じゅうそうはきれいさっぱり無くなっていた。


 通常、この世界ヴァーチャリアで普及している治癒魔法ではこういう風には治らない。施術者の魔力によって被術者の治癒能力を高め、自然治癒を加速させるだけである。だから体内に残った弾丸などの異物がこのように除去されることはないし、体内に弾丸が残っているようなら外科手術によって取り除かねばならず、治癒後も醜い傷跡が残ってしまう。そればかりか後遺症が残ることさえあった。

 本来のルクレティアがそうであるように、施術者の魔力が低い場合は被術者の魔力を消費して補われることもあり、その場合はただでさえ負傷によって体力を消耗した怪我人から魔力を奪うため、却って死期を早める結果になることすらある。


 だが、今のルクレティアの場合は違う。

 リュウイチから授かった魔道具マジック・アイテム『聖なる光の杖』によって発動する治癒魔法は、この世界で複製・再現された劣化治癒魔法レッサー・ヒールとは違い、いにしえゲイマーガメルが使っていたのと同じ神の奇跡とも呼べる高度な治癒魔法である。被術者の魔力に頼ることなく施術者の魔力によって体組織を完全に再生してしまい、それのみならず体組織再生に邪魔になる異物の除去さえなされ、傷跡も一切残らない。

 その代わり、魔力消費が激しい。ルクレティアにしても『聖なる光の杖』があるからこそ発動できているのだし、仮に普通の人間が『聖なる光の杖』を使って同じ治癒魔法を使いでもしたら一発で魔力欠乏を起こして死んでしまうだろう。ゲイマーの血を引く魔力に秀でた聖貴族コンセクラトゥムならそこまで深刻な事にはならないだろうが、それでも片手で数えるほどしか発動できないにちがいない。にもかかわらず一般人に毛の生えた程度の魔力しかもたないルクレティアが『聖なる光の杖』を使いこなし、魔力欠乏を起こすことなくこの強力な治癒魔法を発動できているのは、リュウイチから授かった魔道具『魔力共有の指輪』リング・オブ・マナ・シェアリングを通じてリュウイチから魔力を補充してもらえているからに他ならなかった。

 だが、それでも自分が本来保持している魔力の全量を上回る魔力を消費しているのである。まったく影響がないわけではない。


「ふぅ…」


 治癒魔法に成功した事を確信して一息ついたルクレティアは安心したように息を吐くと、目眩めまいを起こしよろめいた。


お嬢様ドミナ!?」

奥方様ドミナ!!」


 ルクレティアの傍らに立っていた奴隷のリウィウスと侍女のクロエリアが咄嗟にルクレティアを支える。


「「ルクレティア様!!」」


 アロイス・キュッテルやセルウィウス・カウデクスほか同室していた軍人たちが驚いて声をかけると、ルクレティアは少し額を抑えながら姿勢を戻した。


「だ、大丈夫です…ちょっと、目眩がしただけで…」


「や、やはりこのような大魔法を御使いになられたのですから、ご無理はなさらない方が…」


 ルクレティアが魔道具によって治癒魔法を発動させるところを初めて見たアロイスは心配なようだった。彼は魔法については素人だが、それでも魔法を使いすぎたり大魔法を発動させるなどして魔力を使いすぎると命に関わることぐらい承知している。ルクレティアはメークミーを治癒する前にカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の治癒を終えたばかりだったのだ。


「いえ、本当に大丈夫です閣下。

 私にはがありますから…」


 ルクレティアはそう言うと自分の左手の薬指に嵌めた『魔力共有の指輪』を大事そうに撫でた。それは今ほのかな光を放っており、ルクレティアに今も魔力が供給されている事を物語っている。ルクレティア自身、左手の指輪から魔力が流れ込んできて自分の中を満たしていくのを感じ、どこかうっとりとした表情を浮かべている。


「そ、それならいいのですが…」


 アロイスはルクレティアがリュウイチから受け取った魔道具についてある程度話は聞いている。だが、軍の装備品である大楯スクトゥム円盾パルマ以外の魔道具については全く馴染みのない彼にとって、その効果はどこか半信半疑なところがあった。

 たしかに、これまで見たこともないような、それこそゲイマーの伝説で語られるような治癒魔法は見させてもらった。だが、その魔力はやはりルクレティア自身のものだし、それを魔道具を使って補充できると言われても実際にルクレティアが目眩を起こしているのを見ると本当なのかどうか疑わしくなってもくる。

 しかし、ルクレティアが大魔法を使うのをこの数日で幾度か見て来た他の者たちはアロイスほどいぶかしむようなことはなかった。慣れとは恐ろしい物である。


「ルクレティア様。

 その…恐れ多いのですが、伯爵公子閣下はもう大丈夫なのですか?

 まだ、御目覚めにならないようですが…」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア百人隊長ケントゥリオが恐る恐る尋ねた。彼はカエソーを守らねばならない身にありながら守り切れなかったことに責任を感じていた。

 ルクレティアは百人隊長の方を見ると優しく微笑む。


「はい、御身体の方は完全に治っておられます。

 ただ、気を失っておられたのでそのまま寝ておられるだけでしょう。

 体力も大丈夫なはずですが、もし状況が許すようでしたらこのままここでお眠りになられた方が良いと存じます。」


 ルクレティアは今回初めて普通の治癒魔法よりも上位のハイ・ヒールをカエソーに使用していた。ちなみにメークミーの治癒後に目眩を起こしたのはそのせいである。


「ありがとうございます、ルクレティア様!

 ルクレティア様の御部屋も取り急ぎご用意いたしますので、どうかルクレティア様もお休みを…」


 まだ、カエソーが目覚めるまでは安心しきれないが、それでも百人隊長は膝をついて礼を述べた。


「いえ、私は未だ、他の軍団兵レギオナリウスの皆さんを治癒しなければ…」


「それには及びません!

 軍団兵どもは既に《地の精霊アース・エレメンタル》様の御力により、全員すでに回復しております。」


「全員!?

 もう、ですか?」


 百人隊長の報告にルクレティアは驚いた。確かに《地の精霊》に負傷兵の治癒を頼んだのはルクレティアだが、負傷兵はあの場に何十人と居たはずなのだ。《地の精霊》は一人なのだから、一人ずつ治癒したとして半時間以上はかかるはずである。だからルクレティアはまだ半分も治癒は終わっていないだろうと考えていた。


「ハッ、ルクレティア様が礼拝堂を後にされてから、《地の精霊》様はあの場にいた者ども全員を一度に治癒されまして…もう、全員任務に復帰しております。」


 ルクレティアは何か自分の出番を奪われた様な、どこか拍子抜けしたような気分になった。実際、彼女の顔にはそんなどこか呆けたような表情が浮かんでいる。


「で、でも、まだこれから怪我人が出るかもしれないのでしょう?

 戦もまだ…」


 すると今度はアロイスが答えた。


「いえルクレティア様、戦はもう終わっております。」


「終わってる?」


「ええ、ちょうどルクレティア様が馬車から降りてこられた頃、戦闘終結を告げる緑の信号弾が上がっておりました。」


「で、でも、外からまだ爆弾の音が…」


 彼女たちがいる礼拝堂には外から時折爆弾が爆発する音が遠雷のように聞こえてきていた。だから外ではまだ兵士が盗賊たちと戦っているとルクレティアは思い込んでいたのだ。


「ああ、あれは戦闘ではなく、消火活動の音でしょう。」


「消火!?」


「はい、燃えている建物を壊すのに、爆弾を使ってるのです。

 戦闘ではありません。」


 この世界ヴァーチャリアで建物火災が起きた時の主な消火方法は破壊消火はかいしょうかである。ボヤ程度なら水をかけて消火するが、高出力なポンプが存在しないこの世界では大きな火災を水で消すことなどまずできない。なので、現に燃えている家屋を、あるいは隣接する家屋を破壊し、これから燃えるであろう燃料となる物を取り除くことで、他への延焼を防ぐのである。

 ところが破壊消火には人手が要る。火災が起きている建物を、あるいは隣接した建物を他へ火が燃え広がる前に急いで破壊しなければならないのだから、まともにやったら結構な人数が要るのだ。ところが今、兵士の多くが盗賊の掃討に駆り出されていて消火に割り当てられる人数が十分確保できない。そのため、手っ取り早く爆弾を使って家屋を破壊しているのだった。


 まだまだ、自分の出番はこれからだ・・・そう思って気を張っていたルクレティアは文字通り肩透かしを食らった状態になってしまった。


「と、盗賊の方は、じゃあ全員追い払ったのですか?」


 今度はサウマディアの百人隊長が報告する。


「はい、ほぼ全員捕まえたとのことです。」


「捕まえた!?」


 百人隊長もルクレティアらと共にこの部屋に来る直前に報告を受けたばかりで詳細は確認できていなかったし、自分自身納得も理解もできていなかったのだが、彼は少し逡巡しゅんじゅんしてから部下から受けた報告をそのままルクレティアに告げた。


「はい、その…なんでも、盗賊どもが全員、突然倒れて寝始めたとかで…」

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