第561話 スタミナ・ポーションの罠

統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



「出るって言われても今はまずいですぜ?

 ここは森の北のはずれで出たらすぐブルグトアドルフの街から目と鼻の先だ。

 街は今軍団兵レギオナリウスでいっぱいだから、すぐに見つかっちまいますよ。」


 焚火たきびを囲んで一息ついていたところへ飛び込んできたエイー・ルメオに森の出口を訊かれたクレーエは両手を広げて首を振った。それを聞いたエイーはショックを受けたように頭を抱えてその場にへたり込んでしまう。


「北の端だって!?

 西を目指してまっすぐ進んだはずなのに…」


 クレーエはエンテと顔を見合わせ、視線だけで「どういうこと?」「さあ?」というような会話を交わすと、へたり込んだエイーを慰めるようにしゃがみ込んだ。


「まあルメオの旦那ドミヌス・ルメオ、落ち着いてくだせえや。

 どのみちこの暗闇じゃ動くに動けねぇ。

 松明たいまつなんぞ持ち歩いたら盗賊がここにいますよって敵さんに知らせてやるようなもんだ。

 ここは焦らず一晩休んで、夜が明けてから様子見ながら出ましょうや。」


 そう言いながらさっき地面に置いた軍剣カッツバルケルを拾いあげて鞘に戻す。するとエイーはパッと顔を上げてクレーエの顔を睨みつけ、クレーエを驚かせた。今まで暗くて気づかなかったが、その顔は涙でグチョグチョに濡れていた。


「夜が明けるまでなんて待てない!

 早く、この森を出て仲間と合流しなきゃいけないんだ!

 第一、ここはまだ森の中なんだろう!?

 こんなところでのんびりしてたら、《木の精霊トレント》に襲われちゃうぞ!」


「「とれんとぉ~!?」」


 エイーの「トレントに襲われる」という言葉にはさすがに二人とも驚き眉を寄せた。トレントなんて二人にとっては御伽噺おとぎばなしでしか聞かないオバケの名前だ。昔は実在したらしいということは知っているが、彼らが知る限りではトレントとは樹齢数百年の大樹に霊魂が宿って精霊エレメンタル化したものであり、この辺りの森にそんなものが存在するなんて話は聞いたこともない。


「ホントだ!居るんだ!この森に!!

 さっき襲われて、それで逃げて来たんだ!!ウソじゃない!!」


 あからさまに話を信じず、それどころか何か憐れむような視線を向けて来る二人にエイーは必死に言いすがった。


「ま、まあ落ち着いてくだせぇや旦那ドミヌス

 たしかににわかには信じがたい話だが、俺らぁ旦那の事を信じねぇわけじゃありませんや。

 こう言っちゃなんだが、旦那ぁの中じゃ一番イイ人だと俺らぁ思ってんだ。魔法で助けてくれますしね。

 その旦那に助けてくれって言われちゃ力にならねぇわけにゃいかねぇ。

 トレントはともかく、すぐに出たいって言うんならご案内しようじゃありませんか。」


 エイーは『勇者団ブレーブス』のヒーラーであり、盗賊たちの怪我の面倒も見ていた。このため、盗賊たちに恐れ嫌われる『勇者団』のメンバーの中でただ一人、例外的に盗賊たちの好感を集める存在だったのだ。クレーエ自身はエイーの世話になったことはなかったが、エイーが他の盗賊たちに治癒魔法をかけてくれているのは知っていたし、相棒のレルヒェも前回のブルグトアドルフの作戦で流れ弾で負傷したため治癒魔法をかけてもらっていた。クレーエは相棒を助けてもらった恩があったし、『勇者団』で唯一を邪険にあつかうのは賢いとは言えない。


「ホントか!?じゃ、じゃあさっそく「いや、待ってくだせぇ」…何だ?」


 顔をパアッと明るくして早速立ち上がろうとするエイーをクレーエは両手でやさしく抑えた。


「こっから出るのは構わねぇが、あいにくと相棒が寝ちまってて…

 どうにもこうにも起きねぇんでさ。」


「寝てる?」


 クレーエは困ったような顔をして肩越しにいびきをかいて寝ているレルヒェを指差した。エイーの居るところからは丁度焚火を挟んで反対側に位置していたので、エイーは言われるまでレルヒェの存在に気付けていなかった。


「ええ、さっきまで元気だったのに突然…

 それもちょっと普通の寝方じゃねぇ感じでしてね。

 もう叩こうが揺すろうがちっとも起きてくれねぇんで…

 ちょっと診てやってくださいやせんかね?」


 そう言われてエイーはレルヒェの方を見たまま立ち上がると焚火を迂回してレルヒェの傍まで歩き、そしてしゃがみ込んでレルヒェの様子を確認し始めた。


「ここが普通のぱらならかついで行ってもいいんですがね。

 さすがにこんなデッケェ木の根がいっぱいのトコを、コイツ担いで歩くのは少々ホネでしてね。

 起きねぇってえんなら、ここに置いていくしかねぇ。」


 クレーエが困ったように言うと、エイーはレルヒェを注意深く観察したまま背中越しに答えた。


「こんなところに置いてはいけないぞ?

 さっきも言ったがこの森にはトレントがいっぱいいるんだ。

 一人で置いていくと食べられちゃうかもしれないぞ?」


 トレントが人間を食べるかどうかは知らないが、ここが“敵”の縄張りなのは間違いない。少なくともここは安全地帯ではないのだ。放置すればどうなるかわかったものではない。

 だが、トレントの存在を目の当たりにしていない二人はエイーに気付かれないように「また言ってるよ」とばかりに互いに目を見合わせた。

 

「いつからこうなった?」


「え!?ああ…旦那がここにくる直前でさ。

 旦那が近づいてくる足音が聞こえましてね。

 それで、ひょっとして軍団兵が来たかと思って迎え撃つか逃げるかしようって準備をし始めたら途端に倒れて寝ちまいまして…」


「ふーん…」


 エイーはレルヒェのかたわらにしゃがみ込み、その上でかがみこんで様子を見ていたのだが、クレーエの話を聞くとレルヒェの顔を見たまま上体を起こした。


「何か、わかりましたか?」


「うん…寝てる。」


「いや、旦那。それくらいは俺らにも分かりまさぁ…

 普通の寝方じゃねぇから診てもらったんじゃないです…うっ!?」


 クレーエが呆れたように言うとエイーは身体ごとクレーエの方に向き直った。クレーエは思わずうっかり不用意な事を言って怒らせたんじゃないかと驚き身構える。


「彼は、スタミナ・ポーションを飲んだな?

 その後寝たか?寝てないだろ?」


 クレーエは怒られるかと思ったのに全く予想外の質問をされて一瞬呆気にとられたが、二度三度目をパチクリさせてからオズオズと答えた。


「え、ええ…なんか、あれ飲んだ連中はみんな眠れねぇとか言って、一晩中起きてバクチとかしてました。」


「やっぱり…」


 返事を聞いた途端、エイーは手を顔に当て嘆息した。何か悪い予感が的中したかのような悩まし気な態度に、クレーエはエンテと顔を見合わせ恐る恐る尋ねる。


「あ、あの…あれがどうかしたんですかぃ?」


「お前たち、スタミナ・ポーションは何だと思ってる?」


 エイーは顔あげ、クレーエとエンテの顔を交互に見ながら尋ねた。その表情は沈痛そのものである。


「何だって…その…一口飲めばどんな疲れも消し飛んで、丸一日元気でいられるっていう、ゲイマーガメル様のポーションでしょ?」


「そうだ。…が、違う。」


「「違う?」」


 エイーのよくわからない答えに二人は声を合わせて訊き返す。


「ああ、あれはゲーマーのもたらしたスタミナ・ポーションを真似て作った偽物だ。」


「え!?で、でも実際に丸一日元気でいられましたよ!?」


 何かとんでもない物を飲まされたらしい事に気付いたエンテが横から割り込むように言うと、エイーは残念そうな表情を崩さずに答えた。


「そうだろう?

 だけど違うんだ。本物のスタミナ・ポーションは実際に疲れを消すんだが、あれは疲れを消すんじゃなくて疲れを感じさせないようにするだけの代物だ。

 身体がどれだけ疲れててもそれを感じないから、元気で動いていられる。だけど疲れ自体はそのまま溜まり続けるから、ポーションの効き目が切れた途端にそれまで溜まっていた疲れが一気に襲い掛かって来るんだ。」


「そ、それでコイツはこんな風に寝ちまってるんですかい!?」


 今度はクレーエが尋ね、エイーはレルヒェの方に視線を落としながら答える。


「そうだ、だからあのポーションを飲んだら疲れは感じなくても、どんなに眠くなかったとしても無理にでも寝ないとこうなってしまうんだ。

 ただ寝てるだけだから心配はないが、普通の眠りよりも深いから簡単には起きないぞ?むしろ、起こさない方が良いだろう。」


「「はぁ~~~」」


 たしかにレルヒェは寝てなかった。スタミナ・ポーションを貰ったのが一昨日だったが、その前の前の日からレルヒェはほとんど寝ていなかったのだ。クレーエの認識が正しければ、レルヒェは四日間ずっと寝ていないはずだから、ポーションの効き目が切れた途端に四日分の眠気が一気に襲って来たのだろう。

 エイーの説明に納得するのと同時に驚き、二人は同時に溜息を吐くように声を漏らすと、エイーは二人の方に向き直った。


「さっき、『あれを飲んだ連中はみんな』って言ってたな?

 お前たちはどうなんだ!?」


 エイーに詰問され、二人は互いに目を見合ってエンテから答えた。


「ア、アタシゃあ昨日、酒飲んで無理矢理寝たんで…」


「お、俺は飲みませんでした。」


 エンテが答えた後、クレーエがバツが悪そうに答えるとエイーは驚いて少し大きな声を上げた。


「飲んでないだって!?」


「い、いやっ、その…貰った時はまだ飲まなくても大丈夫かなって…

 で、イザって時に飲ませてもらおうってとっといたんで…」


 クレーエは慌てて言いつくろいながら真鍮しんちゅうの小瓶を取り出して見せた。実はそんな毒ともクスリともつかないような怪しい物を飲みたくなかったし、どうせなら後で金に換えようと思っていたなどとはさすがに言えない。


「そうか、じゃあ少なくともお前たちは大丈夫だな?

 他の盗賊たちは?やっぱり、コイツみたいに寝なかったのか?」


 二人は再び顔を見合わせてから…「ええ、多分」と異口同音に答えた。

 彼らは知らなかったが、森の外、ブルグトアドルフの街の周辺では逃げ出した盗賊たちがレルヒェと同じように、ポーションの効き目が切れるのと同時に数日分の眠気に襲われてその場に倒れ、眠ったままレーマ軍に捕らえられてしまっていた。

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