ブルグトアドルフの戦い…事件の裏で

第557話 野戦病院の現実

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフ礼拝堂/ブルグトアドルフ



 ブルグトアドルフから送り込まれたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア連絡将校テッセラリウスの案内でルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの馬車が礼拝堂の裏手に回り込んだ時、街中での戦闘はほぼ終了していた。サウマンディア軍団は街中で死傷者の収容と消火作業に追われており、街中に突入してきたアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアは建物の中に盗賊が残っていないかを点検して回っている。街の外ではアルビオンニア軍団の兵士らが逃げ散る盗賊を追いまわしていた。

 街の北側が燃え盛るバリケードで塞がれて通れなかったため、ルクレティアたちは連絡将校が脱出する時に使った農道を通って街の東側から大きく迂回したのだが、彼らはその途中でアルビオンニア軍団と合流…アルビオンニア軍団の百人隊長ケントゥリオから状況報告を受けている。このため、礼拝堂にたどり着いた時にアルビオンニア軍団を率いてきたアロイス・キュッテルが出迎えた際も、ルクレティアたちは意外と驚かなかった。


「ルクレティア様!

 よくも御無事で!!」


 馬車が来るという部下の報告を受け、窓から顔を出したアロイスは松明たいまつの頼りない明かりでもハッキリと目立つ白い馬車を目撃し、礼拝堂の裏口まで出てきてルクレティアを待ち構えていた。


「キュッテル閣下!?

 救援に来ていただきありがとうございます!!」


 今度はカルスの用意した踏み台を使って馬車から降りたルクレティアは、アロイスとの挨拶もそこそこに状況を確認する。


「伯爵公子閣下が重症と聞いて急いで来ましたの、状況をお教えいただきますか?」


「もちろんですルクレティア様。

 私も今しがたここに着いたばかりですが、伯爵公子閣下の様子は確認しました。確かに重体で一刻の猶予ゆうよもありません。サンドウィッチ殿が魔法でもたせていましたが、彼も重傷を負っていたため魔力欠乏で…」


「まさか!?」


 メークミー・サンドウィッチが重体のカエソーに治癒魔法を施すことでかろうじて命を長らえさせている…そのことはルクレティアも連絡将校から聞いていた。だから急いできたのだ。しかし、連絡将校の話ではメークミーは一時間はもたせると言っていた筈…おそらくそれからまだ四十分程度しか経っていない筈なのにもう魔力欠乏を起こしたということは、メークミーは相当なダメージを負っていたということなのだろうか?だとしたらカエソーも…

 最悪な連想にルクレティアが顔を青ざめさせると、アロイスは慌てて打ち消した。


「いえ!伯爵公子閣下もサンドウィッチ殿もまだ生きておられます。

 サンドウィッチ殿は気を失い、隣のベッドで一緒に寝ております。」


 ルクレティアはホォッと大きく安堵の溜息をつく。


「ともあれ、一刻の猶予も無いのは事実です。

 お急ぎください。」


「はい、もちろんです。」


 ルクレティアはアロイスに先導されて裏口から礼拝堂へ入った。その後ろにはリウィウスたちはもちろん、従兄弟のスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルも侍女のクロエリアたちも続いて入っていく。

 カエソー達が寝かされているのは礼拝堂に接続している別棟の二階の部屋だった。そこへ行くには本堂の裏口から入り、本堂を通って別棟へ移り、そこから階段で上に昇らなければならない。だが、その本堂は礼拝用の椅子が撤去され、臨時の野戦病院と化していた。多数の重軽傷者が横たわり、呻き声をあげており、看護するために無事の、あるいは軽症のサウマンディア兵士がひっきりなしに行き来している。

 ルクレティアはその惨状を見て思わず脚を止めてしまった。


「!!」


「ルクレティア様!?」

奥方様ドミナ?」


 強烈な異臭がルクレティアの鼻を襲う。血の臭い…大小便の臭い…嘔吐物の臭い…ランプや松明の明かりに照らし出されていたものはルクレティアがこれまで見たことも無かった惨状だった。

 たしかに、ルクレティアは神官としてこれまで傷病者に治癒魔法をかける治癒者として活動してきたことはある。一昨日だって負傷兵の治療を行った。だが、それらはいずれも今ルクレティアの目の前の状況ほど悲惨なものではなかった。それはこれまでルクレティアがあまりにも悲惨な物を目の当たりにすることでショックを受けないよう、周囲の者たちがさまざまな配慮をしてきたせいだった。

 たとえば、あまりにもむごたらしい重症者などはルクレティアからは隠され、他の神官たちが担当するなどしていた。一昨日も負傷兵はルクレティアに診せる前に、他の看護兵らが傷口を洗って先に包帯で覆ってしまい、さらに痛み止めのためにポーションを飲ませておくなどして悲惨さ惨たらしさを見せないようにしていたのだ。ルクレティアは真の修羅場を見たことは無かったのである。


 だが、今この場ではそうした配慮は一切なされていない。被弾し傷ついた兵士らは血と泥にまみれ、飲まされたポーションが効いて苦痛が和らぐのを待ちながら苦悶の表情を浮かべ呻き続けている。いや、それどころか戦友数人に抑えつけられながら、熱したナイフで体内に残った銃弾をえぐり出され、くわえさせられた木切れを噛みしめながら絶叫している兵士さえいた。


「ふぐっ!ふぐぉぉぉぉぉっ!!」

「クソっ、そっちもっとしっかり抑えつけろ!」

「灯り!もっとこっち!!暗くて見えん!」

「おいっ!力を抜け!鉛中毒で死にたいか!?」

「痛みで痙攣が止まらなくなっちまってんだ、いいからズバッと切っちまえよ!」

「できるかバカ!」

「チッ、クショッ、まだなのかよ…抑えきれんぞ!?」

「手が足りねぇ、もう一人呼んで来い!さもなきゃ縛っちまえ!!ロープだ!」

「どけよ、さっきからお前が影になってんだ!!見えねぇよ!」


 なに・・・これ・・・!?


 それはルクレティアが初めて目の当たりにする戦場の裏側の現実だった。彼らにしても本来なら暗い中でこんな無理をすることはあまりない。銃弾を摘出するだけなら、翌朝を待って明るい中で手術した方がマシなのだ。だが、それでは間に合わないこともある。まして彼らは、ルクレティアに治癒魔法をかけてもらうことを期待していたので、ルクレティアに診せる前に弾丸を摘出てきしゅつして傷口を洗い、包帯で隠してしまわなければならないと考えていたのだ。

 そうした事情をルクレティアが知るのはずっと後の事になるのだが、実はある意味ルクレティアの存在が却って彼らの苦痛を、そしてこの地獄を現出させていたのである。


「ルクレティア様!…御無礼!ルクレティア様!?」


 弾丸摘出手術という名の拷問を受けている負傷兵の惨状に目を奪われ、立ちすくんでいるルクレティアの肩を掴み、アロイスが呼びかける。ルクレティアはそれでようやく兵士たちから目を逸らすことが出来た。


「えっ!?…あ、はい!?」


「お気を確かに!

 伯爵公子閣下はこちらです!お急ぎください!」


「でっ、でも…あの兵隊たち…」


 長身なアロイスが身をかがめてルクレティアの顔を覗き込むようにしながら、ルクレティアの肩を揺さぶる。


「彼らのことは閣下の後でお願いします!」


「か、彼らも苦しんでるわ…死にそう!!」


「ああやって苦しんでる間は死にません!

 まだ元気があるからああやって苦しんでるんです!

 ですが閣下はもう一刻を争う容体なのです!!」


 身長差があるがゆえに普段は間近に見ることのないアロイスの大きな黒い瞳で間近に見つめられながらそう説得され、ルクレティアは数秒沈黙した。そして、ルクレティアが「わ、わかりました」と小さく言うとアロイスはスッとルクレティアから離れる。「では行きましょう」とアロイスが言おうとした瞬間、ルクレティアは唐突に《地の精霊アース・エレメンタル》を呼び出した。


「《地の精霊》様、お出ましください!」


 ルクレティア様、いったい何を!?…彼女の周囲にいた全員がそう思ったが、その疑問を口に出すことは無かった。ルクレティアの目の前に《地の精霊》が姿を現わし、全員がひざまずかねばならなくなったからである。


『なんぞ用か、娘御むすめごよ?』


 周囲の者たちは一様に跪き、こうべを垂れる中、ルクレティアの眼前に浮かぶ半透明の緑色した小人が念話でルクレティアに問いかける。ルクレティアはその《地の精霊》に向かって頼み込んだ。


「お願いします《地の精霊》様!

 どうか、ここにいる怪我人たちを御救いください!」


 だが、《地の精霊》は無言のままゆっくりと身体ごと回転し、周囲を見回すだけだった。


「で、出来ませんか?」


容易たやすい…が、ワシの役目は其方そなたを守り助けることだけじゃ。』


「そんな…」


 思いもよらぬ拒絶にルクレティアは顔色を失った。

 ルクレティアは知る由もなかったのだが、実は《地の精霊》もストーン・ゴーレムを召喚したり眷属を作ったりと結構な魔力を使ったため、さきほどリュウイチから念話で「目立つことはするなよ?」と釘を刺されたばかりだったのだ。

 だが、ルクレティアは諦めなかった。数秒、《地の精霊》を見つめ無言のまま考えたルクレティアは意を決して再び頼み込む。


「そうであれば、猶更なおさら怪我人を御救い下さらねばなりません。」


『何故じゃ?』


「彼らに治癒魔法をかけ、彼らを救うのは私の役目です。

 ですが、私は他に優先して治癒すべき御方がおられるので彼らを後回しにしなければなりません。それでは間に合わず、彼らを救えないかもしれないのです。

 ですから、私が私の役目を果たせるよう、彼らを代わりに御救い下さり、私が私の役目を仕損じないよう、お助けいただきたいのです。」


 《地の精霊》は回るのをやめ、ルクレティアの方を向いてピタリと止まった。


『なるほど、分かった。

 そうであれば致し方あるまい。』


「あ、ありがとうございます《地の精霊》様!!」


 ルクレティアはパアッと表情を明るくすると礼を言い、そのままの表情で自分たちの周りで跪いている者たちに向かって言った。


「では、参りましょう!!」 

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