第352話 シナリオ

統一歴九十九年五月二日、午後 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 ルクレティアたちの乗った馬車は要塞司令部プリンキピア前に立ち寄り、そこでルキウスたちと挨拶をしたのちに護衛部隊と合流してアルビオンニウムへ向けて旅立って行った。今夜はグナエウス峠の手前の中継基地スタティオで一泊、明日はシュバルツゼーブルグの手前の中継基地スタティオで一泊、そしてアルビオンニウムへは次の日の昼頃に着く予定である。日程としては結構ギリギリだったが、天候の影響を受けにくい陸路であればよほどの事でもない限り間に合わなくなるという事はあるまい。


「しかし、本当に良かったのですか、養父上ちちうえ?」


 まだ護衛部隊は要塞正門ポルタ・プラエトーリアを出ていなかったが、ルクレティアの馬車が見えなくなったところでアルトリウスがこぼすように問いかける。


「何がだ?」


 ルキウスは小さくため息をつくと、養子むすこを無視するように要塞司令部プリンキピアの中へ向かって歩き出した。アルトリウスは未だ要塞正門ポルタ・プラエトーリアの向こうへ行進を続ける護衛部隊を見たままだったが、ルキウスの足音に気付くとさして慌てるでもなく、自身もそちらへ向かい歩き出す。


「無論、ルクレティアの事です。

 アルビオンニウムへ送り出したことも…」


 アルトリウスはリュウイチと同衾どうきんさせた事についてはあえて触れなかった。この場には降臨について知らされていない者も居たからだ。


「ご本人があれだけ強く希望したのだ。致し方あるまい?」


 二人は要塞司令部プリンキピアのだだっ広いエントランス・ホールウェスティーブルムに入ると、その最奥にある皇帝インペラトルの立像に向かって敬礼し、階段を二階へ登り始める。

 要塞司令部プリンキピアの二階の南端に面した部屋はすべて立ち入り制限が敷かれている。窓から南隣の陣営本部プラエトーリウムの様子が見えてしまう可能性があったからだが、公式にはルキウスやその家臣たちが執務を行うためということになっていた。

 ルキウスたちはそのままその一室へ入り、従兵にお茶を淹れるように指示を出すと椅子に腰かけた。アルトリウスも隣り合うように席に着く。


「まだ、他にもあるようだな…そういえば『アルビオンニウムへ送り出したこと』と言っておったか?」


「はい、養父上ちちうえ。ルクレティアを聖女サクラにした件、今は良くとも後々面倒になりませんか?」


「いずれはなることになっておったのだ、早いか遅いかの違いでしかあるまい?」


 ルキウスはアルトリウスの追及に面倒くさそうに答えると、従兵が茶碗ポクルムをテーブルに置くのを待たずに自ら手を伸ばし、直接茶碗を受け取った。

 そして、まだ熱い香茶の入った茶碗を口元に持っていき、その香りを楽しむでもなく、フーッフーッと息を吹きかけて冷まそうとする。


「その早いか遅いかのタイミングが問題なのではありませんか」


 アルトリウスは養父ルキウスの『それ以上言うな』というサインに気付きながらもあえて苦言を呈する。


「ルクレティアを聖女サクラに迎えるというのはリュウイチ様の御意志だ。

 私は御意に沿うよう計らったまでのこと」


「リュウイチ様はルクレティアが十八になったら迎えるとのおぼしだったはずです。

 それを昨夜同衾どうきんしたから今日から聖女サクラだなどと……」


 アルトリウスは事の次第について正確なところは教えられていない。今朝、ルキウスと朝食イェンタークルムを摂っていた時にルキウスから唐突に教えられたのだ。「実は昨日、リュウイチ様がルクレティア様の同衾を御認めになられた」とかなんとか……白々しいにもほどがある。昨夜の夕食ケーナ酒宴コミッサーティオの席上ではリュウイチもルキウスもそんなこと一言も言ってなかったのだ。

 そして今朝、司令部プリンキピアでの会議に出る前にリュウイチの下に表敬訪問サルタティオに行けば、昨夜ルクレティアと同衾したという。


 昨日認めて翌朝「同衾した」では、具体的に同衾することを前提にしていたということだ。

 リュウイチはあれだけ周囲が進めてもルクレティアには手を出さず、ルクレティアをいずれは聖女にという約束だって周囲の圧力で渋々受け入れたようなものだったのだ。リュウイチがルクレティアを憎からず思っていたのは確かだが、手を出したくないというのも本気の意思だった。リュウイチは単に消極的だったのではなく、積極的に手を出さないようにしていた……それがアルトリウスの認識である。それが何もなしに急に変わるなどあり得ない。


 昨日、いや先月二十九日以降でリュウイチに会った大貴族パトリキはルクレティアとルキウスの二人だけで、ルクレティアは十八になるまで待つ姿勢だったのだから、ルキウスがリュウイチの翻意ほんいに関わっていることは疑いようがなかった。


「フーッ、フーッ、まあ良いではないか。芽出度めでたいことだ」


「芽出度いことで終わればよいのですがね」


 そのうち酸欠にでもなるんじゃないかと心配になるほどの勢いで香茶を吹き続けるルキウスに呆れるように、アルトリウスは自分の茶碗を口元に運ぶ。


「ズズッ…どういうことだ?」


伯爵コメスあたり、どう思われるでしょうね?」


 香茶を一口すすっていぶかしむルキウスに、アルトリウスは香茶の香りを楽しみながら多少意地悪く突き放すように言った。


伯爵コメスは今頃、リュウイチ様の下へ送り込むために目ぼしい女を物色している事でしょう。侯爵夫人マルキオニッサだって……

 こちらもそれを見越してウァレリウス・カストゥスマルクスにはリュキスカ様とも謁見させました。更に彼を通じてリュウイチ様が十八に満たぬ女に手を出さぬ決意であると伝えてもあります」


「ふぅーーっ」


 ルキウスは大きくため息をついて茶碗を膝に抱えるように降ろすと、背もたれに上体を預けて視線を遠くへ向けた。


「伯爵は困っておられるでしょうな。

 大貴族の娘でリュキスカ様の容姿に似たヒトの女性などなかなか見つかりますまい。しかも、十八という年齢で売れ残っている娘など無理難題もいいところです」


 アルトリウスが予想するようにプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵はリュウイチの下へ女を送り込み、あわよくばもらって聖女に仕立てあげようと画策かくさくしている。エルネスティーネだって他のアルトリウシアにいる貴族ノビリタスたちだって、実は水面下でリュウイチの下へ送り込む女を探しているのだ。聖貴族コンセクラトゥムをどれだけ多く抱えるかが国力のバロメーターとなるこの世界ヴァーチャリア領主貴族パトリキなら、自分の勢力下に新たな女聖貴族コンセクラータを増やそうと画策するのは当然のことである。


 だが、もらうためには、やはりリュウイチに気に入られる女でなければならないだろう。リュウイチの好みに合いそうな女を探さねばならない。

 そして身分社会であるレーマ帝国の感覚から言えば、世界で最も尊い存在である降臨者に捧げる以上、下賤げせんの娘など選べるわけもない。当然、貴い人物に捧げる以上は貴い身分の娘でなければならない。


 しかしいざ、リュウイチに気に入られそうな娘を高貴な家の女たちの中から選ぼうとするとかなり難しかった。


 まずその容姿である。おそらくリュウイチにとっての好みのタイプであろうリュキスカは細い体つきをしている。ただ痩せているというだけではなく、全体に筋肉がしっかりついて締まっている感じだ。踊り子サルタトルなので全身が鍛えられているのである。そして胸が大きい。

 貴族の娘でそのような条件を満たす容姿の持ち主は滅多にいない。身体を鍛えるという習慣を持っている女など居ないからだ。大多数はややポチャぐらいの体形が多く、次点で太り気味、次に太りすぎ、最後に細めの体形となる。ガリガリに痩せている女はほぼいないが、筋肉質で痩せている女なんて貴族の中ではまず見ない。まして痩せているのに胸が大きいというのは矛盾しすぎていて、まず見つけ出すことは出来ないだろう。


 そして最大の障害となるのが年齢である。

 貴族の結婚は基本的に政略結婚だ。家格や実力を見越して娘を嫁入りさせて、家同士を結び付け勢力を伸ばす。本人の意思などは関係ない。たいていの場合、家格の大きい大貴族ほど子供が幼いうちから婚約が結ばれており、結婚当事者のうち若い方が成人に達すると同時に結婚する。だから貴族の娘であれば、だいたい成人となる十六歳で嫁入りするのが当たり前であり、十八になるまで婚約相手すら決まっていないという事は滅多にないのだ。

 だが、十八に満たない女には決して手は出さぬと言われては、十五、六の娘を送り込むわけにもいかない。貴族の娘を手を出されないと分かっていながら送り込み、結婚適齢期を無駄にさせるわけにはいかないのだ。

 つまり、十八に満たない娘を拒否した時点で、貴族の娘を拒絶されてしまったようなものだったのである。


 それなのに「十八に満たぬ女には」と条件を出され、その舌の根も乾かぬうちに齢十六に満たぬルクレティアにとなれば、女探しに頭を悩ませていた貴族たちはどう思うだろうか?


「伯爵には報告した。……問題には……なるまい」


 ルキウスは少し冷まし過ぎてしまった香茶をグビッと飲み込んでから言った。


「どのようにですか?

 もし、口裏を合わせておかねばならないことがあるなら、今のうちにお伺いしましょうか」


 ふんぞり返るように背もたれに上体を預け、拗ねるように胸元に持った茶碗の口を指で撫でまわしはじめたルキウスに対するアルトリウスの追及は少しばかり容赦がない。


「ああ……リュキスカ様の都合が悪く、仕方なくルクレティア様がリュウイチ様のベッドを温めていた……そんなところだ」


 ルキウスはそう言うと茶碗に残っていた香茶を一気に飲み干す。


「なるほど、というわけですか。

 ご本人たちの方の口裏合わせは?」


「無論してある……そう言うことにしていただくよう、お願い申し上げた」

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