ハン支援軍蠢動

第353話 相乗り客

統一歴九十九年五月二日、午後 - セーヘイム/アルトリウシア



 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムテルティウス・ウルピウス・ウェントゥスはマニウス要塞司令部プリンキピア・カストルム・マニでの会議を終え、ルキウスからサウマンディア伯爵宛の手紙を受け取るとそのまま馬車でセーヘイムへ直行した。そこには彼を彼の従者たちと共にサウマンディアへ運ぶ船が用意されているはずであり、彼はそれに乗って海路サウマンディアへ赴かねばならない。

 ルクレティアがリュウイチと同衾どうきんを果たして正式に聖女サクラになったという報告と、それにまつわるあれやこれやで少々予定より遅くなったが、セーヘイムでは彼を乗せるためにサムエルと『ナグルファル』号が乗組員たちと共に待っていてくれていた。


「昼前には出る予定だったのに申し訳ありません、サムエル殿」


 挨拶を終えたテルティウスは従者たちが荷物を『ナグルファル』号へ積み込む間にサムエルに今日の遅刻を詫びた。


「いえ、気にせんでください。

 どうせ早朝に出港しない時点で、どこかで一泊せにゃならんのですから。」


 サムエルは愛想よく笑いながら言った。セーヘイムからサウマンディウムまではほぼ丸一日の行程である。今ぐらいの季節なら日の出とともに貨物船クナールでセーヘイムから出港したとして、サウマンディウムへ入港するのは日没ぐらいだ。『ナグルファル』号は高速が自慢の軍船ロングシップなので、多少遅くなっても挨拶が「おはよう」の内にセーヘイムを出港すれば日没までには入港できる可能性はあるが、流石に昼を過ぎてからでは難しい。別に入港自体は日没後でも構わないのだが、日が傾いて薄暗くなってからアルビオン海峡を渡るのは自殺行為であるため、日没までにサウマンディウムへ入港できそうになければ海峡の手前で一泊するしかないのだ。

 午前中に出港できていればアルビオンニウムまで行って一泊、昼頃の出港ならアルビオンニウムの手前の《海賊洞窟スペルンケム・ピラータ》で一泊するのが通常である。だが、今日はそれよりもさらに出港が遅れてしまっているため、アルトリウシア湾入り口のトゥーレスタッドで一泊せざるを得ない。


「しかし『ナグルファル』号を御用意いただけるとは思いませんでした。」


 テルティウスが感動したように言うとサムエルは意外そうに尋ねる。


「あれ、初めてでしたか?」


 『ナグルファル』号はセーヘイムの船では最大の威容を誇る軍船である。健在であれば『バランベル』号の方が二回り以上大きいが、あれはそもそも大きすぎて実用性が無いうえ、既に航行不能の状態でエッケ島の砂浜に引き上げられている。おそらくもう二度と海に浮かぶことは無いだろう。

 とまれ、セーヘイム最大の軍船を、公式の使者とはいえわずかな供回りを連れているだけのテルティウスのために、わざわざ動かしてもらえるのは格別な待遇と言って良い。


「ええ、これまではどうも縁がありませんでね。『グリームニル』号か『スノッリ』号のどちらかでした。」


「ああ~、それはどうも…」


 照れくさそうにはにかみながらテルティウスが言うと、サムエルは申し訳なさそうにボリボリ頭を掻きはじめた。


「どうかしたのですか?」


「実はもしかしたら…いや、多分…確実か…どうも要らん客を便乗させにゃならんようなのです。」


「要らん客?」


 怪訝な表情を浮かべるテルティウスの疑問にサムエルは頭を掻くのをやめ、ジッとテルティウスの顔を見つめ返す。


イェルナクです。」


「イェルナク!?」


 わずかに引きつり笑いを浮かべながらサムエルの言った名前にテルティウスはあからさまに渋面を作った。


あの野郎イェルナクがサウマンディウムへ行く船を用意してくれって言ってきて、それを領主様たちが断ったのはご存じですよね?」


「え、ええ…」


キュッテルアロイス閣下がどうも『トゥーレスタッドで交易船にでも便乗を頼むか手紙でも託せばいい』っておっしゃったらしくて、あの野郎イェルナクそれをそのまま実行しているらしいんです。」


「イェルナクがトゥーレスタッドに居るんですか!?」


 テルティウスは呆れ顔を作った。

 無理もない。交易船なんてだいたいどれも荷物を満載している。特にアルトリウシア湾は水深が極端に浅いため、この世界ヴァーチャリアでの海上貿易に使われるような大型船は入ってこれない。このため、比較的小型で喫水の浅い貨物船クナールが交易に使われているのだが、船は小さくなればなるほど船員一人当たりの積載貨物量が少なくなる。つまり輸送量あたりの人件費が高くなるため、アルトリウシア湾に入ってくる貨物船はいずれも荷物を満載する傾向にあった。わずかでも空きスペースがあれば、他人の荷物を預かってでも船賃を稼ごうとするのである。

 事前に予約があるなら、あるいは一人二人程度ならまだ途中から便乗を頼むことも出来るだろうが、従者を引き連れて自分たち用の荷物も持って、航行中の交易船に便乗をお願いしたところで引き受けてもらえるわけがない。要はアロイスの「便乗させてもらえ」というのは「あきらめろ」と言っているのと同じなのだ。

 にもかかわらず、あえてトゥーレスタッドで便乗させてくれる交易船を探すなど、嫌味な嫌がらせのようなものである。そして、それは実際に嫌がらせ以外の何物でもなかった。


「それも便乗させてくれる交易船を探すフリをして、どうもあることないこと吹聴しているらしいのです。」


「あることないこと?」


 サムエルは一度周囲を見回してから眉をひそめるテルティウスの耳元に口を寄せ囁いた。


「降臨と、例のアルビオンニア侯爵家謀反の話です。」


「!?」


 テルティウスは貸していた耳をひっこめ目を向いてサムエルを見ると、サムエルは無言のまま頷いて声の調子を元に戻してつづける。


「どうも昨夜あたりから始めとるようで…今朝あたりから報告が上がって来とります。」


 イェルナクはトゥーレスタッドを訪れ、交易船を見つけては声をかけてサウマンディウムへ便乗させるように頼み、そのついでにアルトリウシアは降臨者を匿っている、アルビオンニア侯爵家はレーマ帝国に謀反を企てていると陰謀論を吹聴していた。

 しかも供回りを二十人ちかく引き連れており、セーヘイムから出港してきた船ばかりではなく、セーヘイムへこれから入港しようという船にまで同じことをしているのだから、便乗させてくれる船を探すのは単なる名目に過ぎず、実際には陰謀論を吹聴したいだけなのは明白である。二十人も便乗させることが出来る交易船などあるわけがないのだ。船に乗る意思が無いのは疑いようがない。


「そのことを、侯爵夫人マルキオニッサやヘルマンニ卿は!?」


親父ヘルマンニはもちろん知っとります。

 午前中にティトゥス要塞カストルム・ティティへ参内しに行ったので、たぶん今日の昼頃、侯爵夫人には報告しとるはずです。」


「それで、侯爵夫人は何と!?」


 サムエルは首を横に振った。


「まだ親父がティトゥス要塞から帰ってきておらんので何とも…

 ただ、親父からはティトゥス要塞に行く前に『いっそサウマンディウムへ連れてってしまえ』って言われとります。」


「ひょっとして…それで『ナグルファル』号ですか?」


 サムエルは今度は縦に首を振った。

 領主貴族パトリキが一度正式にダメだと言った以上は彼らのために船を用意してやることは出来ない。だが、便乗できる船が見つかったら便乗させてもらえばよいとは言ってあったし、ちょうどアルトリウシアからサウマンディウムへ使者を送るために船を用意しなければならなかった。だったら、あくまでも偶々たまたまサウマンディウム行きの船があるから便乗させてやるというていで船を提供し、とっととトゥーレスタッドから追い払ってしまおうというわけであった。


「そういうわけで、道中いささか不快な思いをさせるとは思いますが…」


 心底申し訳なさそうなサムエルに対し、テルティウスはため息を押し殺しつつ答えた。


「いや、そういうことでしたら致し方ありません。

 気は進みませんが、私も協力させていただきます。」

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