第354話 ダイアウルフ・アラート

統一歴九十九年五月二日、午後 - アイゼンファウスト/アルトリウシア



 セヴェリ川北岸のアイゼンファウスト地区のほぼ西端にほど近い小高い土手に建設予定のブルグスは周辺の草をとっくに刈り終わり、測量と縄張りも終えて土を掘ったり盛ったりして堡塁を少しずつ形作りつつある。さすがに軍団兵レギオナリウスは野戦築城に慣れているだけあって、少人数ながらも作業は早かった。それに対してアイゼンファウストが住民たちを動員して行っている河川敷の除草作業の方は遅々として進んでいない。


 ファンニがダイアウルフを連れて遠吠えをさせるようになってから徐々に作業員は戻りつつあったし、野焼きという新しい方法もあって作業ペース自体は早いのだが、ここ数日天候に恵まれなかったのだ。雨が降ればある程度草が乾くまで野焼きは行えないし、アルトリウシアはただでさえ雨が多く晴れ間が少ない。やっと雨がやんだと思っても陽が射すわけではないので草はなかなか乾いてくれないし、草がそろそろ乾いてきたかと思う頃にはまた雨が降る。

 野焼きばかりではない。やはり濡れた草というのは刈りづらいのだ。濡れた草は刃や手にまとわりつくし、また濡れて湿った草は乾いた草に比べ刈り取った後で取り除く手間もかかる。やたらとまといついたり引っかかったりするし、重たいしで扱いにくい。


 冷たい雨に濡れながら、濡れた草を刈っては運び出すという慣れない作業に苦しむ避難民たちの、せめて邪魔にならないようにとファンニはダイアウルフたちと人目のつかない場所で時間をつぶす。ダイアウルフを連れている以上、下手に人のいるところに行くと怖がらせてしまうので何一つ手伝うことが出来ないからだ。


「ファンニちゃんはダイアウルフを連れてるだけでも役に立ってくれてるから、気にしなくていいんだよ。」


 自分だけが遊んでいるようで後ろめたいモノを感じていたファンニに、テオは笑いながらそう言ってくれた。おかげで少し気は楽になってはいる。


 テオさんにはお世話になってるし、沼ネズミミヨカスタの毛皮で何か御礼でもした方がいいかな?


 ダイアウルフたちが空いてる時間に勝手に狩ってきてくれる沼ネズミマイヨカストルの毛皮はここ数日でファンニに思わぬ副収入をもたらしてくれている。沼ネズミは農作物を荒らす害獣でもあるので、狩るだけでも近隣住民たちに喜ばれるし、ダイアウルフたちのオヤツにもなるしで良いことずくめだ。


「さ、そろそろ始めよっか」


 ファンニがダイアウルフたちに言うと二頭のダイアウルフは何をすべきかすっかり憶えてしまったのか、尻尾を揺らしながらファンニの前でお座りをする。


「いくわよ?

 せーのっ…あうーーーーーっ」


 ファンニが遠吠えの声真似をすると、二頭はお座りしたまま尻尾を振る。グートの方が「そうじゃねぇよ、お手本見せてやりな」とでも言いたげにフッタの方を見ると、フッタは「任せろ、こうだぜ」と一瞬鼻先を地面に向けてから空に向かって遠吠えを始める


アオォ~~~~~~~~ン


 近くで聞くと耳を塞ぎたくなるほどの結構な吠え声である。実際、ファンニは耳に両手を当ててニカニカと笑みを見せて身をよじる。


「はーい、いい子ねフッタ!いい子、いい子。」


 ファンニは満足そうに大きなフッタの顔に抱きつき頭を撫でると、グートがやきもちでも焼くかのように横からファンニの首筋に鼻を寄せてフンフンと臭いを嗅ぎ、その頬を巨大な舌でベロンと舐めあげた。


「やだ、やきもち焼いてるの!?

 グート、くすぐったいってば!」


 ファンニが笑いながらグートの鼻っ面を手で押しのけたその時だった。


ォアオオオォ~~~~~ン


「「「!?」」」


 ファンニと二頭のダイアウルフは一斉に南へ顔を向ける。それは確かにダイアウルフの遠吠えだった。ダイアウルフたちは腰を上げ、身体ごとセヴェリ川の向こう側に顔を向けるが、それ以来遠吠えは聞こえない。一頭きりの一回きりの遠吠えのようだ。


「ファッ、ファンニちゃーん!!」


 ガサガサと音がして遠くの茂みの中からラウリの子分の一人が飛び出してきた。


「こ、子分さん!今、遠吠えが!!」


 ファンニは駆け寄ってくるラウリの子分に大声で報告する。


「今の、今の川向うからか!?

 そいつらの遠吠えじゃないな!?」


「違います!川の向こうから聞こえました!!」


 ファンニの護衛役を務めるラウリの子分は、しかし不用意に近づくとダイアウルフを怒らせてしまうのでだいぶ距離を開けたところで立ち止まる。そして川の向こう岸を見ながらファンニに確認を取る。


「一回か!?一匹だけか!?」


「聞こえたのは一回です!一頭だけみたいです!!」


「念のためだ、もう一回!もう一回遠吠えさせてみてくれ!!」


 ラウリの子分はジッと対岸を睨みながらファンニに指示を出した。


「わ、わかりました。」


 ファンニはダイアウルフの方を振り返る。ダイアウルフたちはセヴェリ川の向こうの様子をジッと伺ったまま、わずかに尻尾を揺らしている。


 ひょっとして仲間だったのかしら?

 だとしたら、もしかしたら仲間の方へ逃げちゃうかも…


 一瞬そんな心配をしたが、これは仕事だと思いなおし、しかし不安を拭いきることも出来ず、オズオズとグートの左肩に手を添える。


「グ、グート?」


 グートはピクピクっと何度か左耳を動かしてからファンニの方を振り返った。そして大きな鼻面をファンニに近づけ、ファンニの体臭に不安の臭いを嗅ぎ取ると元気づけるように尻尾を大きく揺らしながら顔をベロベロと舐めだした。


「あ、うん、ありがと、も、もういい、もういいよグート」


 それに気づいたフッタの方もファンニに近づいてファンニの顔をベロベロ舐めだす。


「やっ、フッタもっ、もういいから、ね、もういいの!」


 ファンニの様子が元に戻って安心した二頭はファンニの前にお座りしてファンニを見下ろす。


「ね、お願い、もう一回、もう一回遠吠えして?

 せーのっ、あうーーーーーっ」


 今度はグートの方が遠吠えして見せた。


アオォ~~~~~~~~ン


 一マイル(約一・九キロ)先まで余裕で聞こえるダイアウルフの遠吠えは間近で聞くと耳を塞いでいても結構うるさい。

 グートの遠吠えが終わるとファンニは耳を押さえていた手を放し、そのまま両手でグートの顔を撫でまわす。


「グート!いい子、いい子!」


 せっかく自慢の遠吠えを聞かせているのに耳を塞がれるのは気になるが、褒められると素直に嬉しいダイアウルフはファンニの愛撫に鼻を鳴らしながら尻尾を振った。

 ひとしきりダイアウルフを誉めてやったファンニは川向うへ注意を向けるが反応はまるでない。ダイアウルフたちも一緒に川向うへ注意を向けるが、やはり何も聞こえてなさそうだ。

 ファンニは今度はラウリの手下の方を見るが、そっちも何も聞こえないし何も見つけられない様子で、自分の方を見ているファンニに気付くと渋面を作って首を振って見せた。


 アオォ~~~~~~~~ン

 アオオォ~~~~~~~~ン


 するとファンニの背後で唐突に二頭のダイアウルフが勝手に遠吠えを始めた。ファンニは思わず首をすくめ慌てて耳を押さえ、ダイアウルフたちを振り返る。


「もうっ!ビックリするじゃない!!」


 最初は驚き圧倒されていたファンニだったが、ハッと我に返るとダイアウルフたちを叱った。

 ダイアウルフたちはお座りしたままだったが、ファンニの方を首だけで振り返って怒るファンニを宥めようと顔を舐め始める。


「もういいってば!もういきなり遠吠えしないで!びっくりしちゃうでしょ!?」


 その時、また川向うからダイアウルフの遠吠えが響いてくる。


 ォ、ォ、オオオオォ~~~~ン


「「「!?」」」


 サッと二頭のダイアウルフが立ち上がり、川向うに視線を送る。

 ファンニも川向うを見渡し、ラウリの手下の方を見た。ラウリの手下も顔を青ざめさせながら川向うへ視線を送っている。


「お、おじさん!!」


「ああ、ああ、聞こえた!今度は確かに聞こえた!!」


 ラウリの手下がファンニに返事する。その直後、再び二頭が遠吠えを始めた。


アオォ~~~~~~~~ン

アオオォ~~~~~~~~ン


 ファンニが驚き、耳を押さえながら振り返ると、ダイアウルフたちは立ち上がったまま二頭そろって遠吠えをしていた。そして二頭とも尻尾を揺らしている。


アオオオオオォ~~~~~ン


 今度はたいして間を置かずに、そして先ほどよりも大きくハッキリとした遠吠えが返ってきた。ダイアウルフたちの尻尾の振れが大きくなる。


 ダメ、この子たち、仲間のところへ行っちゃう!?


 ファンニは慌ててグートの首にしがみ付く。


「駄目、駄目よグート!行っちゃダメ!!

 フッタも行かないで!!」


 恐怖と不安で半べそ状態になりながらファンニが必死に訴えかけると、ダイアウルフたちは最初驚き、そのうち二頭そろってファンニの臭いを嗅ぎ顔をベロベロと舐め始める。


「ファンニちゃん!もういい!!

 あっちにダイアウルフが居るのは間違いない!

 これ以上は危険だ、こっちへ逃げてくるんだ!!

 一緒に避難しよう!!」


 ラウリの手下がそう呼びかけると、ファンニは「ハイッ!」と大きく返事をし、いつの間にか溢れそうになっていた涙を拭ってダイアウルフたちに「行くよ」と呼びかける。そしてファンニを乗せるためにその場に伏せたグートの背中によじ登りると、フッタを伴って急いでその場を後にする。

 ラウリの手下と合流し、一緒に繁みを抜けてアイゼンファウストの街道まで出た時、周囲は既にパニック状態になっていた。

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