第355話 不意の遠吠え
統一歴九十九年五月二日、午後 - アルトリウシア平野/アルトリウシア
アオォ~~~~~~~~ン
「!?」
アイゼンファウストの方向から遠吠えが響き渡る。ドナートは一瞬我が耳を疑い、後ろを振り返った。アイゼンファウストにほど近いセヴェリ川南岸に設けた前進拠点にはドナートを含めた四名の騎兵と五頭のダイアウルフが到着したばかりであり、ちょうど荷物を解いているところだった。他の騎兵たちは慌てて自分のダイアウルフに静かにするように指示を出し、ドナートも右手で拳を作って突き出した。「静かに」の合図である。
ダイアウルフたちは聞こえてきた遠吠えに応えようと遠吠えの態勢に入ろうとしていたが、ゴブリン達が慌てて静かにさせようと合図を出してきたのを見て思いとどまる。
オオオ…オオン
遠吠えさせろと静かに声を漏らしながら訴えかけてくるダイアウルフもいたが、ドナートは繰り返し右拳を見せてそのダイアウルフを睨む。かろうじて、ダイアウルフの遠吠えを防ぐことができた…わけではなかった。
ォォォアオオオォ~~~~~ン
ドナートの指示には気づいてはいたが命令に納得しきれない一頭のダイアウルフがためらいがちにだが盛大な遠吠えをしてしまう。
「あっ、バカ!」
「やっちまった!!」
ゴブリンもダイアウルフも一斉にその遠吠えしてしまったダイアウルフを見ると、そのダイアウルフは「え、何だよ、しょうがないじゃん」とでも言いたげな顔で、ドナートたちの方を見ながら、地面の臭いでもかぐかのように頭を下げた。
そのダイアウルフに騎手は居ない。最低限の指示は躾けてあるが、騎手を乗せて騎兵として戦力化されているダイアウルフと違ってゴブリンとの意思の疎通はあまり得意ではなかった。命令よりも本能の方に従いたかがる傾向が強い。
アオォ~~~~~~~~ン
再び遠吠えが聞こえてきたが、今度はどのダイアウルフも応答しなかった。ダイアウルフたちは全頭がドナートの方を向いて遠吠えを返したそうに「駄目なの?」と視線で訊いてくる。ドナートはジッと右拳を突き出したまま睨み返す。
「隊長、もうバレちまってんじゃないか?」
副隊長のディンクルが恐る恐る問いかけてくる。
「なんだ、何が言いたい?」
「アイツはもう遠吠えを返しちまった。多分もう聞かれてるぜ?」
「だろうな」
「向こうはもう一回遠吠えしてきた。
こっちからもう一回返さなきゃ、ダイアウルフだけじゃなくて俺たちも居るってバレちまうんじゃないか?」
ダイアウルフは仲間を呼んだり、あるいは縄張りを主張するために遠吠えをする。それは普通の狼たちと同じ習性だ。そして、遠吠えが聞こえてくれば自然に遠吠えを返してしまう。
ディンクルが言ったように向こうから聞こえてきた遠吠えに、こっちのダイアウルフの一頭が遠吠えを返してしまった。ダイアウルフの遠吠えは一マイル(約一・九キロ)~一マイル半(約ニ・八キロ)先まで聞こえると言われているが、アイゼンファストまで半マイル(約九百二十五メートル)も離れていない。だからアイゼンファウストにいる連中には確実に聞こえているだろう。既にセヴェリ川の南側、アイゼンファウストにほど近いアルトリウシア平野にダイアウルフが潜んでいることはバレてしまっている。そう考えねばならない。
一応、イェルナクの策略によって逃亡したダイアウルフがアルトリウシア平野に潜んでいることになっているから、ダイアウルフの存在に気付かれたとしてもそれが即座に
そしてアイゼンファウストの方から二回目の遠吠えが聞こえてきた。
逃亡したダイアウルフだけがこの場にいたなら、二回目の遠吠えにも当然遠吠えを返すだろう。しかし、遠吠えを返さなかったらどうだろうか?一度は返事をしておきながら二度目の遠吠えには遠吠えを返さないのはダイアウルフとしては不自然なことではないか?…つまり、アルトリウシア平野に潜んでいるダイアウルフを黙らせる何者かが存在することを、アイゼンファウストにいる連中に想像させてしまうのではないか?
ディンクルが言いたいのはそういうことだった。
「それも、そうだな…」
ドナートがそう言った時、再びアイゼンファウストの方から遠吠えが聞こえてくる。
アオォ~~~~~~~~ン
アオオォ~~~~~~~~ン
どうやら遠吠えをしているのは二頭いるようだ。
ドナートは全員に「静かに」という指示を念押しで出し、最後に騎手のいないダイアウルフに「ヨシ」の指示を出した。空気を呼んでためらうダイアウルフに、ドナートは裏返しにした拳から人差し指を伸ばし、上にチョイチョイと跳ね上げるようにサインを出して「やれ」と命じる。
オ、オ、オオオオォ~~~~ン
騎手無しのダイアウルフがオズオズと遠吠えを返すと、再びアイゼンファウストから遠吠えが聞こえてきた。
アオォ~~~~~~~~ン
アオオォ~~~~~~~~ン
アオオオオオォ~~~~~ン
他のダイアウルフたちも遠吠えしたくてたまらないようで、ドナートの方を見ながらクゥ~ンクゥ~ンと鼻を鳴らすが、ドナートは「シッ」とキツめの調子で右拳を突き出し黙らせる。
アイゼンファウストからの遠吠えはそれきりだった。ドナートたちはしばらく息を殺して様子を伺ったが、それ以降は何も聞こえてこない。ダイアウルフたちも遠吠えを返すタイミングを逸したと感じているようで、恨みがましい視線をドナートに送りながら拗ねたように地面に臥せってしまう。
「あれが、そうなのかディンクル?」
「あ、ああ、アレがそうだ、隊長。」
もう大丈夫そうだと判断したドナートがディンクルに尋ねる。六日前、アルトリウシア偵察のためにここへ向かっていたディンクルたちは、アイゼンファウストから突然聞こえてきた遠吠えにダイアウルフたちが反応してしまい、急遽撤収を余儀なくされた。それのせいで、彼らは一度アルトリウシア偵察の任務を一度解かれ、エッケ島への撤退と偵察作戦の凍結が決定されてしまっていた。
その原因となったアイゼンファウストから聞こえてきた遠吠え、それは犬か狼によるものと思われていた。ダイアウルフを飼いならせるのはハン族だけであり、レーマ人にダイアウルフを扱えるわけがないからだ。しかし、ドナートはその認識を改めねばならないようだ。
「アレは犬や狼の遠吠えじゃないぞ、間違いなくダイアウルフのだ。」
「だ、だけど、そんなハズは…」
「お前だって分かるだろ!?
犬や狼にあの遠吠えは無理だ!違うか!?」
ダイアウルフの体格はどんな大型犬や狼よりも圧倒的に大きい。当然、それは吠え声にも影響する。胸郭の大きさが絶対的な声量と太く力づよい声色を作り出す。一度でも聞いたことがある者なら決して聞き間違えたりしない。
「う、う~ん」
ディンクルは困り顔で隣にいる他のゴブリン騎兵と顔を見合わせる。
ダイアウルフは強く、美しく、そして誇り高い獣だ。簡単に飼いならせる獣ではない。そのダイアウルフを扱えるのはハン族だけであり、更に騎乗できるのはそのハン族の中でも一部の選ばれたエリートだけだ。そしてそれこそがハン族にとっての誇りのよりどころでもある。
ディンクルたちは信じたくないのだ。そのダイアウルフがハン族の手を離れ、アルトリウシアでレーマ人に飼われているという可能性など、あってはならないと考えているのだった。
「ディンクル!お前らも!!」
ドナートは語気を強めて呼びかけると、騎兵たちは困り顔で俯き、上目遣いでドナートの方を見た。叱られる子供そのまんまといった感じである。
「いいか、理由は分からないがアルトリウシアにはダイアウルフが居る。
これは間違いない!」
「け、けどよぉ隊長…」
「なあ?」
「たしかにヤツらにダイアウルフを扱えるとは俺も思わん!
だが、居るのは事実だ。実際に居る!間違いなく!
もしかしたら、向こうにハン族の捕虜がいるのかもしれない。
それでダイアウルフも向こうに残っているのかも…。」
そこまで言うとディンクルやゴブリン騎兵たちは互いの顔を見合わせた。
捕虜か…なるほど、その可能性はあるのか…と、何となく納得した様子だ。ドナートはつづけた。
「ともかく!それも含めて偵察する。
だが、ダイアウルフを
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