第397話 決意…ヴァナディーズ暗殺

統一歴九十九年五月五日、午後 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム



「ホントにやるのか、ティフ?」


 その言葉が不安そうに震えて聞こえるのは、声が吹きすさぶ風に流されそうになっているせいではない。


「やるさ、当然だろ?」


「考え直せ。

 相手は女で、しかもムセイオンの学士だ。

 仮にやるとしても、今日無理にやる必要ないはずだ。」


 アルビオンニウムの南東、土砂と火山灰に埋もれた市街地全域を見下ろせる山腹から地形を確認するティフ・ブルーボールにデファーグ・エッジロードが話しかける。

 彼らは馬に跨り、手下にした盗賊たちから教わった道を通ってルクレティアたちよりもずっと早くアルビオンニウムへ到着し、下見をしていたのだ。


怖気おじけづいたのか、デファーグ?」


 馬に乗ったままアルビオンニウムを見下ろすティフは視線を動かすことなく平然と…いや、むしろ嘲笑するように言った。その態度にデファーグも苛立ちを覚えつつも、感情を抑えながら再考を促す。


「今日、アンタの予想通りあのホブゴブリンの軍勢三百とヒトの軍勢二百が合流する。辺境の軍隊とはいえ正規軍で、おまけにホブゴブリンはアヴァロンニアの末裔だ。

 盗賊たちをぶつけたところで勝てないのは当然として、相当な犠牲が出るぞ?

 俺たちはもうたくさん人を死なせてるんだ。

 こうまで急ぐ必要があるのか?」


「いくら死んだところで所詮はモブのNPCだ。

 気にするな。」


 ハンッと鼻を鳴らし、ティフが吐き捨てるように言った。それを聞いてデファーグはティフに馬を寄せる。


「そういう言い方はよせ!

 ママが悲しむ!」


 ティフはようやくデファーグの方を振り返った。


「俺の母親は一人だけだ。七十年前に死んだ。

 あの人には世話になったし…感謝もしている。尊敬もな。

 だけど、あの人は母親じゃない。」


「まだそんなことを!?」


 呆れたように言うデファーグに対し、バカにされたような気分になったティフは猜疑さいぎに満ちた視線を向ける。


「お前はどうなんだ!?

 父さんに逢いたくて俺たちに付いて来たんじゃなかったのか!?」


「そ、それはそうだけど…こんなに人を死なせるなんて思わなかった。

 死なせるにしても、盗賊とか…悪い奴だけだと思ってたんだ。

 なのに…なのにこれじゃ…

 こんなんじゃ降臨術が成功しても…父さんに会わせる顔が無いよ…」


 デファーグはそう言うと顔を両手で覆って俯いてしまった。

 ティフは仲間や盗賊たちには堅く口止めしていたが、デファーグはブルグトアドルフの被害についてどこかからか聞いてしまいショックを受けていた。


 デファーグはやさしく真面目な性格で、正義感の強い人間だった。ゲイマーガメルの血を引く子供であるにも拘らず、ティフの様にこの世界ヴァーチャリアの人間をモブだのNPCだのとさげすんだりすることも無い。

 デファーグはアルビオンニアに来て以来、彼らの先頭に立って戦ってきたが、それは敵を殺すためではなく、なるべく誰も殺さないためだった。『勇者団ブレーブス』のメンバーにはティフのように、自分たち以外の人間を殺すことに何のためらいも感じない人間もいたし、彼らが戦えばそれだけ多数の死者が出ていただろう。だが剣技で右に出る者の無いデファーグが自分が戦うと言えば異を唱える者はいなかったし、デファーグの実力なら誰が相手でも殺さずに無力化するくらいわけはない。実際、彼は盗賊数人しか殺していない。


 ティフもデファーグのそんな人柄はよく承知していた。お互いヨチヨチ歩きしていた頃からの付き合いである。デファーグの真面目な性格上、変に殺しをさせすぎれば離反しかねないと恐れ、中継基地スタティオ襲撃にも参加させていなかったし、作戦の実態についても故意に説明していなかった。作戦について話す際はわざとボカした概要だけを話し、詳細については…特にどういう被害が出るかについては隠していたのだ。

 昨夜の宿駅マンシオー襲撃で同行させたのは、実は戦力として期待していたわけではなく、暇になった彼を野放しにするとブルグトアドルフや第三中継基地スタティオ・テルティアでの作戦に彼が勝手に介入し、却って作戦がおかしなことになってしまうのではないかという不安があったからだった。実際、デファーグは過去にティフが殺すよう指示した盗賊をわざと逃がしてしまった事がある。

 そしてデファーグにしても、昨夜ルクレティアを殺すか、祭祀が出来ない程度に重傷を負わせるという作戦目的を聞いた時には真っ先に反対していた。その後、ティフにいいように説得され、なら自分が真っ先に見つけて殺さないように重傷を負わせ、死者を出さないまま作戦目的を達成しようと心に決めて参加していたのだ。

 そのデファーグが人口わずか百数十人の集落で百人を超える死傷者を出したと聞き、平静でいられるわけがない。


「デファーグ、昨日出た犠牲者は俺にとっても計算外で…残念だった。

 盗賊たちが町の住民をあんなに巻き込むなんて思わなかったんだ。

 最初に約束したように、なるべく殺さないし、殺すとしても最小限…その方針は今も変えていない。

 さっき、NPCって言ったのは悪かった。反省するよ。

 彼らにしたって、降臨術が成功した暁にはちゃんと償いもするさ。」


 ティフは今回大量に犠牲者を出してしまったことを、盗賊たちの暴走が原因ということにしてデファーグには説明していた。さすがに今ここでデファーグに離れられるのは不味い。もしこのままムセイオンに帰られて、降臨術が成功する前に自分たちの活動が露見したら降臨術どころではなくなってしまう。彼らハーフエルフが本気になれば、ムセイオンまで半月とかからずに帰れてしまうのだ。かといって、デファーグを殺したり拘束したりなんて出来るわけもない。何とか、仲間としてとどまってもらうほかない。


「ヴァナディーズは、見逃してやれないのか?」


「アイツは俺たちを裏切った。

 軍に情報を漏らし、あの神殿を軍隊で守らせてしまった。

 その償いはしてもらわなきゃいけない。」


「だからって、今日やれば犠牲がたくさん出るぞ。

 盗賊たちだけじゃない、あの兵隊たちだって…

 別の日にしよう?

 昨日、アンタもいつでもれるって言ってたじゃないか!?」


 食い下がるデファーグにティフはため息をつきながら首を横に振った。


「駄目だ。もう事情が変わった。」


「何が!?どう変わったって言うんだ!?」


「昨日の沼を見ただろう!?

 アレは明らかに魔術によるものだ!」


「まさか!…いや、確かに変な魔力は感じたけど…」


「今朝、念のために確認させたら沼は無くなってたそうだ。

 元通り、レンガ敷きの空堀になってたらしい。

 モンスターも、一匹も居なかったそうだ。」


「……」


 質の悪い冗談を聞かされたように、デファーグは引きつった笑みを浮かべる。まさか…その気持ちがはっきりと表情に現れていた。


「あの沼は強力な《地の精霊アース・エレメンタル》の仕業に違いない。スパルタカシウス家は代々 《地の精霊アース・エレメンタル》との相性がいい家系だそうだ。だから女神ケレースの神殿なんか営んでるんだろうな。


 ルクレティア・スパルタカシア…正直言って落ちぶれたスパルタカシウス家の末裔だと侮っていたな。本人の魔力が強いという話は聞いていなかったが、どうやら《地の精霊アース・エレメンタル》との親和性がよほど高くて強力な加護を得ているんだろう。

 だとしたら、彼女の本拠地であるアルトリウシアに帰られては余計に手が出せなくなってしまうかもしれない。ヴァナディーズを始末するとしたら、ヴァナディーズがアルトリウシアを離れている今だけだ。それに…」


「まだあるのか?」


「ああ、忘れたのか?

 このアルビオンニウムの北の海を渡れば、すぐにサウマンディウムだ。」


「海の向こうへ逃げるかもしれないって事か?」


「サウマンディアへ渡られたら最後だ。」


「追いかければいいだろう?」


「こっちに海を渡って追いかけるほどの余裕はない。

 船だって用意しなきゃいけないし…その間にどこかへ隠れられたら探しようがなくなる。

 それにヴァナディーズが密告して軍隊が動いたってことは、もう俺たちの事はムセイオンに報告されているだろう。ムセイオンに報告が届いてママがを寄こすまで二か月も無いはずだ。ママなら下手したら報告を受け取ったその日のうちにこっちにスッ飛んで来るぞ!?」


 彼らは自分たちの育ての親が、自分たちが束になってかかっても勝てない強力な魔術師であることをよく知っていた。彼女自身もゲイマーガメルの血を引いていたし、そしてゲイマーガメルと結婚した女性でもある。すべての聖貴族コンセクラトゥムの頂点に立つ彼女の実力はゲイマーガメルそのものと言っても過言ではない。

 その彼女はヴァーチャリア世界で知られている中では唯一、空間を超越することができる存在でもあった。彼らの居場所さえわかれば、文字通り一瞬で飛んで来るだろう。


「つまり、次の満月が最後のチャンスってこと?」


「いや、次の満月は多分、無理だろう。

 降臨を起こすとすれば満月か新月の夜…今日は満月だが今夜はもう準備が間に合いっこない。できれば満月にやりたかったが、次の新月が最初で最後のチャンスだ。

 それまでの準備を考えると、ヴァナディーズを追いかける余裕はない。

 今ヴァナディーズを逃がせば、そのたった一回のチャンスを邪魔されてしまうかもしれない。

 だから今日、ヴァナディーズだけは始末しなきゃいけないんだ。」

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