第301話 ドナートの報告

統一歴九十九年四月二十七日、午前 - エッケ島・ハン支援軍本営/アルトリウシア



「ドナートが?」


 ホブゴブリンの衛兵の報告を受けたディンキジクは眉をひそめた。

 エッケ島にこもハン支援軍アウクシリア・ハンの本営では、族長エラクであるムズクの前に幕僚たちが居並び、今日の朝議 ちょうぎを始めたばかりであった。


「奴はアルトリウシア平野へ渡ったはずではなかったのか?」


「何でも急ぎ御報告したい旨があると、今朝単騎でお戻りになられたよし


 ドナートはディンキジクからの命令を受けた後、命令の実行について工兵隊長と相談したのち、最初にアルトリウシア平野に橋頭保きょうとうほを築きたいと報告してきた。ディンキジクはそれを了承し、モードゥの協力を取り付けて補給体制まで整えてやっている。ドナートは昨日の早朝にはアルトリウシア平野へ部下たちと共に上陸しているはずで、よほどのことでもない限り帰ってくるはずがない。つまり、よほどのことが起こったのだろう。


「わかった。会おう。」


「ディンキジク殿!今は朝議の最中ですぞ!?」


 ディンキジクが中座しようとするのをイェルナクが制止すると、ディンキジクはイェルナクを宥め、玉座に鎮座するムズクに中座する許しをう。


「済まないが緊急を要するのだ。

 偉大なる族長エラクよ、申し訳ありませんがしばしいとまをいただきとう存じます。」


「ディンキジクよ、何事か?」


「は、アルトリウシア平野へ行っておったドナートが、何やら報告しに参ったようです。」


 ディンキジクがムズクへ答えると、イェルナクがいぶかしむ。


「ドナートだと?

 いつぞやの騎兵隊長か!?

 騎兵が何故アルトリウシア平野へ行ったのだ?」


「エッケ島からアルトリウシア平野へ繋がる移動ルートの確認と、アルトリウシア偵察のためだ。」


 アルトリウシア平野とエッケ島を結ぶ浅瀬を歩いて渡れないかどうかを確認したいという話は前々からあったが、騎兵を派遣してアルトリウシアを偵察させるなどという話はイェルナクにとって全くの寝耳に水であった。


「何、アルトリウシア偵察だと!?

 イェルナクは聞いていないぞ!!」


「貴公がセーヘイムへ行っている間に決めたことだ。知らないのは仕方がない。」


 狼狽うろたえるイェルナクにディンキジクは慰めるように答えた。イェルナクは自分が知らない間に重大なことが決められたことが面白くなくて機嫌を悪くしていると考えたからだった。しかし、ディンキジクの予想に反してイェルナクは食い下がる。


「何故、そんなことを!?

 今、アルトリウシアを刺激するようなことがあれば我らの命脈は尽きるのだぞ!」


「貴公が『アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが既に来ている』と報告を寄越したからだ。

 敵情は確認せねばならん。」


「だからと言って!」


「アルトリウシア平野から観察するだけだ。

 セヴェリ川は絶対に渡るなと厳命してある。

 貴公が心配するような、アルトリウシアを刺激してしまうことはない。」


「甘いぞディンキジク!

 あのドナートは《陶片テスタチェウス》で計画にはなかった無要な攻撃をしたのを忘れたか?!」


「静まれイェルナク。」


 見かねたムズクが壇上だんじょうから制止する。


「しかし、閣下!」


「イェルナク、アルトリウシア偵察は余が承認し、命じたものだ。」


「そ、それは・・・!!」


 ムズクの命とあらばイェルナクにこれ以上抗議することはできない。イェルナクは愕然とした表情を浮かべ、口を閉ざした。


「ディンキジクよ、かまわぬ。ドナートをこれへ」


「「閣下!?」」


 さすがにゴブリンを朝議の場に入れるなど前代未聞であった。


「ドナートの任は余が命じたことでもある。

 アルトリウシア偵察を果たした上での急ぎの報告とあらば、よほどの事であろう。

 その報告、我らに益するところ大であるに違いあるまい。」


 かくして、ドナートは思いもかけず生涯三度目となる族長エラクへの謁見を果たすこととなった。


「ドナートよ、おもてを上げよ。」


「ハッ!」


 予想外の事態に緊張を隠せないドナートは、ディンキジクの命令を受け、跪いたままわずかに顔を上げた。


「急ぎ報告したいことがあるそうだな?

 アルトリウシアを偵察した結果であるならば、直に聞きたいとの族長エラク閣下の思し召しである。ゆえにお目見えを許した。

 アルトリウシア偵察の結果をご報告申し上げよ。」


「ハッ!」


 大きなホールの中でディンキジクの声はやけに重々しくドナートの耳に響いた。


「さ、昨日、小官は部下四名と共にアルトリウシア平野を横断、セ、セヴェリ川南岸よりアルトリウシアは、ア、アイゼンファウストの辺りを偵察いたしました。」


 緊張でやや声が上ずり、唾を飲んでも飲み込めない。


「わずか一日で大したものだ。して、アルトリウシアはどうであったか?」


「ハッ!…あ、ありがとうございます。

 アイゼンファウストは一面黒く焼け野原となっておりましたが、瓦礫や遺体はほとんど片づけられておるようでした。」


「ふむ、もうか…あれから半月…うん、早いな。

 して、わざわざ急ぎで報告に参ったのだ、それだけではあるまい。

 何を見た?」


「ハッ、アイゼンファウストの焼け野原で作業しておる者の中に、ヒトの軍団兵レギオナリウスの姿を見ました。」


「ヒトの軍団兵レギオナリウス…イェルナク殿の報告にあったアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアだな?」


「ハッ…一人はアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの高官に間違いがりません。そのほかに、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団兵レギオナリウスが多数。」


「「「何だと!?」」」


 ディンキジクをはじめ、ハン支援軍アウクシリア・ハンの幕僚たちが一斉に驚きの声を上げる。いや、唯一イェルナクだけは違う反応を見せた。ほぞを噛むように両手を握りしめ、黙ってドナートの方を睨みつけている。イェルナクはまだ、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアがアルトリウシアで既に活動していることについて、まだ報告していなかった。


「ま、間違いないのか!?」


 ディンキジクの求める確認にドナートはより詳細に説明を始める。


「ハッ、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニスアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の姿を見ました。子爵公子と共に、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの高官らしき者、そしてもう一人レーマ軍装を身にまとった、おそらく大隊長ピルス・プリオルと思しきヒトの軍団兵レギオナリウスが共に歩いておりました。

 レーマ軍装のヒトの軍団兵レギオナリウスは他にもたくさんいて、いろいろと作業をしておりました。」


「レ、レーマ軍装のヒトの軍団兵レギオナリウス

 となれば、たしかにアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアではあるまい。それだけか?それだけでサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアと判断したのか?

 軍旗などは無かったか!?」


「ハッ、軍旗は見ませんでした。」


「だ、誰か見覚えのある者は確認できたか?」


「ハッ、…その…何分、セヴェリ川ごしで百ピルム(約百八十五メートル)以上は慣れておりましたので、アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子以外の判別はできませんでした。」


「ディンキジクよ」


 冷静を失い、立て続けに質問を浴びせるディンキジクをムズクが制止する。


「ハッ、閣下」


「ヒトの軍団兵レギオナリウスでレーマ軍の軍装となれば、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアで間違いあるまい。

 余はドナートの判断を疑わぬ。

 むしろ、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア以外のヒトの軍団兵レギオナリウスが来ていたとしたら、そちらの方が問題じゃ。」


「お、仰せの通りにございます、閣下。」


 アルビオンニア属州に隣接する属州でヒトで編成される軍団レギオーを持っているのは隣のサウマンディアしかいない。チューアのナンチンはレーマ帝国とは軍装が違うし、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア以外でヒトの軍団レギオーと言えば、地方領主が有する辺境軍リミタネイではなく、皇帝インペラトル直轄の野戦軍コミターテンセスになってしまう。

 もし野戦軍コミターテンセス軍団レギオーが派遣されているとすれば、ハン支援軍アウクシリア・ハンが生き残るために一縷いちるの望みをかけた皇帝インペラトルが敵に回ってしまった事を意味してしまうのだ。それはサウマンディアがアルトリウシア側に付くことよりもよほど深刻な状況と言えよう。

 だが、事態が彼らの想定していた状況よりはるかに悪いことには違いない。ムズクは視線をイェルナクに向け、おごそかに下問する。


「イェルナクよ、これをどう思うか?」

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