第302話 窮地のハン族

統一歴九十九年四月二十七日、午前 - エッケ島・ハン支援軍本営/アルトリウシア



 外光をほとんど閉ざされた大ホールは昼でも暗く、篝火かがりびが常に焚かれている。天井には煙が立ち込め、パチパチと時折ぜる薪の音だけが響くその重苦しい雰囲気は、まさにその場に居合わせたハン支援軍アウクシリア・ハン首脳陣の心情がそのまま反映されているかのようであった。


「どうなのだ、イェルナク?」


 沈黙を守るイェルナクにムズクが再度尋ねる。


エラクよ…このドナートめが報告申し上げたヒトの軍団兵レギオナリウス…その正体はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアで間違いございません。」


 イェルナクの答えに居並ぶ幕僚たちは驚きの声を漏らし、あたりはざわめいた。ディンキジクが思わず身を乗り出して尋ねる。


「イェルナク…貴公、知っておったのか?」


「うむ、私も昨日、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアのキュッテル閣下から教えられたのだ。来ているのはバルビヌス・カルウィヌス率いる第二大隊コホルス・セクンダだそうだ。」


 バルビヌス・カルウィヌス…サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアでは最古参の大隊長ピルス・プリオルであり、彼の率いる第二大隊コホルス・セクンダサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア南蛮サウマンとの戦争への支援や合同演習でアルビオンニアに派遣されてくる時は高確率で選ばれる精鋭部隊である。当然ながら、バルビヌスの名は幕僚なら全員が知っていた。

 バルビヌス、そして第二大隊コホルス・セクンダの名を聞いた幕僚たちから呻き声が漏れる。


「バカな、精鋭部隊だぞ!?」

「どういうことだ、サウマンディアはもう敵側に付いたということか?」


「落ち着け、まだサウマンディアが敵に回ったと決まったわけではない!」


 イェルナクが一同の動揺を抑えようとするが、今度はディンキジクがイェルナクに詰め寄り始めた。


「何を言っているイェルナク!?

 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアにしろサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアにしろ到着するのが早過ぎるではないか!!

 貴公とアーディンが最初に軍使レガトゥス・ミリタリスとして出た時、トゥーレスタッドでサウマンディアの伯爵公子と元老院議員セナートルに会ったと言ったな!?どちらもサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムだったと…あれはアルトリウシアの被害状況を視察に来ていたのではなかったのか!?」


「そうだ、ディンキジク!

 その通りだ。彼らは視察に来ていた。だが同時に、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア大隊コホルスを送り込んでもいたのだ。」


「何だと!?

 だとすれば相当前から来ているんじゃないか!!

 いったい、いつからサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアはアルトリウシアに来ていたんだ?!」


「じゅ・・・十二日には到着したらしい・・・」


 これにはさすがに動揺を禁じえない。ディンキジクはもちろんムズクも幕僚たちも顔色を失い、どよめきはじめる。


「十二日!?」

「バカな、早過ぎる!!」

「一歩間違えば我々はエッケ島にたどり着くことも出来ずに討ち取られていたのか!?」


「フハ、フハハハハハハ」


 突然ディンキジクが笑い出し、他の者たちは何事かと口を閉ざしてディンキジクに注目した。


「ディ、ディンキジク?」


「やはりだ!

 やはり罠だったのだ!我々はハメられたのだ!!」


「何だ、ディンキジク!何を言っている!?」


 とぼけようとするイェルナクにディンキジクは顔から笑みを消し、イェルナクに挑みかかるように顔を赤くしながら叫んだ。


「だから言ったではないか!

 奴らは我々に敢えて隙を見せ、蜂起させた。そして叛乱軍として討ち取るつもりだったのだ!アルトリウシアの連中はもちろん、サウマンディアもグルだったのだ!!」


「落ち着けディンキジク!

 もしそうなら奴らは我々に補給物資など送り届けたりはしない!

 エッケ島はとっくに戦場になって、我らも討ち取られている!」


「ならどうして我らが蜂起して二日後に到着できる!?

 アルトリウシアに十二日に到着したということは、我々が蜂起した当日にはサウマンディウムを発っていたということではないのか!」


「違う!アルトリウシアへ到着したのは十二日の夕刻だ。ほとんど十三日だ。

 彼らがサウマンディウムを発ったのは十一日の早朝で、蜂起した日に伝書鳩での通信を受けて部隊を送り出すのを決定したのだ!」


 この世界ヴァーチャリアでは世界標準時間としては正子(いわゆる夜中の零時、正午の反対)で日付が変わる定時法(一日を二十四等分する時間管理法)を採用していたが、残念ながら世界中に時計が普及しているわけではないため、定時法はほぼ学術分野でしか使われておらず、一般では慣例的に日没で日付が変わる不定時法を採用している。


「どのみち早過ぎるではないか!

 何の準備も打ち合わせもなしに、伝書鳩の通信文だけで即座に歩兵大隊コホルスをよその属州に送り出せるわけがないであろう!?」


「それは・・・」


 イェルナクは言葉に詰まってしまった。

 同じレーマ帝国とは言え、辺境軍リミタネイの活動範囲は所属する属州内に限られる。領主の異なる隣の属州に派兵するには、送る先の領主の承諾を得なければならない。皇帝インペラトルが直轄する野戦軍コミターテンセスだって、州境を越えねばならない時は移動先の領主に事前に通知を行い、承諾を得るのが原則となっている。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアがアルトリウシアで活動するためには、領主であるエルネスティーネやルキウスの承諾を要するはずだった。そして、そのための手続きは伝書鳩ごときで済ませて良いものではない。


 実際のところはメルクリウス捕縛作戦の一環として、部隊を緊急派遣する可能性について事前に合意が結ばれており、領主代理としての権限を有する子爵公子アルトリウスの承諾もあって派遣が実行されていた。派遣される部隊がチューアの領域であるナンチンを通過することについても、メルクリウス捕縛作戦の一環で事前に手続きを踏んであり、法的には何の問題は無い。

 しかし、今回のメルクリウス騒動でハン支援軍アウクシリア・ハンは完全に蚊帳かやの外に置かれていたため、彼らはそのような事情を知らないのだった。


「落ち着けディンキジク」


「か、閣下!」


 今度はディンキジクがムズクに制止される番だった。


「確かに不可解ではあるが、イェルナクの言ももっともである。

 彼奴きゃつらが我らを亡ぼす気ならば、我らはとうに生きては居まい。

 補給物資とて送ってよこす道理がない。」


「そ、そうかもしれませんが・・・」


「彼奴らが何を考えておるのかはわからん。

 貴公の申す通り、我らをめっする陰謀があったのかもしれん。だが、我らはまだ生き永らえておる。」


「・・・・・・」


「今は生き残りの途を探らねばならぬ。

 この際、イェルナクの働きに間違いはない。

 今我らが口にするかてはイェルナクの働きによるものでは無いか。

 今は彼奴らの動向を探り、力を蓄えることに集中すべきである。」


 幕僚たちは表面上は落ち着きを取り戻したようだった。だが、その表情は一様に暗い。

 彼らが一番警戒しているのはアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの動向であった。彼らがレーマ帝国に弓引いたのは事実であり、その最大の被害を被ったのはアルトリウシアである。属州領主ドミナ・プロウィンキアエであるエルネスティーネと、アルトリウシア領主であるルキウスはその膝元を荒らされて領主としての面子めんつを傷つけられた形だ。今、ハン支援軍アウクシリア・ハンに最も激しく敵愾心てきがいしんを燃やしているのはエルネスティーネとルキウスの二人であり、ハン支援軍アウクシリア・ハン討伐に動くとしたら彼らの私兵であるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアであるはず。


 だからこそ、彼らを牽制するために皇帝インペラトルとサウマンディアにアルビオンニアが謀反を企てていると報告することで、アルビオンニアが容易にハン支援軍アウクシリア・ハンを討伐出来ないように牽制に使うはずだった。

 その牽制役となるべきサウマンディアが、ハン族が動く前に既にアルビオンニアに協力する形で動いていた。その事実はハン族の生き残り戦略を根底から揺るがしかねないものだったのである。


「イェルナクよ、今後どうすべきか具申ぐしんせよ。」


 ムズクはイェルナクの意見を求めた。サウマンディアと皇帝インペラトルを当面の牽制に使うという戦略を考えたのはイェルナクだったからだ。その前提条件が変わったことについて、まず発案者自身の意見を求めるのは当然と言える。


「閣下…い、今は状況が掴めません。

 とにかく奴らを刺激せず、こちらを攻撃する口実を与えぬようにしながら、情勢を見極めるべきと存じます。」


 彼らはまだ気づいていないが、イェルナクをはじめハン支援軍アウクシリア・ハン幕僚たちの情報源の大半は、実はリクハルドかリクハルドの息のかかった者たちだった。《陶片テスタチェウス》と連絡が取れなくなった今、彼らは必要な情報を得ることができなくなってしまっていた。

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