第175話 拘束

統一歴九十九年四月十七日、朝 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「なんでだい!?アタイは何も悪いことなんかしちゃいないよ!」


 リュキスカはいきり立って叫ぶ。

 彼女はただ娼婦として当たり前に買われ、客の乞うままに客の部屋についていって仕事をしたにすぎないのだ。レーマの法に反することは何ひとつしてはいない。

 なのに不法侵入者扱いされて捕まって、しかも疑いが晴れた後も帰してはもらえない。こんな理不尽なことがまかり通って良いわけがない。



「すまんが、君を買った御方の事は秘さねばならんのだ。

 君をここから出すわけにはいかん。」


「ちょっ…ゴホッケホッケホッ…ちょっと、冗談じゃないよ。

 アタイだって娼婦だ。

 客のことなんかしゃべりゃしないよ。」


「どうだか。」


 またネロがカチンと来るような余計な口を挟む。


「バカ言わないどくれ!高貴な方がお忍びで女を買うことくらい珍しかないんだ。

 そういう人らは普通の客よりよっぽど儲けさせてくれる上客なんだよ。

 それを…ケホッゴホゴホッ…それをイチイチしゃべってたら来てくれなくなっちまうじゃないか!

 だから今回だって名前も素性も訊いてないんだよ。」


 椅子から腰を浮かしてネロに食って掛かるリュキスカをクィントゥスが宥め、座りなおさせた。


「すまんが、その程度の問題じゃないんだ。」


「なんだいってさ。馬鹿に…ゴホッゴホゴホッ…馬鹿にしてんじゃないよ!

 軽く見られちゃアタイだって黙ってらんないじゃないか。」


「君を軽く見てるんじゃない。

 君を買った御方は君のいう達とは比較にならんということだ。」


 リュキスカはまだ何か馬鹿にされているような気になったが、ひとまず魚醤水ヒドロガルムを飲んで気持ちを落ち着かせる。


「そっ・・・その・・・兄さんが凄いのは何となくわかってたけどさ。

 だからってしゃべりゃしないよ。

 ああいう金払いの良い上客ならアタイだって馴染みになって貰いたいからね。」


 喧嘩腰になっちゃまずいと思ったリュキスカは少し口調をおだやかにして言い直す。彼女には家で待ってる息子がいるのだ。今は娼婦仲間が面倒を見てくれているはずだが、急いで帰ってオッパイをあげなきゃいけない。

 しかし、彼女をとりまくホブゴブリンたちの態度は変わらなかった。


 本格的に帰れないかもしれない・・・そこに思い至った彼女は焦り始める。



「ね、ねえ、百人隊長ケントゥリオの旦那?

 アタイだってさ、お客を困らせようとは思わないんだよぅ。

 ましてアタイにとっちゃ今までとった客ん中じゃとびっきり一番の上客なんだ。喜んでもらってさ、アタイのこと気に入って貰いたいのさ。」


 しかし、ホブゴブリンたちの態度も表情も冷たいままだ。

 何か困ったものを見るような目でリュキスカを見ている。

 焦るリュキスカは自分がどれだけリュウイチに気に入られたかをアピールし始めた。


「き、昨日だって兄さんには随分とお代を弾んでもらったんだ。

 六デナリウスもだよ?」


「「「「「「「「「六デナリウス!?」」」」」」」」


 さすがにその金額には誰もが驚かざるを得ない。軍団兵レギオナリウスの日当六日分、一般家庭の生活費約半月分に相当する額だ。一人の娼婦との一夜の情事にかける金額ではない。

 ホブゴブリンたちが食いついて来たのに気を良くしたリュキスカは一気に饒舌じょうぜつにしゃべりだす。


「そうさ!

 最初は銀貨二枚って約束だったんだけどさ。

 兄さんがポピーナから出て兄さんの寝室クビクルムでヤりたいって言いだしたからさ。

 『ちょっと割増ししてくれたらいいよ』ってアタイが言ったら、即座に『三倍払う』って言ってさ。銀貨を六枚もくれたんだ。

 しかもそれがデナリウス銀貨だよ!?

 アタイはセステルティウス銀貨のつもりだったからたまげたさ。四倍だもの。だからアタイは訊いたのさ。『こんなに貰っていいのかい?』ってね。

 そしたら兄さんは『「いいのかい?」って訊くってことは問題ないんだな?』って言ってさ、そのままアタイを抱え上げてポピーナから連れ出したのさ。

 途中でアタイが何か言ってもさ、『大丈夫』とか言ってディープキスサーウィウムでアタイの口を塞ぐんだよ。

 女ならもう誰だって身を任せようって気になっちまうさ。

 あんなに女の扱いを心得てる客なんて滅多にいるもんじゃないよ。

 その上、ちゃんと払うもの景気よく払ってくれるしさ。

 ベッドの上でも最高のお客だったよ。

 アタイもあれほどウェヌス様の恩寵おんちょうを受けたことは今まで一度だってなかったさ。

 もうアタイは兄さんのためだったら何だってしてみせるよ!?」



 満面の笑みを作って一気にまくし立てる。これだけの惚気のろけ話をされてなおも彼女とリュウイチの関係に疑いを持つ者などそうそう居はしないだろう。

 しかし、ホブゴブリンの態度は何も変わらなかった。むしろリュキスカに向けられる目には同情のようなものが浮かんでいる。


「・・・ま、まさかしようなんて考えちゃいないだろうねえ?」


 一番歓迎したくない予想を口にし、リュキスカはホブゴブリンたちの顔色をうかがう。が、彼らの態度や表情には何の変化も見いだせなかった。


 ヤバい、このままじゃ殺される?!


「ちょっと、冗談じゃなっヴホッ、ゴホッゴホゴホッ、ゲホッ」


 咄嗟にリュキスカは逃げ出そうと立ち上がった。


「いや、殺しはしない。」


 しかし、立ち上がる前に再びクィントゥスがリュキスカの両肩を掴んで無理やり座らせる。リュキスカは立ち上がろうとした拍子に再び咳き込み始めてしまったため、そのまま大人しく椅子に腰を降ろさざるを得なかった。

 クィントゥスはリュキスカの咳が一旦治まるのをまって再び話し始める。


「だが…やはり、帰すわけにはいかん。と言うより…」


 リュキスカがすがるような表情かおでクィントゥスの顔を見上げる。


「我々にそんな権限はない。」


「どういう事だい?」


「君を帰していいかどうかは、我々よりもずっと『上』の判断が必要だ。」


「『上』って・・・軍団長レガトゥスとか幕僚トリブヌスとかいう人たちかい?」


 クィントゥスはそれに答えず、難しい表情をしたまま顔をそむけた。


「じゃあ訊いてきておくれよ。」


「そんな簡単な話ではない。」


 どういうことだい、軍団長レガトゥスって軍団レギオーで一番偉いんだろ?

 まさか、それよりも上ってことなのかい!?


 リュキスカは気持ちを落ち着かせようと魚醤水ヒドロガルムを一口飲み込む。


「・・・子爵様ウィケコメスとかかい?」


 軍団長より偉い人と言ったら一人しかいない。アルトリウシアで一番偉い人は領主のルキウスだ。しかし、領主になんかそうおいそれと誰でも会えるわけでは無いことぐらいはさすがのリュキスカにも分かっている。


「詳しいことは言えん。

 だから、訊いてくれるな。

 だが、我々の立場もお前とそう大して変わらんのだ。」


「ど、どういう事だい?」


「あの御方のことを隠すため、あの御方のことを知っている我々もここから離れることは許されないのだ。

 我々はここを警護することになっているが、それ自体が我々をここに留めておくために与えられた役目に過ぎない。

 実際、我々は非番であってもここから離れることを禁じられている。

 だから、私が君を帰したいと願い出たとしても、許可は下りないだろう。」


 クィントゥスは心苦しそうにそう説明した。

 リュキスカの顔から血の気が引いていく・・・ここへきてリュキスカはポピーナの店員や娼婦仲間たちが、要塞カストルムから遊びに来てくれなくなった軍団兵レギオナリウスがいるってこぼしていたのを思い出した。


「じゃ、じゃあアタイは帰れないってのかい?」


 クィントゥスは何も答えなかったが、その目はようやくわかってくれたかと言っていた。周りの奴隷たちもやれやれとでも言うような顔をしている。

 リュキスカの脳裏に可愛い息子フェリキシムスの顔が浮かび、息子に会えなくなるかもしれないという不吉な予感が胸を締め付けていく。



「・・・・・冗談じゃないよ!

 なんだってアタイが閉じ込められなきゃいけないんだい!?

 アタイにゃ赤ん坊がいるんだよ!

 お腹も空かしてるし、病気なんだ。帰ってオッパイと薬あげなきゃ死んじまうんだよ!!

 帰しとくれよ!!

 六デナリウスも貰ったって赤ん坊が死んだら意味がないじゃないか!?

 ねえ、アンタ!

 黙ってんじゃないよ!!

 アタイを帰しとくれよ!!」


 リュキスカは猛然と立ち上がった。最後の方はもはや泣き声だった。

 涙ににじむホブゴブリンどもを殴りつけながらリュキスカは渾身の力で暴れ始める。しかし、所詮はヒトの女・・・一人でも彼女の倍以上の力を持ったホブボブリンの集団を前には無力でしか無かった。

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