第176話 捕まった女

統一歴九十九年四月十七日、朝 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ピロリン♪・・・テンテレン、テンテンテンテン♪


 目覚まし時計などではない・・・が、何故か朝目が覚める時に必ず頭の中で流れるのだ。しかも、音楽が鳴り終わるとパッチリ目が覚める。この世界ヴァーチャリアに来て以来リュウイチはずっと快眠続きで、朝起きると疲れとかが全く残っていない。ただただ、よく寝たという実感と何とも言えない爽快感のようなものがあるだけだ。まるで、RPGゲームで朝が来るとステータス異常やダメージが全て回復してる・・・それを現実に体験しているような感じだ。


 昨日もよく寝たなぁ・・・などと思いながら天井を見上げていたが、ふといつもと違う匂いに気付いた。


 ?・・・女の・・・残り香?・・・あ!!!


 リュウイチは昨夜のことを思い出してガバッと起き上がって隣を見るが、女の姿は見当たらない。部屋を見渡しても見当たらない。


「いない!?」


 夢だったか!?

 いや、ベッドがまだあったかいし、シーツの乱れも俺一人のじゃない。


「まさか一人で帰ったのか!?」


 昨夜は連れ込んだ娼婦と心行くまで楽しみ、終わり次第送り届けるつもりだった。しかしいざ終わってみると彼女は「もうダメ、休ませて」とか言ってそのままへばってしまったし、リュウイチも送り届けるのは彼女の回復を待ってからにするか・・・と安易に考えて隣でそのまま寝てしまった。

 気づけば朝・・・隣にいる筈の娼婦はもういない。


「やばい!」


 こうしてはいられない・・・


 慌てて起きてアイテムストレージに仕舞った服をパッパと一瞬で着る。


 あいつ何処行ったんだ?

 まだ誰にも見つかってなければ、今からでも店に送り届けられる。

 女の服が無くなってるってことは、やっぱり帰ろうとして部屋から出て行ったんだ。

 まずいなぁ・・・他の連中に見つかったらどうなるか。ルクレティアとかクィントゥスとか、あの辺の連中が知ったらきっと騒ぎになるぞ。



 リュウイチが部屋から飛び出した時、部屋の真ん前の庭園ペリスティリウムの向こう側に奴隷たちが集まっており、そこから聞き覚えのある女の声が聞こえた。


「・・・・・冗談じゃないよ!

 なんだってアタイが閉じ込められなきゃいけないんだい!?

 アタイにゃ赤ん坊がいるんだよ!

 お腹も空かしてるし、病気なんだ。帰ってオッパイと薬あげなきゃ死んじまうんだよ!!

 帰しとくれよ!!

 六デナリウスも貰ったって赤ん坊が死んだら意味がないじゃないか!?

 ねえ、アンタ!

 黙ってんじゃないよ!!

 アタイを帰しておくれよ!!」


 最悪だ・・・もう捕まってやがった。


 リュウイチが額に手を当てて気持ちを押しつかせている間に女が暴れ出した。


「ちょっと、何だい!?

 触んじゃないよ!!

 アタイが何したっていうんだい!?

 痛いじゃないか、放しとくれよ!

 アタイは帰んなきゃいけないんだよ!!」


 女が奴隷たちの囲みを突破しようと暴れ出す。しかし、相手は奴隷とは言ってもヒトよりよっぽど筋肉質なホブゴブリンで、しかもついこの間まで現役の軍団兵レギオナリウスだった男たちである。

 一度は女の剣幕に押されそうになった彼らだったが、ヒトの女一人を押さえつけるのに苦労はしない。


「畜生!何すんだよぅ!!人殺し!人さらい!!放せっ、放しやがれ畜生!!」


『待て、その人を放せ!!』


 リュウイチが大声を出すと全員の動きがピタッと止まって、奴隷たちがリュウイチを見る。その隙をついて女が奴隷の囲みから飛び出してリュウイチの方へ走ってきた。

 もう涙で顔がぐちゃぐちゃになってるが、女は間違いなく昨夜抱いた娼婦だった。


「畜生!アンタのせいだ!!どうしてくれんだよぉ」


 リュキスカはリュウイチの前まで駆け寄ると、泣きながらリュウイチの胸を殴り始める。


 いや、ホント済まない・・・。


 リュウイチは殴られるままに殴らせた。


「貴様、誰に向かって!!」


 ネロが怒声をあげながら駆けて来てリュキスカを羽交い絞めにし、リュウイチから無理やりリュキスカを引きはがした。


『いい!放せ』


「しかし、御無礼を!」


『いいんだ!

 ああ、すまない。悪かった。』


 ネロが渋々手を放すと、リュウイチはその場に泣き崩れそうになったリュキスカの肩に両手を添えて支えた。


「すまないじゃないよぉ、帰れないじゃないか!

 変なトコへ連れて来やがって!

 アタイを帰しとくれよ!!」


『悪かった、昨夜やることすませたら直ぐに帰すつもりだったんだが、つい寝てしまった。すまない。』


「もういいよ!とっととアタイを帰しとくれ!!赤ん坊が待ってんだ」


『ああ、わかった』


 リュウイチは泣きながら訴えるリュキスカを宥めるように言うとアイテムストレージからルーンを取り出した。

 だが、それを使う前にクィントゥスが駆け寄って来た。


「いけません!申し訳ありませんが、その者を帰すことは認められません。」


「何でだよ!?この人はいいって言ってるじゃないか!!」


 リュキスカが振り返ってクィントゥスに食ってかかると、クィントゥスは小型犬に吠えかけられた大男みたいにウッとめんどくさそうな顔して一瞬立ち止まる。


「さ、アタイを帰しとくれよぉ」


 クィントゥスが立ち止まったのを彼が諦めたんだと早合点したリュキスカは再びリュウイチに甘えるように言った。


「いけません、ご自重じちょうください。」


 だが、クィントゥスは諦めたわけじゃない。その場からリュウイチの目をまっすぐ見据えて訴える。

 リュキスカは驚いてクィントゥスの方を振り返り、リュウイチとクィントゥスの顔を何度か交互に見比べた。クィントゥスの決意を固めたような表情と、リュウイチの困ったような顔・・・そこから不吉な予感を覚えたリュキスカはリュウイチに媚びはじめる。


「ア、アタイなら大丈夫だよ!余計なことしゃべったりしないよ!

 兄さん、昨夜ゆんべは満足したろ?

 アタイも良かったよ、アタイも兄さんのこと気に入ってんだ。

 兄さんはアタイの一番の上客さ。

 できればこのまま馴染みになって貰いたいんだよ。

 アタイも大事なお客を困らせるような真似はしないよ。ね?

 だから、今はアタイを帰しとくれよ。お願いだよ。」


 リュウイチは思案を巡らせる・・・


 クィントゥスはどの程度まで彼女に話したんだ?

 少なくとも彼女は俺のことを秘匿しなきゃいけなくて、そのせいで帰らせてもらえないという点は理解しているようだ。

 うーん、彼女一人帰したところでっていう気もしなくもないんだよなあ。彼女は俺が降臨者だってことはまだ知らないし、名前も知らない。ここがどこかさえ正確には知らない。

 この状態で彼女が帰って町で俺の事を吹聴ふいちょうしても、都市伝説以上のことにはならないだろう。たぶん、話を聞いた大半の人はホラ話としか受け止めないはずだ。

 あとはこっちでどれだけそういう噂を上手に無視するかってことで・・・だったら、連れてきた時と同様に魔法で誰にも見られないように一瞬で帰せば、情報流出は許容できる範囲に収まるんじゃないのか?


「ダメです。帰せば兵をやってでも彼女を捕らえねばならなくなります。」


 クィントゥスはそんなリュウイチの考えを見透かしたかのように断言した。

 もし、そんなことになったらたとえリュキスカが秘密を守り通したとしても、何かあったと世間に知らしめることになる。秘密保持という観点からすれば逆効果だろう。

 しかし、リュウイチはクィントゥスやその部下たちが妙にクソ真面目な性格をしているという印象をこの数日で持つようになっていた。彼らがやると言えば必ず実行するだろう・・・そう、リュウイチに思わせる雰囲気があった。

 仮に今だけ彼らを説得したとしても、あとでアルトリウスやルキウスが事実を知れば、リュキスカの身柄を拘束しようとするかもしれない。彼らは領主でかなりな権力があるはずだ。下手したらリュキスカに無実の罪を着せて逮捕するぐらい簡単にできるだろう。

 だとしたら、ここで安易に彼女を要求通りに帰すのは、却って事態を悪化させてしまう。



「ねえ、それでもいいよ!今だけ、ね?

 今だけでも帰してくれりゃ赤ん坊の世話ができるんだ。

 このままじゃアタイの大事な赤ちゃんが死んじゃうんだよ!

 赤ん坊の世話さえできればまたここへ来るよ、それならいいだろ?ね?

 だからアタイを帰しとくれよ!」


 リュウイチの顔色をうかがっていた彼女が愛想笑いを作って懇願しはじめた。その愛想笑いも半笑いみたいな感じで、危機感や不安感にさいなまれている様子が手に取るようにわかる。


 彼女の言う赤ん坊の話も本当だろう、昨日もヤってるときに母乳が出てたし…。

 でもまいったなあ、クィントゥスだけでも納得してくれれば何とかなる気はするんだが、彼らの俺を見る表情は硬い・・・。


「何だい?

 兄さん、アンタ偉いんだろ?

 ねえ、お願いだよ。アタイを帰しとくれよ!!」


 もうリュキスカの顔からは愛想笑いも消えていて、切羽詰まったような、泣き縋るような表情になっていた。


 どうすれば全員に納得してもらえるだろうか?

 まずは感情的になっている彼女に落ち着いてもらおう・・・そう思ってリュキスカの肩に手を置こうとした瞬間、リュウイチの気持ちを察したのかリュキスカがリュウイチをキッと睨み、その手を払いのけた。


「冗談じゃないよ!何のつもりだい!?これじゃ人さらいじゃないか!

 安い奴隷だって二百デナリウスはすんだよ!?

 自由民のアタイがたかが六デナリウスでそこまでする義理はないよ!」


 リュウイチが何か言う前に答えを察したリュキスカはリュウイチを責め始める。


『ああ、すまない』


「すまないじゃないんだよ!!この人でなし!人さらい!悪者!!」


「おい!いくらなんでも言葉が過ぎるぞ!」


 ネロが見かねて声を荒げると、リュキスカは振り返ってネロにまで罵詈雑言を浴びせ始めた。


「言葉が過ぎるだって!?冗談じゃないよ!

 そっちはが過ぎてんじゃないか!

 いくら罵ったって罵り足らないよ!!

 ちょっと、手を放しなよ!放せって!

 痛いじゃないのさ、放しとくれよ!!

 冗談じゃないよ!!」


 周囲の奴隷たちが一斉に彼女を取り押さえにかかった。

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