第316話 日曜礼拝

統一歴九十九年四月二十九日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 戸も窓もすべて締め切り暗幕を張り巡らした寝室クビクルムには外光は一切入ってこない。壁際に並べられた燭台にともされた上質な鯨油ロウソクの火は、同室する聖職者と侯爵一家の表情を見るのに不都合が無い程度の明るさをもたらしている。ティトゥス要塞カストルム・ティティで礼拝をおこなっていた頃はもっと多くのロウソクを灯したものだったが、リュウイチから一酸化炭素中毒の事を教えられてからは過度な照明は控えるようになっていた。尤も、降臨者リュウイチに関しては口外できないため、対外的には照明を控えるのはロウソク代を節約して少しでも復旧復興作業に充てるためということにしている。


 寝室クビクルムの中央にしつらえられたベッドの上にアルビオンニア侯爵家公子カール・フォン・アルビオンニアが横たわり、肩まで布団を被って頭を枕に埋もれさせ、顔だけを覗かせている。ベッドの周りを侯爵家の家族、エルネスティーネの兄弟であるグスタフやアロイス、そして何人かの侍女たちが取り囲んでいる。

 そして、彼らに対するように部屋の反対側にはささやかな祭壇が設けられ、その手前の架台の上に大きな聖書を広げたマティアス司祭がおごそかな調子で説教を続ける。


 彼らランツクネヒト族が降臨者パウル・フォン・シュテッケルベルクからもたらされた文化の根底にあるのはキリスト教であった。そして《レアル》世界において、おそらく騎士戦争リッタークリーク当時の友愛同盟側の人物とみなされている降臨者パウルによって伝えられたのはルター派の教義であったが、《レアル》とは異なるヴァーチャリア世界においては他の宗派と同様に大きな変容を遂げていた。

 ヴァーチャリア世界において《レアル》の文化・文明は降臨者によって伝えられ、それは必然的に降臨者の血を引く子孫…すなわち聖貴族コンセクラトゥムを中心に受け継がれることとなった。その結果、宗教指導者イコール聖貴族コンセクラトゥムという図式が必然的に成立してしまい、マルティン・ルターによって否定された宗教指導者の身分制度が当たり前のように復活してしまったのだった。しかも、降臨する際に強力な魔力と精霊エレメンタルの加護を手に入れた降臨者とその子孫は、この世界ヴァーチャリアではまさにを体現できる存在でもあったことから、その権威は元の《レアル》世界の宗教指導者とは比べ物にならない、揺るぎ無いモノとなったのである。


 聖職者の権威を高めることとなった魔力と精霊エレメンタルの加護ではあったが、同時にキリスト教という宗教そのものの権威は弱めることにもなった。

 降臨者やその子孫たちが振るう魔法の力は当初、『神の奇跡』として信じられてキリスト教と聖職者たちの権威を否応もなく高めていたが、その幻想はすぐに打ち砕かれることになった。なぜなら異教徒も同じような奇跡の力を発揮できたからである。そして、時にそれは異教徒の聖貴族コンセクラトゥムの方が強い力を発揮することすらあった。

 また、聖貴族コンセクラトゥムの中でも精霊エレメンタルと直接コミュニケーションを取ることのできる特に力の強い者だけしかわからないことではあったが、精霊エレメンタルが話しかけてくる事は必ずしもキリスト教の教義と合致するわけではなかった。当初、精霊エレメンタルは聖霊とか天使の類だろうと考えられていたがどうも違う。彼らの中に聖書で説かれているような善悪のような基準は存在しない。《火の精霊ファイア・エレメンタル》はとにかく燃え広がることを欲し、《風の精霊ウインド・エレメンタル》はとかく刹那的かつ享楽的であり、《地の精霊アース・エレメンタル》は何事にも無関心であった。


 何かが違う…聖書と合わない…


 キリスト教の教義そのものに対して疑問が持たれるようになるまで、それほど長い年月はかからなかった。そして人々は改めて気づいた。


 《レアル》とこの世界ヴァーチャリアである。


 この辺までは彼らランツクネヒト族のルター派プロテスタントに限らず、キリスト教はもちろんユダヤ教もイスラム教も、その他 《レアル》から齎された宗教のほとんどすべてがこの世界ヴァーチャリアで一度は経験する問題だった。


 しかし、ぶつかる問題は一緒でも問題への回答は様々である。回答はまず二つに大別出来た。すなわち、この世界ヴァーチャリアの神と《レアル》の神は同一かどうか?である。ただし、この回答の違いはその後の彼らの対応には、意外かもしれないがあまり影響してない。

 神が同一であろうが別であろうが、自分たちがこの世界ヴァーチャリアにおいて異分子であるという点においては同じだったからだ。本当に問題になるのは、ではこの世界ヴァーチャリアで自分たちの信仰はどうあるべきか?であった。その回答は主に三つに分類できるだろう。


 ①、この世界ヴァーチャリアで《レアル》の教えを広め、この世界ヴァーチャリアそのものを《レアル》の神に捧げるべきである…というもので、「正統派」と呼ばれる。

 ②、自分たちの信仰の対象はあくまでも《レアル》の神だが、この世界ヴァーチャリアは《レアル》とは異なる世界なのだら、自分たちの信仰は守りつつもこの世界ヴァーチャリアの異なる神々との共存を図るべきである…というもので、「共存派」と呼ばれる。

 ③、この世界ヴァーチャリアはあくまでも《レアル》とは別の世界なのだから、この世界ヴァーチャリアに合わせて教義そのものも変えていくべきである…とするもので、「適応派」と呼ばれる。


 これらの分類は非常に大まかなものであって、例えば①の「正統派」の中でも武力も用いて積極的に教えを広めようとする過激派もあれば、あくまでも平和的な布教によってのみ教えを広めるべきだとする穏健派もある。

 ランツクネヒト族の場合、ごく初期は①の「正統派」であったらしい。のちに大戦争を経て②の「共存派」に近い考えが主流となり、一部がレーマ帝国に渡っておこしたレーマ正教会は③の「適応派」に近い②の「共存派」という立場をとっていた。

 この結果、レーマ帝国で信仰されているキリスト教「レーマ正教」からは、《レアル》世界でのキリスト教の最大の特徴であった排他性はかなり薄まっていた。自分たちが信仰を捧げるのは《レアル》の創造主ただ一人とはしながらも、レーマ帝国で信仰されている神々はそれはそれとして神と認め、一定の敬意は払われるべきである…とされている。

 マティアス司祭の説教も一貫してそうした考えを反映したものだった。その説教が終わり、助祭の奏でるリュートの伴奏にあわせ讃美歌コラールが合唱される。最後に頌栄しょうえいが唱えられ、つつがなく礼拝は終わった。

 寝室クビクルムを出たところでいつものようにエルネスティーネはマティアス司祭に御礼を述べた。


「マティアス司祭、ありがとうございました。今日もためになるお話でしたわ。

 些少ですが、どうぞお納めください。」


「いつもありがとうございます、侯爵夫人フュルスティン

 神は必ずやアナタの御志に報いることでしょう。」


 マティアス司祭は差し出された小袋を受け取ると、いつものように隣にいるシスターに預け、先ほどまでいた寝室クビクルムのドアへ視線を向けた。


「しかし、本日もカール閣下はお熱がおありになると伺っておりましたが、どうやら元気はおありのようでしたね。」


「そうですか?」


「ええ、今日はずっと起きておいででした。ははははは…」


 先週のカールはマティアス司祭の説法の途中から寝てしまっていた。本来ならあってはならないことだが、本人の体調がすぐれないことを事前に断っていたこともあって特に誰も咎めてはいなかった。


「まあ…先週は失礼しました。

 もうああいうことの無いように言いつけておきますのでご容赦ください。」


「いえ、体調を崩すことくらいは誰にでもあります。

 今日も顔が赤いようでしたので心配していましたが、元気なようで安心しました。」


「おかげさまで、こちらに来てからというもの調子が良い様ですの。

 司祭様に気をかけていただいて、カールも幸せですわ。」


「いやいや、きっと叔父上が御側におられるからでしょう。」


「そうかもしれません。でもそうだとすると少し寂しい気もしますわ。

 私どもよりもアロイスと一緒にいる方が良いということになりそうですもの。」


「ははは、しかし子はいつか巣立つものです。あのくらいの歳ならば家族以外に近しい存在ができて当たり前ですよ。カール様はそれがたまたま叔父上であられた、それだけのことでしょう。

 大丈夫です。親子の繋がりが消えるわけではなく、子につながりが増えていくということなのですから。」


「司祭様にそういっていただけるといくらか心が安らぎます。

 ありがとうございました。」


「いえいえ、それでは私ももう戻らねばなりませんので、これで失礼いたします。」


「お引止めして申し訳ありませんでした。どうぞまたよろしくお願いします。」


 挨拶を済ませるとマティアス司祭の一行は馬車に乗り込み、ティトゥス要塞カストルム・ティティへと戻っていった。それを正面玄関オスティウムの前で見えなくなるまで見送り、エルネスティーネはため息を漏らす。


姉さんエルネスティーネ、やっぱり教会の関係者だと思うかい?」


 司祭の見送りに一緒についてきていたアロイスがエルネスティーネに尋ねる。もちろん、カールに毒麦を仕込んだ犯人についての質問だ。


「わからないわ…多分、マティアス司祭ではないと思うけど…」


 エルネスティーネはまるで独り言のようにポツリと言い、俯いて小さく首を振った。

 今日もずっと司祭たちを見ていたが、少なくともマティアス司祭に変わった様子は見られない。一緒に来ていた助祭と修道女も同じだ。修道女は少しキョロキョロしている風ではあったが、あれは以前からそんな感じだったし、本当に彼らの誰かが毒麦混入に関わっているのかどうか確証が持てない。


「彼らが関わっていないとしてもあれから一週間だ。

 外部の人間の仕業だとしたら、カールが元気だと知るのは彼らを通してだろう。

 犯人が何か次の手を打ってくるとしたらこれからだよ、姉さんエルネスティーネ


「ええ、そうね。気を付けるわ…というより、私はこっちにいられないのだから、気を付けてもらわなきゃいけないのはアナタアロイスの方よ!?」


 エルネスティーネは振り返ってアロイスの胸をポンと指で突くと、アロイスはニコッと笑った。


「任せてくれよ!信用できる奴を張り付けてるから。」


「母上、何の話?」


 一緒に見送りについてきたものの、よくわからない話が始まったため戸惑ったディートリンデが首を傾げながら訊いてくると、二人は話を切り上げた。


「いいの、何でもないのよ。

 さ、カールのところへ戻りましょ。」


 エルネスティーネはそう言いながらディートリンデの肩をやさしく抱き、正面玄関オスティウムへと戻っていった。

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