第228話 セーヘイムのガミガミ女

統一歴九十九年四月十九日、早朝 - セーヘイム/アルトリウシア



 セーヘイムは昨日来騒然としていた。原因はハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスを名乗るイェルナクたち一行である。彼らが収容された迎賓館ホスピティオアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスやヘルマンニ隷下の水兵らによって厳重に警備され、その周辺をハン支援軍アウクシリア・ハンに対する恨みを持った民衆が取り囲んでいた。


 セーヘイムもアルトリウシアの他の地区と同様、公会堂バシリカ集会場コミティウムといった公共施設はほとんどすべて難民収容のために使われている。セーヘイムでは直接の被害は受けなかったが、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアから焼け出された避難民たちのうちセーヘイムの親戚を頼って移ってきた者が少なからずいたからだ。だが、長らくアルトリウシアの海の玄関口を務めてきたセーヘイムには外から来た貴賓が宿泊する機会もあるため、貴賓が宿泊するための迎賓館ホスピティオが設けられていたが、そこだけは避難民にも開放されてはいなかった。降臨後、サウマンディア等外部の貴族が突然押しかけて来る可能性が高くなったからである。

 しかし、そうした配慮がこのような形で役に立つとは、当のヘルマンニも思ってもみなかった。


 昨日、突然現れたイェルナク一行はヘルマンニの機転によってセーヘイムに留め置かれた。ヘルマンニはリュキスカに関する話は聞いてはいなかったが、前日にがあったらしい事は妻からそれとなく聞かされていたからだった。


 侯爵家でボヤ騒ぎがあり、エルネスティーネと家族が子爵家へ避難している。しかも、その時にカールが重傷を負い、深刻な状態に陥ったらしい。


 そのようなところへいきなりイェルナクを送り込めば何が起こるかわからない。一旦、セーヘイムの迎賓館ホスピティオに宿泊させてティトゥス要塞カストルム・ティティ側で受け入れ態勢を整える時間を稼ぐべきだ。

 ヘルマンニは幸い今現在使われていなかった迎賓館ホスピティオへイェルナクを案内することができた。同時に兵を集めさせた。もちろん、警備のためである。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンはつい九日前にアルトリウシアで大規模な虐殺事件を引き起こしたばかりだ。被害者の遺体の収容はまだ終わっておらず、未だ意識の回復しない重症者もいる。軽傷者の傷がようやく治りかけてきたかどうかというところだ。

 そんなところへ、この災禍の張本人であるハン支援軍アウクシリア・ハンの幹部が来たらどうなるかなんて考えるまでもない。殺気だった数千数万の民衆によってなぶり殺しにあうだろう。


 だが、軍使レガティオー・ミリタリスは身の安全を保障されねばならない。たしかに彼らは数万人を虐殺した殺人者だが、同時に数百人の民間人をさらった誘拐者でもあり、誘拐された人質たちは今も安否あんぴ不明なままなのだ。人質奪還のための手がかりは今イェルナク一行だけであり、彼らへの襲撃を許せば人質がどうなるか分かったものではない。

 ヘルマンニは私情を捨て、動員できる限りの兵士を動員してイェルナク一行を守り、同時に歓待ヴェイスラもした。旅人が訪れたなら、たとえそれが親の仇であろうと精いっぱい持て成す…それはセーヘイムのブッカたちの文化であり習慣であった。


 セーヘイムにハン支援軍アウクシリア・ハンの連中が来ているという噂はあっという間に知れ渡った。イェルナクが迎賓館ホスピティオに入ってから一時間もしないうちにティトゥス要塞の城下町やアンブースティアに、日が傾く前には《陶片テスタチェウス》に、日が間もなく没しようという頃になるとマニウス要塞カストルム・マニ城下町カナバエやアイゼンファウストにも知れ渡った。


 話が広がるにつれてセーヘイム以外の地区から武器を手にした住民たちが徐々に集まり始める。当初は郷士ドゥーチェのヘルマンニが自ら率先して歓迎ヴェイセルと警備に当たったことからセーヘイムの住民はハン支援軍アウクシリア・ハンへの不満を押さえ込んでいたのだが、日が暮れるころになってエッケ島南の共有地アルニンメングからトイミの遺体を乗せたクナールが帰港すると騒ぎは一気に大きくなった。


「トイミたちがやられた!」

「ハンどもは何で共有地アルニンメングを奪うんだ!?」

「ヘルマンニ様!トイミの仇を討たせてくれ!!」

「ゴブリンどもを吊るし上げろ!」

「何でハン族をかばうんだ!?あいつ等が何やったかもう忘れたのか!」


「落ち着け!イェルナク殿は今日の昼にセーヘイムへ来たんだぞ!?

 トイミたちのことなんか知るはずも無い!

 やったのは別のゴブリンだ!

 話はつけるから今は大人しく我慢しろ!!」


 いくらヘルマンニが一人で立ちはだかったところで群衆は治まらない。

 血の気の多い連中が集まる前にヘルマンニが動員できた兵士は五十人にも満たなかった。その後追加で集まってくる兵より、群衆の増え方の方が圧倒的に多い。水兵たちで抑えきれなくなる前にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの部隊が応援に駆けつけてきてくれてなければ、今頃どうなっていただろうか?


 駆け付けたのは陣営隊長プラエフェクトゥス・カストロルムのスタティウス率いる部隊でアンブースティアで復興作業に当たっていた大隊コホルスのほぼ全軍だった。

 ヘルマンニの水兵とスタティウスの軍団兵レギオナリウス合わせて約六百の兵士によって守られた迎賓館ホスピティオの周辺には、それでも入れ代わり立ち代わり数千人の群衆で夜通し囲まれ続け、一時はアンブースティアの郷士ドゥーチェティグリス本人率いる民兵部隊も群衆側に加わって非常に危険な状態にも陥ったが、何とか最悪の事態に陥ることなく朝を迎えることができていた。

 六百の兵がいなければ、指揮していたのがヘルマンニでなければ、補佐していたのがスタティウスでなければ、おそらく守り切れなかっただろう。


 押しかけて来た群衆が騒ぎ疲れて大人しくなったのは、東の空が白み始めたころになってようやくだった。

 女房達に尻を叩かれるようにしてセーヘイムの男たちが漁へ出ていきはじめると、迎賓館ホスピティオの周辺からまずセーヘイムの住民がいなくなった。次にいい加減に騒ぎ疲れていたところへ地元民が消えて余所者ばかりになったことで、周囲からの地元民の視線が急に冷たくなり、次第に冷静さを取り戻していく。そして、このままでは今日は朝飯にありつけないことに気づいて一人また一人と帰り始める。レーマ帝国がやってきてアルトリウシアを建設する前から漁村として存在していたセーヘイムには、モーニング営業している食堂タベルナなど無かったからだ。

 それでも武器を携えた物騒な群衆は数百人が残っていた。


 やがて漁に出ていた船が帰ってきて水揚げが始まる。獲ってきた魚を自分たちで食べる物、加工する物、売りに出す物に選り分け、荷造りをすると魚売りたちが他の地区へと魚を売りに出発し始める。

 最終的にセーヘイムに残っていたを蹴散らしたのは彼ら…いや、彼女たちだった。わざと街道上にいっぱいに広がって一塊になって進んだ彼女たちはに突っ込んでいく。


「邪魔だよ!そこをどきな!」

「他人様の土地ですんなって教わんなかったのかい!?」

「祭りなら他所でおやり!」

「こんなトコで遊んでんじゃないよ!!」


 セーヘイムの魚売り女は威勢の良さでは誰にも負けない。

 男尊女卑社会のレーマ帝国では女は男たちに馬鹿にされる。商売をすればほぼ間違いなく軽んじられ、足元を見られる。何か売ろうとすれば不当に値切られ買いたたかれ、何か買おうとすれば吹っ掛けられる。だから女だけで買い物に行くことはあまりないし、女が商売で成功することもほとんどない。

 しかし、それに甘んじては食っていけない。

 漁をしてきた男たちはそれだけで十分疲れているのだ。それに漁具や船の手入れもしなければならない。だから男たちが獲ってきた魚を加工したり売りに行くのは女たちの仕事になる。だが、女が売るからと言って買い叩かれねばならないいわれなど無いのだ。父が、夫が、兄が、弟が、息子が命懸けで獲ってきた魚介を不当な値段で買いたたかれたのでは女が廃る。商談で負けるわけには絶対いかない。

 結果、セーヘイムの女たちは買い手の男たちに負けないだけの強さを身に着けざるを得なかったのだ。公共の場だろうが何処だろうが、相手が男だろうが何者だろうが平然と罵り言い負かす口達者。ついた渾名が『セーヘイムのガミガミ女ウィラージネス


「うるせぇ、ぶっ殺すぞ!」

「女が男のすることに口をはさむな!」

「こっちはそれどころじゃねぇんだ!」

「女が出しゃばるんじゃねえ!!」


 だが武器を手にすごむ数百人の男たちを前に、魚売り女たちは一歩も引かなかった。


「うるさいのはそっちだよ!」

「ぶっ殺すだって!?おやりよ!出来もしねぇくせに!!」

「女子供相手に威張るなんざ弱虫のするこったよ!?」

「引っ込めだってさぁ!

 アンタらアタシらがこのまま引っ込んじまっていいんだね!?」

「いいよ!腹すかせて困るのはアンタらのほうなんだからね!!」

「今日からアンタら自分の女房子供に何食わせるつもりだい!?」

「アンタらどこから来たんだい?

 アンブースティアかい?《陶片テスタチェウス》かい!?

 まさかマニウス城下町カナバエ・マニやアイゼンファウストじゃあるまいね!?

 アンタらがそんなならもう売りに行ってやらないよ!」

「明日からは毎日そっちから買いに来るんだね!

 もっとも、刃物ちらつかせるような奴が来たところで売ってやる魚なんて一匹だってありゃしないけどね!」

「そんな奴、ウチの亭主が追い返してくれるよ!」

「どうなんだい!?

 アタシらを通すのか、通さないのか!?」

「通すんならとっととお退き!!」

「こっちは仕事してんだ!アンタらみたいに遊んでる暇なんざ無いんだよ!!」


 一人でも一言えば十返してくるガミガミ女ウィラージネスが集団になっているのである。ましてやここはセーヘイム、彼女たちのホームグラウンド。そして何より食い物を握っている者は強いのだ。

 は見る間に街道上から蹴散らされていった。そして彼女らはその後、ご丁寧にも途中ですれ違う男たちを見つけるごとにイチイチ説教し、追い返しながら各々の売り先へ進んだのである。


 彼女たちの活躍により、ヘルマンニとスタティウスのもとで警備にあたっていた兵士たちは、インニェルが用意させた温かい朝食をとる余裕を得たのであった。

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