第9話 対峙

 統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿中庭/アルビオンニウム



 静寂は唐突に破られた。

 勢いよく扉が開かれ、武装したゴブリンの軍勢がなだれ込んできた。


 赤い羽根飾りのついた兜を被り、肩に羽織った赤いマントの下には青銅のチェーンメイルが見えている。

 手足を手甲や足甲で固めているが、ズボンは履いておらず膝や腿が丸出しになっている。靴も履いておらず、代わりに履いているのは革製のサンダルだ。そして手には湾曲した四角い大盾と槍を持った軍団兵。


 その姿は古代ローマ軍そのまんまだ。


 彼らはガシャガシャと具足を鳴らして踏み込んでくると、入ってきた扉と水盤の中間あたりで横隊を作った。そして、その後ろから続いて入ってきた同じ装備の重装歩兵が左右の列柱に沿うように素早く展開する。その数は三十人ほどだろうか?


 その大盾を持った重装歩兵たちの背後で鉄砲を抱えた同じくらいの数の重装歩兵が駆け足で展開する。

 その動きはまさにこの場でリハーサルを繰り返したんじゃないかと疑いたくなるくらい迅速かつスムーズだった。彼らの履いたサンダルの鋲がゴリゴリと床を鳴らす音が消えるまで、二分とかからなかっただろう。

 龍一はあっという間に三方をゴブリン軍団に囲まれ、半包囲されてしまった。


 内心古代のローマ軍っぽい見た目や装備からは想像できなかった鉄砲の存在にかなり驚いていたのだが、外面には特に動じる様子を見せることは無く、まるで石像のようにジッとしている。

 下手に動いて相手を刺激してしまうのを恐れ、意識してジッとしていたのだった。



 龍一を囲んだ兵士たちの方も囲んだだけで特に戦闘態勢はとっていない。

 大楯と槍を持った兵士は中庭の内側の方を向いて大楯を地面に立て、その上に左手を置き右手は槍を床に突き立てて支えている。

 その後ろの鉄砲を持った重装歩兵も鉄砲を構えるわけでもなく、銃口を上にして銃を地面に立てた状態で気を付けの姿勢をとっていた。


 兵士たちの展開が終わるのと同時に、鎧と体格の優れたいかにもボスっぽいのが三人入ってきた。


 兵士たちが青銅製のチェーンメイルを着ているのに対し、彼らはキラキラ輝く板金鎧を装着していた。兵士たちが鶏のトサカのように縦に付けてる兜の上の羽飾りを、扇のように横向きに付けている。

 また、兵士たちは短い剣を腰の右側に下げているが、ボスたちは幾分長い剣を左側に下げ、盾、槍、鉄砲は持っていない。代わりに二人はピカピカに磨かれた槍のように長い杖を小脇に抱えている。


 杖を持った二人が左右に分かれ、真ん中に杖を持っていない最年長っぽい顔立ちの男が残る。


 こいつが最上位者かと、龍一がアタリをつけたところで更に一人が奥から出てきた。


 今までの中で一番強そうだ。

 体格は他のゴブリンより二回りくらい大きく、背は龍一だあくないと💛と同じくらいだろうか。


 兜は他の兵たちのと似ているが、彫刻が刻まれていたり金の象嵌ぞうがんが施されていたりと派手に飾られている。

 鎧もローマ軍の板金鎧ではなく、織田信長が着ていた南蛮胴みたいな感じの鎧で、パーツの一つ一つが大きい。肩当だけは中ボスの鎧のと同じだった。

 手甲も上腕まで覆っているし、足甲も太ももの半ばまでカバーしている。

 腰の左側に下げた剣の柄は金色に輝いているし、肩から羽織っている赤い外套も、他の兵士たちのより明らかに上等な布が使われている。


 顔は人間の顔を模した面貌で覆われていて分からないが、こいつらのボスならやっぱりゴブリンなんだろう。

 雰囲気、たたずまい・・・こいつが大ボスで間違いない。



 大ボスアルトリウス水盤インプルウィウムを挟んだ正面に立ち、目の前の黒い鎧の男を見据えている。周囲の兵士らは気を付けの姿勢を保ったまま微動だにしない。

 対する《暗黒騎士龍一》の方も同じくじっとしたまま動かない。


 互いに戦闘は避けたいとは思っていたが、相手が何者かも何を考えているのかもわからず、そもそもコミュニケーションがとれるかどうかすら怪しいと疑っている。

 そして互いに武装していてひとたび戦端が開かれれば、決定的なところまで瞬時にエスカレートするのが目に見えている・・・下手な事は出来ない。声をかける事さえ躊躇とまどわれる。

 ちょっとした一挙手一投足で破滅が訪れてしまう危険性が容易に想像できてしまうため、はからずも両者は対面するのと同時に膠着こうちゃく状態に陥ってしまった。


 何かほかにもっといい方法があっただろうか?


 お互いに知るよしも無かったが、水盤を挟んで立つ二人が思いめぐらていたのは同じ疑問だった。

 武装を解除して自分は無害である事をアピールするのが一番確実なことは誰でも思い付くことだ。しかし、謎の人物を相手に自らの安全を確保しなければならないという前提条件が付く以上、それは選択不可能な選択肢だった。



 龍一は考えていた。

 言葉は通じなさそうだし、変に身振り手振りで会話しようにも・・・逃げれるもんなら逃げるが、このキャラだあくないと💛の能力をまだ把握してないし戦い方もよくわからない。ログオフしたいけど何故か出来ない。


 瞬間移動とか飛行とかの魔法なりアイテムなりあるかもしれないけど、こうして包囲されてる中では悠長にメニューをあさる事も出来ない。


 周りの兵隊たちは気を付けの姿勢をとってるみたいだから今すぐ戦闘が始まるってことは無いんだろうが油断は出来ない。

 やはりここはひとまず相手の出方を見るしかないと。



 対するアルトリウスは今になって後悔していた。

 兵を突入させたのは失敗だったかもしれない。

 安全を確保する以上、兵を突入させないという選択肢は無かったのだが、今目の前に立っている漆黒の鎧の男がメルクリウスだと想定しての対応は早計だった。


 アルトリウスと部下たちはここに突入する前、扉越しに《暗黒騎士ダークナイト》の姿を確認して話し合った。

 そしてネロ達が考えたのと同じ理屈から、《暗黒騎士》の恰好をしたメルクリウスではないかという意見が出た。強力な精霊エレメンタルを使役している以上、メルクリウスか降臨者のどちらかだろう。そして、他に人影がいないのならメルクリウス本人である公算が大きい。


 一応、降臨者である可能性も考えていきなり襲い掛かることはせずに、ひとまず逃げられない様に包囲して投降を呼びかけよう・・・そして、今のような状況になった。なってしまった。



 だが、いざこうして面と向かってみた現在、メルクリウスではないという直感が頭の中で支配的になっている。


 過去のメルクリウスとの遭遇そうぐう記録からすると、このように軍勢に囲まれて黙って様子を見ているとは思えない。

 精霊を使役して抵抗を試みるか、向こうから話しかけてくるかするはずだ。


 となると、今目の前にいるのは新たな降臨者か、伝説の《暗黒騎士》のいずれかだろう。

 だとすると、捕縛するなどあり得ない。出来る筈もない。


 降臨者なら大協約に従い手厚くぐうさねばならない。

 《暗黒騎士》ならどうすればいいのか・・・大協約で定められてないし分からないが、伝説通りの存在ならこちらがどうにかできる相手じゃないのは確かだ。


 現にアルトリウス本人も含めた五十二名の完全武装した兵士に囲まれているというのに、奴は平然としている。

 つまりこちらを脅威とは見做みなしていないのだ。



 しかし、この男が降臨者か《暗黒騎士》のどちらだったとしても不可解だった。


 降臨者なら言葉が通じなくても精霊を通じて会話することはできる。

 精霊は言葉ではなく、イメージを直接相手の頭の中に伝えることでコミュニケーションをとる力があるのだから、言葉が通じない相手でもメッセージを伝える事が出来る。

 歴史上の降臨者たちもすべてがそうして精霊を仲立ちにすることでこちらの世界ヴァーチャリアの住民と会話し、文明をもたらした。


 それにメルクリウスによって召喚され、精霊の加護を授けられた降臨者なら、召喚された際に色々とメルクリウスから説明を受けている筈だった。


 しかし、ここにはメルクリウスはおらず、目の前の男は精霊を使役できるにもかかわらずこちらに何のメッセージも送ってこない。だとしたらやはり《暗黒騎士》か?・・・しかし、《暗黒騎士》が精霊を使役するという話は聞いたことが無い。


 降臨者なら大協約で定められた通りにまず神官が対話を試みることになるのだが、相手が《暗黒騎士》ならルクレティアをこの場に呼ぶのははばかられる。


 そもそも《暗黒騎士》と対話なんて可能なのか?



 すでに相手が《暗黒騎士》だと半ば以上結論を下していたアルトリウスは、そうであるがゆえに何をどうしていいかわからなくなっていた。

 こうした理由から、二人は互いに見合ったまま次の行動を起こしあぐねていた。



 二人を取り囲む兵士たちは生ける伝説を目の当たりにし、二人以上の緊張を強いられていた。


 彼らは自分たちが持っている武器がどうなったのか、ここに入る前に見てしまっていた。青銅で出来た投槍ピルム太矢ダートも溶かされて地面に転がっていたのだ。

 そして、目の前の《暗黒騎士》らしき者が身にまとう鎧や盾は全く傷ついていないように見える。


 火に手をかざしたところで、一瞬なら火傷はしない。銅を溶かそうと思ったら、炭火を起こしてフイゴで火力をあおり、時間をかけて熱しなければならない。

 なのに投げつけた青銅の塊を一瞬で溶かしてあんなふうにしてしまったのだとしたら、今目の前にいる《暗黒騎士》らしき者に付き従っているあの《火の精霊》は想像を絶する力を持っているに違いない。


 少なくとも投槍や太矢はまったく通じないだろう。剣なんて論外・・・剣先が届く距離に近づく前に焼き殺されてしまう。


 果たして彼らの短小銃マスケートゥムも通じるのかどうか疑わしい。

 ここには持ち込んでいないが、仮に擲弾グラナートゥムがあったとしても投げつける前に《火の精霊》に爆発させられてしまうんじゃないか?いや、攻撃するために身動き一つした瞬間に全員が焼き殺されてしまうかもしれない。


 なんたって、相手は飛翔中の投槍や太矢を一瞬で溶かしてしまう程の力を持った精霊を付き従えているのだから。



 そんなわけで、彼らもまた自分たちが目の前の『敵』に決して勝てないであろうことを察していた。多分、アレは決して怒らせたりしちゃ・・・いや、下手に触れる事さえ憚られるべきものだ。出来る事なら逃げるなり隠れるなりしてやり過ごすべきなんだ。


 そんな相手を目の前にしているにもかかわらず、未だに規律を保って整然と行動してみせているのは、日頃から受けている『血の流れない実戦』と評されるほどの過酷な訓連の賜物たまものだった。


 それに彼らは経験から知っていた。

 自分たちよりも武器も体格も圧倒的に優れている南蛮人との幾度かの交戦を通じて、完璧に統率の取れた集団行動こそが戦場で生き延びるための最後のよりどころとなるのだというゆるぎない事実を。


 歯が鳴るのを、膝が笑うのを、手が震えるのを、胃から何かこみあげてくるのを、背中に嫌な汗が伝うのを、彼らが我慢して直立不動の姿勢を維持しているのはそういう理由だった。

 彼らはまぎれもなく、最強を誇った歴史ある軍団の一員だった。



 この場にいる誰もが見栄を張って平静をよそおうことで、これまで経験したことの無い緊張状態に耐えている。ただ、その見栄こそがこの緊張状態に拍車をかけている事実に気付いている者は一人も居ない。


 誰もが解放されることを望んでいたこの状況は新たな登場人物によって変化をもたらされた。

 神官のルクレティアである。

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