第10話 最初の対話(1)

統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿内/アルビオンニウム



 ルクレティア・スパルタカシアは家系の起源を降臨者スパルタカスにまでさかのぼることのできる由緒正しき聖貴族の末裔にして、アルビオンニウム・ケレース神殿テンプルム・ケレースの長を務めるルクレティウス・スパルタカシウスの一人娘である。


 降臨した時点で重傷を負っていた降臨者スパルタカスを献身的に介護し、やがて結ばれたという聖女リディアをはじめ、降臨者に仕える巫女となって活躍した歴史上の聖女たち。

 その物語を幼いころから聞かされ続け、英雄譚えいゆうたんのヒロインたる聖女たちに心酔し、憧れ続けていた彼女は成長し思春期真っただ中となった今、目の前に突然降ってわいた降臨騒ぎにすっかり舞い上がっていた。


 アルビオンニアへのメルクリウス渡航を知らされた時から小さな期待はあった。

 大っぴらには出来ないが、いっそ降臨が起きないだろうかという不謹慎な思いを全く心にいだかなかったと言えばウソになる。

 ましてや今、神殿テンプルムで降臨者が現れたのだとしたら、この周辺には巫女になりうる高貴な血筋の女性はルクレティア一人しかいない。

 自分が聖女になるかもしれない・・・その可能性を目の当たりにしてはどれだけ理性を働かせようと、心の奥底から湧き上がる熱情を抑えきることなど不可能だった。


 もちろん彼女はそれを自覚していない。

 彼女は神官としての自分の立場も責務もわきまえていたし、彼女の理性はその務めを果たすべく動員できる全ての意識を全力投入していたのだ。



 玄関オスティウムの外でヴァナディーズと共に待たされていた彼女はじれ切っていた。


 内部の安全を確認するまで外で待つようにとアルトリウスは言い、そして連れてきた兵士の半分ちかくを神殿に突入させた。

 突入する前の様子からして、彼は既に「敵」の姿を確認しているようだったし、時間的に中に入った彼らは「敵」と既に対面したはずだ。

 なのにそれから何の音沙汰もない。

 メルクリウスなら捕縛のための問答なり戦闘なりが起こっていなきゃおかしい。

 が、何もない。

 何もないという事はメルクリウスではない筈だ。

 メルクリウスでないなら残るは降臨者しかない。

 メルクリウスでも降臨者でもない只の盗人がここに居るわけ無いし、居たとしてもとっくに捕まえてなきゃおかしい。

 ・・・やっぱり降臨者がいたに違いない。

 じゃあ自分の出番じゃないのか?

 自分の出番の筈なのに何で自分は呼ばれないのか?


 そんな不満が彼女の頭の中で渦巻き、その勢いをどんどん増していった。

 その勢いが理性と言う名の防波堤を決壊させるのに、あまり時間はかからなかった。


 ヴァナディーズが単にアリバイを作るためだけに行ったとしか思えないような形ばかりの制止を試みただけであっさりとルクレティアについて来たのは、彼女自身も好奇心が抑えきれなかったからだろう。


 彼女たちに付けられていた護衛の軽装歩兵ウェリテスたちも、神殿のただならぬ様子に呑まれてルクレティアを抑える役目を果たすことが出来なかったし、玄関ホールウェスティーブルムで並んでいた後詰ごづめ重装歩兵ホプリマクスたちもまた同じだった。


 アルトリウスがそこに居る筈のないルクレティアが自らの横を通り過ぎていく姿に気づいた時、まるで亡霊でも目にしたかのように驚いたのも仕方のない事だったと言えるだろう。



 薄暗い玄関ホールから陽光の降り注ぐ中庭アトリウムへ進み出るにしたがい、ルクレティアの心臓はその鼓動を早めていった。


 そこに自分の、いえ世界の運命を変える何かが待っている。


 そして重装歩兵の隊列を抜けて、アルトリウスの左脇を通り抜け、そして遂に《暗黒騎士ダークナイト》の姿を目にした時、彼女の頭の中は完全に真っ白になっていた。

 見慣れたはずの中庭、その空間を切り抜いたかのようにも見える漆黒の姿・・・


 間違いない。あれこそが運命の人・・・


 鎮めようのない高鳴りを秘めて小さく震える胸いっぱいに息を吸い、自らの運命に向かって一歩を踏み出したルクレティアは突然右腕を掴まれ、現実へと引き戻された。



 振り向けばそこにアルトリウスがいた。


「おい!」

「何よ、放して!」

 二人の声を殺しての言い合いが始まった。


「何しに来たんだ、まだ呼んでないぞ!?」

「呼ばないから来たんじゃない!」

「呼ぶまで待つよう言ったろ?」

「安全確保するまで待つようには言われたわ。」

「なら未だだ、外で待つんだ!」

「何でよ、もう安全でしょ?」

「どうしてそうなる!?まだダメだ!」

「なら訊くけど、これ以上何をどうするつもり?」

「それは・・・」



 思わずアルトリウスは言いよどんでしまった。

 実際、彼は既に手詰まりになっていて出来ることは何も残ってない。


 本当なら投降を呼びかけるなり誰何すいかを問うなりすべきだろうが、今回は相手が通常の相手ではない。仮に相手が降臨者であるならば、神官を差し置いて神官以外の者が話しかける事自体が禁じられている。

 おそらく相手は伝説上の《暗黒騎士》であろうと思われるが、超常の存在という意味では並の降臨者以上であろう者に、降臨者に対してすら話しかけてはならない彼が直接話しかけて良いものかどうかと問われれば、その答はいなであろう。



「・・・じゃあ放して。」

 ルクレティアは先ほどまでの食って掛かるような剣幕を鎮めて言った。

 どこか突き放すような冷たい響きに若干の反発はあったが、この期に及んでは放さざるを得ない事ぐらい、アルトリウスも気づいている。

「本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃなくても行かなきゃダメでしょ?」

 なおも食い下がったアルトリウスだったが、さすがにこれ以上ルクレティアを引き留めることはできず、掴んでいた腕から手を離した。



 ようやく解放されたルクレティアはアルトリウスの目を見たまま小さくため息をつき、目の前の漆黒の鎧をまとった降臨者に向き直る。そして気を静めるために目を閉じて大きく二回深呼吸した。

 目を開き、降臨者の姿を捉える。改めてその姿を見た途端、再び胸が高鳴り始めた。


 ただ、先ほどまでのどこか心地よい高揚感とは違い、不安と緊張による酷く不快な感じがする。締め付けられるような妙な息苦しさがあり、手足が震え力が入らない。

 何やらわが身が急に頼りなく感じられてきた。


 アルトリウスのせいだわ。彼が引き留めたりして流れを乱したから・・・いえ、今更そんなこと言っても仕方ないわ。落ち着くのよ。


 ルクレティアは再び目を閉じてもう一度大きく深呼吸する。

 しかし、その吐く息さえもどうしようもなく震えていた。


 思わず眉をしかめてしまう。


「・・・アルトリウス、あなたも私に付いてきて・・・」

 ひそめた声もさっきより少し上ずっていた。


 アルトリウスが付いてこなければならない理由が特にあるわけではない。そんなこと想定したことも無かった。

 後から理由を付ければ、彼は一応ルクレティアの警護の責任者だったからとか、神官のルクレティアを除けば今この場にいる最高位の貴族だったからとか色々言えただろうが、実際はルクレティアが心細かったからというのが本当のところだろう。


「・・・ああ、もちろんだ。」

 先ほどとは打って変わって弱気な彼女の態度の変化にアルトリウスは気づいていない。彼自身もまたひどく緊張しており、その視線は《暗黒騎士》に捕らわれていたからだった。


 返事を聞いたルクレティアはそのまま二度三度と小さく深呼吸して息を整えると、ようやく意を決し目を開く。

 今度は降臨者の方を見ず、まっすぐ前の見据えたまま歩き始めた。

 その右後ろをアルトリウスが、左後ろにはヴァナディーズが続く。

 ルクレティアはあえて降臨者を見ない様に、前方の床を見るように視線を固定し、水盤インプルウィウムの左側をおごそかに進み出た。


 そして降臨者のすぐ右前方まで進み出ると歩みを止め、視線は床に落としたままスッと降臨者の方へ向き直る。


 アルトリウスとヴァナディーズがそれぞれ自分の斜め後ろで同じように向き直るのを待って、両手を胸の前で交差させて胸に当て、ひざまずいてこうべを垂れる。

 ヴァナディーズがそれにならい、アルトリウスは少し遅れて跪いた。


 本来なら面貌を外し、ガレアを脱がねばならない筈だが、彼も周囲もその事に気付いていない。


 右後ろで具足の鳴る音を聞き、全員が跪いたと判断したルクレティアは再び小さく深呼吸すると、瞑想の要領で心を静め頭を空っぽにして厳かに口上を述べた。



『いと尊き《レアル》より御降臨いただきましたる降臨者様、願わくば御名をあがめさせ給え。』



 この世界ヴァーチャリアにおける神官は単なる宗教指導者ではない。

 《レアル》と呼ばれる異世界から降臨し、この世界の住民に文明をもたらす降臨者の接遇という、あらゆる宗教・宗派を超えた共通の役割を担っている。


 その多くはかつて降臨者の巫女に任じられた貴族、あるいは降臨者自身の血を引く末裔であり、降臨者から先祖が授かった魔力と共に礼節等のノウハウを引き継いでいる。

 武功によって地位を築いた剣貴族、商業で身を立てて莫大な財力で地位を買った商貴族、国家の統治機構の中で官僚として職務を遂行することによって地位を築いた法貴族、それらいずれとも異なる聖貴族として分類され、独特な地位を有していた。



 とはいっても代を重ねるごとにその魔力は弱まっており、最も古い時代の降臨者の血を引くルクレティアなどはせいぜい精霊の存在を感じる事が出来る程度であり、先祖のように精霊を使役する力は持っていない。

 魔法もゲイマーガメルらによって齎された生産技術により量産された巻物スクロールで獲得できる低位の回復魔法を、日に数回かろうじて使える程度である。


 彼女の父であるルクレティウスもケレース神殿での地脈観測によって地下の《地の精霊アース・エレメンタル》の力が異常に蓄積している事に気付いていたにもかかわらず、火山噴火を予見することが出来なかった。

 こうした神官たちの力の衰弱は世界的なものだった。



 本来なら聖貴族などとも呼ばれる彼らの地位は、魔力の衰退とともに低下して然るべきものだったが、彼らの地位は魔力をほぼ完全に失った一族でさえ未だに保たれていた。


 降臨者に対する接遇のノウハウの伝承を独占していたからである。


 この世界の文明や文化は降臨者によってもたらされたものだ。もちろん、この世界の住人が発展させたものも決して少なくはないが、それでも降臨者によってもたらされた叡智とは比べるべくもない。

 降臨者によってもたらされたものを土台に発展させたものである以上、土台そのものを否定することなどできはしない。この世界の歴史も文化も、降臨者の存在なしには語れはしないのだ。



 次に降臨があれば、降臨者とどう接すればよいか?

 そのノウハウはこの世界では絶大な価値がある。


 しかしどれだけ価値がある事であろうとも、日常ではたとえ貴族同士の間でさえ使われないようなプロトコルを伝承するのは非常に難しい。

 文書で残したところで、礼節はそれを読んだ人間が即座に身に付けることができるわけではないからだ。

 神像や仏像を相手に日頃から実践し、練習を重ねて身につけねば、いざという時にどんな間違いがあるかわかったものではない。


 強大な精霊を使役する降臨者、特にドラゴンさえほふるゲイマー相手に無礼を働き、不興を買えばどんな災厄がもたらされるかなど想像すら及ばない。

 実際、ゲイマーが突如激昂げきこうし、「ナチっ!ナチっ!」と怨嗟えんさの叫びをあげながら暴れまわり、一つの軍団を駐屯していた街ごと壊滅させた事件も過去には起きていた。


 ゆえに、聖貴族はこの世界では確固たる地位を堅持している。

 魔力が弱まり、メルクリウスが実質的に犯罪者として国際指名手配され、降臨が起きなくなった現在においてなお、その地位を維持するため神学校が開設されてノウハウの結集と伝承の強化が図られている。

 同時に、大協約時代において新たな降臨者が現れた場合、どう対処するかも研究が重ねられていた。


 大協約に従ってメルクリウスを逮捕するのであれば、降臨者の目の前で実行される可能性は低くない。その時、降臨者の勘気かんきも戦闘も避けるにはどうすべきかは、参考にすべき過去の事例も無く、難しい問題だった。


 現在ではひとまずこうしようという方針が定められ、それは神学校でのカリキュラムに反映されている。

 神官の中でも聖貴族の地位にある者は、神学校でそれを学ばねばならず、卒業しなければ貴族の地位と家督相続権は与えられない。


 ゆえに、ルクレティアも去年中退するまで神学校に通っており、降臨があった際に降臨者をどう迎えるかも学んでいた。それは神学校に入って真っ先に習う必修項目だったし、英語の発音も徹底的に矯正された。

 ルクレティアはこの世界の神官が等しく定められた義務を、今まさに遂行しようとしているのだった。

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