第11話 最初の対話(2)
統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿内/アルビオンニウム
《
「え、英語!?」
娘の声を聞いた龍一が驚いたように声をあげた。
それを聞いて娘らが顔を上げる。
「まいったな・・・英語だってのは分かるが何言ってるか分からん」
龍一が小声でつぶやき、妙に落ち着かない様子で頭を掻こうと手をあげた。
当然その手は兜に当たる。
兜を被ってるのを忘れてたのか?間抜けな奴・・・
龍一は兜を被っていた事を思い出すと今度は首筋の辺りを掻き始める。
「てか、お前翻訳してくれるんじゃなかったの?」
そのまま龍一は右肩付近に控えている《火の精霊》に文句を言った。
『
「言語が違ってても会話できるんじゃなかったのか?」
『
だからどんな言葉だろうと意味があれば読み取れるが、意味が込められていなければ読み取れん。』
「何を言ってんのか分からん」
なにやらお互いの口調がギスギスしはじめている。
『誰であれ言葉を発する時は相手に何事かを伝えようとするだろう?そして心に伝えたいと思う事を思い浮かべて言葉を発する。
その時、言葉と共に意味もまた発せられるのだ。
精霊は言葉ではなく、言葉と共に発せられた意味を読み取るのだ。
だが、この娘は心に何も思わぬまま言葉を発したのだろう。声は発せられたが、意味は発せられなかった。
だから何も読みとれんし、何と言ったのかもわからんのだ。』
《火の精霊》は少しいら立ちながら説明した。
《火の精霊》にとって燃やし燃える事こそが本分だ。せっかく百年ぶりに召喚されてウズウズしてるというのに、ゴブリン兵が進入してくる前に散々焼くな燃やすなと繰り返し言われた上に翻訳を命じられた。
まあ、それは仕方ない。無理難題を言われてるわけでもないのだし
なのにそこへ身に覚えのないケチを付けられたのだから、多少気分が悪くなるのも仕方のない事だった。いや、それが当然だ。
「この
『あるぞ。よくわからん呪文とか経文とかを意味も分からんまま読み上げる奴は珍しくない。』
「ああ、
龍一はようやく納得したようだった。
『この娘もそうなのだろう。おそらく何も考えずに記憶した決まり文句をそのまま口にしただけだ。
何も思ってないから
もう一度言ってもらうか・・・そう思った時、ヒトの娘が再び声をあげた。
「ひ、日乃本言葉なりや!?」
《
その内容は聞き取りきれないが、いくつかの単語やイントネーションから南蛮人の話す日本語に近いように思えた。
降臨者は降臨した場所によって文化・人種・言語に偏りがある。そしてその地域に降臨した降臨者の話す言葉が、だいたいその地域に根付く傾向がある。
実際、アルトリウスやルクレティアらの一族の発祥地である帝国北部はラテン語を話す降臨者が多く降臨したこともあり、レーマ帝国ではラテン語が共通語となっている。
アルビオン島以南の南蛮の地に降臨した降臨者についての記録はレーマ帝国では把握されていなかったが、アルビオン島以南の南蛮民族たちが共通語として使っている言語は日本語である事から、この地に降臨する降臨者が日本語を話す可能性が高いと予想されており、ルクレティアらも交流のある南蛮人たちから多少の日本語を学んでいた。
そこで、日本語で話しかけてみたのだった。
「あ、今度は日本語?」
《暗黒騎士》は驚いた様子でルクレティアの方を見た。
《暗黒騎士》の話す言葉は
間違いない。ここは英語ではなく日本語で話をした方が良い!多分!!
「
「そうろうよし!?」
《暗黒騎士》がやや大きな声をあげ、ルクレティアの話は
龍一からすると、どうやら日本語で会話できると思ったら日本語は日本語でもかなり時代がかった文語体、それも
この世界にはインターネットはもちろんテレビもラジオも電話も無い。
アルビオン島より南の地域で日本語は共通語となってはいるが、いわゆる標準語と呼べるようなものが普及、定着しているわけではなかった。
川一つ、山一つ越えればイントネーションや単語が変化するというほど多様な方言があり、異なる地域の出身者同士では会話が通じないのが当たり前な世界だった。
異なる地域間でのコミュニケーションは手紙等の書状で行われ、出身地域の異なる者同士での会話は方言の障害を乗り越えるため、あえて口語ではなく文語で行われる。その文語もいくつか異なる様式が存在していおり、候文はその一つである。
ルクレティアの習った日本語は文語で、口語の存在は知ってはいるが習ったことは無い。必然的に文語で話しかけるしかなかったのだが、文語の全ての様式を網羅していたわけでも無かった。
ルクレティアは《暗黒騎士》の反応から言葉を間違えたのではないかと大いに焦ってしまった。顔を伏せ、必死に取り繕う。
「ひ、非才の身に、なれば、
一応、「候」を使うのを避けてみたが、最早しどろもどろだった。彼女は候文が最もポピュラーな文語だと教わっていたのだ。なのにそれが通じない。
「あ、いや良いんだけど・・・もう少し楽に話せないか?普通の話し言葉とか」
「ご、御
何とか詫びを入れてみたが、ルクレティアは緊張のあまり自分が何を言ってるのかすらあやふやになりつつある。
喉が詰まり、声は上ずり、唾を飲むことも息をすることもやっとという有様だった。
声や体の震えがどうにも治まらない。こんなはずではないという自責が更なる焦りを呼び、もう自分でもどうにもならない。
「あー、いい、いい、気にしないで。」
「はい、・・・かたじけなく、存じあげ、たてまつりまする。・・・
「いや!日本語で、日乃本言葉でお願いします。」
「
この時、彼らは《火の精霊》の事をすっかり忘れていた。
《火の精霊》が最初の一言を翻訳し損ねた事と、その後の会話の展開で二人とも気が動転したことと、日本語で会話が通じるようだという安心感もあって、
溺れる者は
かくして混乱していた二人は《火の精霊》と言う救助ロープよりも、日本語という目先の藁に本能的に手を伸ばし掴んでしまった。
《火の精霊》は先刻の事で機嫌を悪くしていたので「翻訳しなくいいな」と当て付けがましく意地悪を言ったが、まさかホントに彼らが直接話すことを選択するとは思ってなかった。
本分ではないとはいえ、
一考した《火の精霊》は一つの提案をした。
『しかし、ここに居並ぶ者どもはそなたらの言葉を解さぬようだ。そなたらの会話は吾が訳し、この者たちに伝えてやるとしよう。』
「ああ、そうしてくれ。」
「ご配慮、痛み入ります。」
これで《暗黒騎士》との対話は振出しに戻った。いや、ようやくスタートラインに立ったと言った方がより正解だろう。
今度は英語ではなく日本語で話しかけねばならなくなったルクレティアは、降臨者に話しかける時の決まり文句を頭の中で日本語に翻訳し始める。
「さて、では改めて自己紹介から始めようか?」
一生懸命頭の中で翻訳作業をしている最中に《暗黒騎士》から話しかけられ、再びルクレティアの頭の中が混乱した。
途中で翻訳を遮られた事と、《暗黒騎士》の話すのが早すぎて理解が追いつかなかったのだ。
「はい・・・あらためて・・・検めて?・・・新ためて?」
「そう、最初から自己紹介・・・だけど、分からないかな?」
「・・・じこ・・・しょうかい・・・ぅぅ、も、申し訳ございませぬ。恐れながら、もそっと、ゆるり、お話しいただきますれば」
龍一は普通にしゃべっていたつもりだったが、ルクレティアに言われて自分の話すスピードが速すぎる事にようやく気が付いた。
彼女のしゃべりは随分ゆっくりだったが、てっきり彼女の様子から儀式っぽい何らかの形式的な理由があるのかと勘違いしていたが、純粋に不慣れな言語なのでネイティブが普通にしゃべったのでは早すぎて聞き取れないのだった。
日本に来る外国人はだいたい日本人は英語の発音が下手だが一応英語を学校で習っているというくらいのことは知っている。
だから、アンチョコ本や翻訳機で調べた日本語が通じなかったり、そうしたツールが無ければ英語で話しかけてくる。
しかしほとんどの日本人は英会話に慣れていないので、最初の一言を
ゆっくり何回か繰り返してもらってようやく理解し、次に答を頭の中で英語に翻訳してから回答する・・・このため、日本に来る外国人旅行者は行きずりの日本人とのコミュニケーションに想像を絶する時間を要する事になる。
多くの外国人は話しかけた日本人が
どうも、馬鹿にされていると感じてそうしてしまうらしい。
だが英会話にも外国人との対話にも不慣れな日本人は、自分がモタモタしてるから相手を怒らせてしまったと勘違いして余計に焦り混乱する。
かつて龍一は
「ああ!すまない・・・えっと・・・ゆっ、く、り、は、な、す。こ、れ、く、ら、い、で、良、い、か?」
「ありがたき幸せ。」
これ以後、龍一は極力ゆっくり、なるべく簡単にを心掛けて話を続ける。
「『自己紹介』は分かる?」
「ジ・コ・ショウ・カ・イ・・・?」
「自分の名前を相手に教える事」
二人の会話の途中、周囲がわずかだが急にざわつきはじめた。後ろのアルトリウスとヴァナディーズも跪いたままわずかに身じろいでいる。
《火の精霊》が《暗黒騎士》とルクレティアを除くこの場の全員に、これから自分が二人の会話を訳して伝える旨を宣言したせいだった。
普通の人間が精霊に話しかけられるなんて滅多にある事ではなく、この場にいた全員も生まれて初めての経験だったから動揺するのもやむを得ない事なのだった。
しかも、精霊は声を使わず思念を相手の頭に直接伝える。
話しかけるべき相手を限定する事が出来るので、《火の精霊》は二人の会話を邪魔しないよう気を利かせて二人には念話を伝えないようにしていた。
このため、《火の精霊》のせいだとは気づかなかったルクレティアは自分と降臨者の会話が上手くいっていない事に周囲が動揺しているのだと勘違いした。
「はい、お教え、いただき、ありがたく、ございます。」
このままではいけない。
深呼吸をして気を引き締めるとルクレティアは努めて気を落ち着けて、なるべく端的に自己紹介をはじめた。
「我が名、
ここ、
こちら、
この場、兵ども、束ね、我が、警護、務め、おります。
もう一人、
話している言葉は分からないまでも自分の名前が紹介されたらしい事に気付いた二人は、跪いて下げていた頭を更に深く下げて礼をした。
「それで・・・あ、Adventant、様・・・」
「あどべんたんと?」
彼女の話す日本語は「てにをは」があやふやだったり飛ばされたりしたが、しゃべるのがゆっくりだったので一応聞きとることはできた。
しかし、さすがに聞いたことも無い単語は分かりようがない。
「Adventant」はこの世界で使われる「降臨者」を指す造語である。
降臨を意味するAdventをベースとし、大協約が制定される際の検討過程で作られた単語だった。当初は単純にAdventに-erをつけてAdventerにしようという方針だったが、
この世界で作られた独自の造語では、《レアル》で使われてないのだから降臨者に通じないのではないかと言う懸念も当然あったが、通じるだろうという楽観論が当時の検討委員会の英語話者の間では支配的だったようだ。
ルクレティアは「Adventant」に対応する日本語を知らなかったので、仕方なく「Adventant」をそのまま使ったのだった・・・が、当然通じるわけがない。
「あ、ぅぅ・・・Adventant、とは、降臨され、来た、
申し訳ございませぬ。」
彼女の日本語はたどたどしい上に「てにをは」が抜けまくってるが、ゆっくり喋ってくれるので一応なんとか意味を察する事が出来た。
「えっと・・・降臨され来た方???
あぁ、俺のことね・・・えーっと、私は『だあくないと💛』だ。」
「!
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