第1317話 大抜擢

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「「「「「リウィウス!?」」」」」


 カエソーと四人の百人隊長ケントゥリオたちが一斉に声をあげ、一番末席にチョコンと隠れるように座っているリウィウスを振り返る。一拍遅れて驚いたのはリウィウスだった。


「ア、アッシ!?」


 当のリウィウスは自分に向けられた十二の瞳に気づき、思わず頓狂とんきょうな声を上げてしまう。

 どうせこの会議でリウィウスは何も意見を求められず、ルクレティアに報告するために話を聞かされているだけ……しかしそのルクレティアは今日は既に就寝しており、ルクレティアへの報告は明日にならざるを得ない。だが明日にはカエソー自身がルクレティアに報告を行うことになっており、リウィウスからルクレティアに何か報告する機会も必要もない。つまりリウィウスはこの場に居る必要すらないはずだった。当然、そこで話し合われている内容に興味なんて湧くはずもない。耳に飛び込む話も右から左へ……正直言って、途中から何が話し合われていたか全くわからなくなっていた。それなのに突然自分の名前が飛び出したのである。思わず素に返ってしまうのも当然であろう。


「い、いや、あの、じっ、自分が、で、ありますか?」


 自分を見る五人の軍人たちの目に侮蔑や嫌悪の色が浮かんだのを見て、自分の態度が軍人らしからぬものだったと気づいたリウィウスは慌てて言い直した。リウィウス自身は当に軍籍を剥奪されて奴隷セルウスに身をやつしているのだから、軍人らしく振る舞う必要はないはずなのだが、軍人というのは兎角、同じ軍人や元・軍人が見せる娑婆しゃばというものを嫌う傾向がある。特に兵士や下士官など、部下や目下の人間に対しては過度に軍人らしさを求めたがる。


「ええ、リウィウス殿なら適任ではないかと思うのです」


 困惑を隠せないリウィウスに向けられたグルグリウスの表情と声は、まるでそれがとても良いアイディアであるかのように御満悦だ。しかし軍人時代のリウィウスがどういう兵士であったか、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア百人隊長ケントゥリオたちは知っていた。彼らは持ち回りで定期的に指揮する部隊を交代していくため、リウィウスの上官になった経験もあったのだ。


「待って下さい、いくらなんでもそんな!」

「彼はその……奴隷セルウスですよ!?」


 二人のホブゴブリンがこぞって抗議すると、グルグリウスは驚いて見せる。


奴隷セルウスとはいっても、我が主 《地の精霊アース・エレメンタル》様の仕えるとうとき御方のではありませんか!?

 しかも実際にその尊い御方の御世話をしていらっしゃるのでしょう?

 序列で言えば《地の精霊アース・エレメンタル》様に優るとも劣らぬ御方。

 それがハーフエルフごときの世話をして何の問題があるというのです?」


 笑みを浮かべて二人に反論するグルグリウスだったがその目は笑っていなかった。おそらく二人の抗議を不快に感じているのだろう。だがグルグリウス以外の人間たちからすれば二人の主張はもっともなことだった。グルグリウスの抗議にひるんだ二人に替わり、今度はカエソーが説得を試みる。


「た、確かにリウィウス殿はリュウイチ様の奴隷セルウスでリュウイチ様にお仕えしております。

 今もルクレティア様の供回りを務めておられる。」


 リュウイチ様……と、おっしゃられるのか……


 グルグリウスはその名を初めて聞いたが、その名を漏らしたのはカエソーの失言だったかもしれず、あえて気づかぬふりをする。


「なら問題ないではありませんか?」


 結論を急ぐグルグリウスにカエソーは苦笑を浮かべて首を振った。


「いやいや、彼がリュウイチ様の奴隷セルウスとなったのは先月の事!

 まだ一か月も……もうすぐ一か月か?

 ともかくそんなところです。

 その前の彼はいやしい出自で、リュウイチ様に仕えるようになった今もまだ、礼儀作法も身についておりません」


 グルグリウスは不可解そうに口をへの字に曲げる。そして数秒、カエソーを見下ろしたまま考えた。


「しかし、ルクレティアスパルタカシア様の供回りを命じられたのでしょう?」


「それは!

 ルクレティア様がリュウイチ様にお仕えしておられるからです!

 ルクレティア様の供回りを務めさせることで、高貴な御方に仕えるうえで身につけねばならぬ礼儀作法を身につけさせようというおはからいなのでしょう!」


 それはカエソーの推測にすぎなかった。実際、リウィウスもルクレティアもそのような考えはなかったし、リウィウスはリウィウスで「そうだったのか!?」と内心で驚きを噛みしめていたりする。

 そんなリウィウス当人の驚きなど気づきもしないカエソーは続けた。


「それに、ペイトウィンホエールキング様が暴れ出したらどうするのです!?

 リウィウス殿では抑えが利きません!」


 カエソーらからすればそれはもっとも重要な要素だった。そもそもグルグリウスにペイトウィンの世話を依頼したのも、ペイトウィンに対する抑えを利かせられるのが《地の精霊アース・エレメンタル》とグルグリウスしかいなかったからなのである。ここで元・軍人とはい初老に差し掛かったただのホブゴブリンなど、いくらリュウイチから貰ったミスリルの武具を身に着けているからと言ってペイトウィンを任せられるわけがない。

 カエソーの指摘に四人の百人隊長に加えリウィウス本人までもがウンウンと頷くと、グルグリウスは心底情けないといった表情を作ってみせた。


「おー、そんなことを気にしておられたのですか!?」


「大事なことです!」


 念を押すカエソーにグルグリウスが向き直る。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様がおられるではありませんか?!」


 グルグリウスがまさか自分の主君を働かせようとするとは思ってもみなかったカエソーは思わず口を一文字に引き結び、一度身を引いてからすぐにまた身を乗り出した。


「確かに《地の精霊アース・エレメンタル》様の御力は偉大です」


 そうでしょうとも……グルグリウスは表情だけでそう同意を示し、頷いて先を促した。


「ですが《地の精霊アース・エレメンタル》様は、その、失礼ながら我ら人間の世情にはいささか不慣れな御様子。

 イザと言う時、状況次第では対応の適切を迷うこともおありでしょう。

 だいたい、その辺りをフォローするために、《地の精霊アース・エレメンタル》様はグルグリウス殿を眷属になされたのでしょう?」


 これにはグルグリウスも反論できなかった。カエソー自身、グルグリウスが《地の精霊》の眷属にしてもらう瞬間に立ち会っていただけあって、その辺りの事情は正確に理解している。また、グルグリウスにとっても《地の精霊》より人間社会に通じているという点は自身の存在意義として自認する部分でもあったのだ。

 しかしカエソーの指摘もグルグリウスをして主張をひるがえさせるには至らなかった。


「力のことであるならば、リウィウス殿に魔導具マジック・アイテムでも預けるなり加護を与えるなりすればいいでしょう。

 ハーフエルフなんて《地の精霊アース・エレメンタル》様にとっても吾輩わがはいにとっても大したものではありません。直接、その場で対応せずとも、魔導具マジック・アイテムを通じた支援だけで、リウィウス殿にも充分対処できるはずです」


 これにはカエソーのみならず全員が驚き、慌てふためいた。だが彼らがグルグリウスに何か言う前に、グルグリウスは腰を浮かせた彼らに手をかざして黙らせる。


「それに礼儀作法とて問題にはなりますまい。

 実際の世話はどうせ下級神官にさせるのでしょう?

 リウィウス殿はただその場にいて、下級神官たちがペイトウィンホエールキング殿の世話をするところを見ていればそれで十分なはずです」

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